そんな手紙を残されても

モトヤス・ナヲ

第1話


 天井の蛍光灯から鈍いノイズ。鍵を金属製のドアに差し込む。コンクリート打ちっぱなしの壁には寒気が滲み、フロアーに散らばっているチラシが侘しい。それらを手早く集めると、肩でドアを押して中に入った。自分の部屋の匂いをかぐと一日の終わりを実感する。手前にパイプ式のベッドがあつらえてあり、その向こうはようやくお湯が沸かせるだけのキッチネット、そしてバスルームへの扉。一番奥は通りに面した窓で、雨に烟る街灯が、遥か遠く倉庫街まで規則的に続いているのが見える...

  と、ここまでは、毎日眺めているいつものおれの部屋であるが、今日はどこかに違和感があった。その原因はすぐにわかった。窓の前の黒机の上で、便箋のようなものが、薄暗がりの中で自己主張をしていた。おれは小首を傾げながら机の前に行くとそれを手に取った。

 ー 日出町の赤いレンガの家に帰ります。もう一度ふるさとの富士が見たかった

 どこか可愛らしい文字でそうしたためられている。筆跡には見覚えがない。もとより日出町なんて聞いたことがなければ、赤いレンガの家なんかも知らなかった。そもそもこのシチューエーション自体がおかしかった。同棲している訳でもあるまいし、一人暮らしのおれに、置き手紙だなんて、そんなの普通あり得ないだろう...

 その時にアラームが鳴って目が覚めた。おれは半身を起こした。午前六時三十分。やっぱり夢だったか。しかしイメージが鮮やかすぎて、思わず窓際の机を確認したくらいだ。当然そこには何もなかった。あり得ないよなと苦笑しつつも、後日夢判断の良い材料になるかもと、夢の中の「置き手紙」を、忘れないうちにに手帳に書きつけた。

ー 日出町の赤いレンガの家に帰ります。もう一度ふるさとの富士が見たかった


 城東警察署の交通課がおれの職場だった。先輩の山田に呼びかけられた。

「大山、昨日はうまく帰れたか」

おれは目の裏を行ったり来たりする疼痛を感じながら、

「自分、相当酔ってましたか?」

「美咲さん、美咲さんって、ノロケられて大変だったよ」

「いや、そんなつもりは...」

美咲というのはおれのフィアンセで、刑事課の敏腕刑事。なぜ敏腕刑事と交通科のおれがそのような関係になったかというと、二人が幼馴染だったいうだけで特に深い意味はない。

「まあいいさ。まずは朝イチで、パトロールに行ってこいや」

「あっ、山田先輩、ちょっとお聞きしたいことが」

「何だ」

「日出町っていう町が、管内にあるんですか?」

「お前、そんなこと知らないで、よく白バイ隊やってきたな。運河の向こう側だよ」

「そうですか、それでは行ってきます」

おれは白バイに跨るとヘルメットのストラップを閉めた。三月も半ばで冬の厳しさはもうない。管轄地域の巡回を終えて、何件かの駐車違反を検挙し、通学の学童の安全を確保したりしたていたら、すっかり昼になっていた。気づいてみると、ちょうど運河の縁のところまで来ていることだし、昼飯ついでに、橋を渡って、日出町とやらを探索してみることにした。バイクで流すと、日出町は港湾労働者とその家族が多く住む地域らしく、全体的に下町風で、だから昼飯は安くて美味かった。多分、遠い昔にそんな食い物の情報を、読むか聞くかして、それが夢に出たのであろう。プロファイラをやる美咲が喜びそうな話だ。おれは夢のカラクリをようやく納得できたので、スッキリした気持ちで、帰路に着くことができた。   

 と、その途中、路地の一本を通り過ぎた時、因果なことに、目の端を赤レンガの建築物がチラッとかすめたような気がした。全体的に長屋ばかりが過密に密集している町なので、洋館造り建物は目立つのである。とかく物事にこだわりがちなおれは、これを見逃すとまた心残りになりそうなので、バイクをターンさせるとその路地に入っていった。

 赤レンガの建物は、長屋と寺院の間の奥まったところにあった。おれはバイクを止めて、通りから中を覗いてみた。玄関の扉には古風なすりガラスがはめ込んであり、そこに「空家」と手書きされた看板が見える。なんだ空き家か、と夢に振り回されている自分に今更ながらアホくさくなり、頭をかきながらバイクに戻った。その時、ちょうど隣家から出てきたおかみさんが、

「おまわりさん、そこ誰もいないよ」

おれは、おかみさんに振り返ると、

「ずっと空き家なんですか?」

「こないだまで若い娘さんが住んでたけど行方知らずさ。それで大家さんが中を処分して、貸家の看板を出したんだよ」

「いつぐらいの話ですか」

「半年くらいかねぇ。気立のいい娘さんだったけど、最近の若い娘はわからないよ」

「お名前はご存知ですか」

「なかじまさんって言ってたかね。名前はりょうこさん。どう書くかは知らないけど」

別に必要はないのだが、職業病の一種だろう、おれは慌ててポケットに突っ込んであったレシートに書きつけた。


 一日の巡回に終えて、署に戻ると花の金曜日だけあって、みんな帰り支度に忙殺されていた。おれもさっさと片付けを済ませ、美咲との待ち合わせのコンビニに急いだ。二人でビールとつまみを調達して、マンションの部屋に帰ってきた。おれはクローゼット前ので、体のあちこちを拘束している警察ギアを外し始めた。美咲はソファーに腰を下ろすと、

「何か落ちたわよ。レシートみたい」

「テーブルの上に置いといてくれ」

おれは部屋着に着替え、美咲の隣に座った。ビールを一気飲みして、おのおのがつまみのラップを外し始めた。

「さすがにパックままだと味気ないな」

「まあお上品だこと」

おれはキッチネットに皿と箸を取りにいった。ソファに戻ると、美咲はさっきのレシートに目を落としていた。やばい、もしかしたら昨日の三次会以降の、何かいけない系のレシートだったか...

「ちょっと」

美咲の鋭い語調に戦慄が走った。

「はい」

「これ何よ?」

「何のことでしょうか」

「ここに書いてある、ナカジマリョウコ」

「知りません」

声が裏返った。

「知らないって、かっちゃんの字で書いてあるじゃないの」

美咲はそういうと、そのレシートをおれの前に広げた。そして

「かっちゃん、耳が早いなぁ」

と呟くようなコメントがあったので、そのレシートに手にとってみる。昼間の赤レンガの家でのメモだった。すっかり安心したおれは、まずは聞き捨てならぬことを聞いたとばかりに、

「耳が早いって、どういうことだ」

すると、美咲は皿につまみを移しながら、

「いま刑事課で追っている連続婦女暴行犯の捜査で、女性が一人、線上に上がってるの。それがナカジマリョウコ。中島亮子って書くけどね。でもね、容疑者との接点をどうしても見いだせなくて、今は保留しているけど」

「連続婦女暴行?この間逮捕された金持ち息子の事件か」

「もう釈放されたわ。でも気がかりだわ。初めは猥褻罪程度だったのが、最近ではますますエスカレートして、いつ重罪を犯してもおかしくない段階よ」

「エスカレート?」

「そうエスカレート。まず獲物の女性をストーカをしまくって、そして自分の部屋をその女性の写真で埋め尽す。それから犯行に及ぶんだけど、それがどんどん倒錯してきてるわ」

「その中島亮子さんというのは被害者のひとりなのか?」

「彼女の写真が数枚、押収品から見つかっただけ。でも、写真が見つかったということは、この容疑者の場合、十分バッドサインよ」

「写真の後は必ず犯行か..」

「そう。でも容疑者は、中島亮子はスナップ写真に偶然写っただけといっているし。私の尋問でも、ヘラヘラと知らぬ存ぜぬを通し続けてるわ。凄腕の弁護士を雇っているのよ」

そこで、美咲はいったんビールで喉を潤すと、

「ただ、中島亮子は失踪中というのが、他のケースと違うところね」

そしてスマホを取り出して、容疑者のマグショットをおれに見せてくれた。

「チャラそうなやつだなぁ。この左手に巻いた包帯と顔の傷は?」

「バイクで転んだっていってたわね。私に向かって、中指を立てようとしたら、その指が少し欠けてたってことよ。気の毒だけど、同情する気にもならないわ」

美咲はここで一息ついて、おれからレシートを取り上げると、目の前でヒラヒラさせた。

「かっちゃんの番よ。ここにナカジマリョウコって書いてある理由、言いなさいよ」

「それは...」

言い出すかどうか迷ったけれど、隠すことでもないし、それで置き手紙の夢をみた話と、その内容を確かめるために、昼間日出町に行ってきたこと、そしてそこで彼女の名前を聞いたことなどを話し、手帳を開いてその文面を見せた。美咲はそんなおれの話を、割に真面目に聞いてくれて、

「不思議ねぇ。でもふるさとの富士ってところは変ね。中島亮子の故郷は福島の山間部よ。かっちゃんの夢、詰めが甘いわよ」

「さすがに福島からは、富士山は見えないか」

「見えるわけないでしょ。東北よ」

そういってから、ビールの残りを飲み干すと、

「私、そろそろシャワー借りるわ」

「ごゆるりと」

美咲がシャワーを浴びている間、おれはテーブルの上を片付けた。そして皿を洗いながら、ずっと中島亮子のことを考えていた。連続婦女暴行、容疑者が彼女の写真を保持、そして去年から失踪... そこまで考えて、おれはやはりこの夢のあとさきは、決着をつけなければいけないと思った。これはなにかのメッセージだ。美咲は、彼女の故郷では富士を見えっこないといったが、そんなことは関係ない、ただただ、行って見なければ気が済まなかった。

「ああ、良い湯だった」

美咲がバスタオル姿でバスルームから出てきた。彼女に声をかけた。

「... おれ、明日福島にいってみたいんだけど.」

すると、

「いいわよ。わたし福島にいったことないから」

と、こちらの方はわりにあっさり同意して、

「そしたら、今日は早寝しなくちゃね」

とウインクしながらバスタオルを床に落とした。


 中島亮子の生家は、福島県の中山間地の限界集落にあり、実際にその地に立ってみると、山の斜面に古民家がポツリポツリと立っているだけで、生体反応がまるでなかった。

「ここのさびれ具合はひどいな。まるで八つ墓村だ」

「これじゃ事情聴取できそうもないわね」

「それに、こんなに山が深いんじゃ、美咲のいうとおり、富士山なんか見えるわけがない」

といった時、狭い農道をこちらに向かって軽トラがやってきた。老人が運転していた。畑作業に行く途中らしく、荷台に農機具が積んであった。車を停めると、窓を開けて、俺たちに話かけてきた。

「役場の人け?」

役所の視察かなにかと思ったのだろう。何となく警察の人間だとは言いたくなかったので、

「ええまあ」

と答えた。すると老人は、

「土曜日なのに、ご苦労さんです」

と言って行きかけようとしたので、おれはそれを制すると、ダメもとで聞いてみた。

「あの」

「何じゃい」

「まさかとは思うんですが、この辺りに富士山の見える場所とかあるんですか」

老人は窓を閉めながら、何だそんなことかと言わん風に、

「ある、富士見峠に行ったら、山脈の隙間から富士が見える」

「それはここから行けますか」

「行けないことはないが、今年は雪が多かったでのう」

それから俺は立ち去る老人をなだめて、何とかその富士見峠への道を聞き出した。


「... すごいデコボコ道だったわね、舌を噛みそうだったわ」

俺たちは林道のどん詰まりに車を停めると、山道を歩き出した。富士見峠は、南西が開けた尾根筋にあり、まだあたり一面に雪が残っていたが、それでも日の当たるところは小さな地面が見えていた。そこから見渡すと、山がどこまでも折り重なり、遠くの方は青く霞んで見えた。自分の立ち位置をうまく調整すると、複雑な山脈の重なりが、きれいなV字に開くアングルがあり、そのタイミングで夢のように小さな富士山が形よく見えた。おれは美咲にそれをを指差しながら示すと、彼女は、

「うわ、これはインスタ映えするわね、かっちゃん、写真撮ってよ」

そう叫んだ。それで、おれは美咲をそこに立たせて、富士を手のひらにのせた構図で写真を撮ってほしいという期待に応えるため、色々工夫してみた。そして、右にいけだの、手を上げろだの、腰を少しかがめろなど、美咲にいろいろ指図しつつ、後退りしているうち、何かにつまづいて尻餅をついてしまった。

「ははは、何やっているのよ」

木の根っ子にでもつまづいたのだろう、おれは、照れ隠しの苦笑を浮かべながら、手をついて立ちあがろうとした。しかし、目の前の地面から突き出ていたのは、木の根っこではなく白いパンプスのヒールだった。


 それから後の処理は、刑事課の美咲の方が慣れているのは言わずもがなであった。携帯の圏外ではあったが、幸いにして要人警護用のサテライト電話を車に積んでたので、大至急福島県警に通報し、美咲の指示に従って現場の確保をおこなった。すぐに県警が到着して、現場検証が始まった。そして四方にスコップが入れられ、遺体の回収が始まった。若い女性の遺体だった。ブルーのワンピースについた泥が痛々しかったが、今年のこの辺りは例年になく寒い冬だったと言うことで、死体の損傷はあまりなさそうだった。ビニールシートの上に所持品が次々と並べられた。その中に小物入れがあり、中身を確認した監察が叫んだ。

「免許証より被害者の身元が判明、中島亮子、二十八歳」

おれは美咲の腕を掴んだ。彼女がおれに何か言おうとした時、今度は検死医の声が続いた。

「被害者の口内に遺物発見。男性の左手中指先端です」

今度は、美咲がおれの腕を掴んだ。昨夜美咲が見せてくれた容疑者の包帯が頭の中を鮮やかによぎった。美咲はサテライトを耳に当てると、刑事部にコールした。

「緊急通報です。すぐに連続婦女暴行の容疑者の身柄を、重要参考人として確保してください。大至急です。容疑者と中島亮子との接点が見つかりました。彼女は、本日福島県山中で遺体で発見、福島県警が捜査中です。はい、すぐに署に戻ります」


 俺たちは福島県警に事情を説明し、互いの連絡網を確認しあった後、すぐに、東京に車を走らせた。東北道は春スキー帰りで渋滞していた。美咲が吠えた。

「何でこんなに混んでるのよ!」

しかし、車の進行がこんな状態でも、連絡だけは次々と入ってきて、進捗を告げてくれる。

「福島県警です。被害者は死後六ヶ月ほど経過。犯行時は、おそらく犯人と揉み合いになり、その時に犯人の左中指を噛み切ったと思われます。死因は頭部の鈍器による打撲のもの、防御創が多数認められるため、被害者はかなり抵抗したものと思われます。左手中指、および爪に残された犯人の皮膚は現在DNA鑑定中」

美咲はおれにいった。

「今度はにがさないわよ」

しばらくして別の電話。

「こちら城東署刑事課。美咲さん、只今容疑者を確保、城東署に連行しました。逮捕場所は砂町一丁目の自宅マンションです。現状保存の処置をとりました」

「わかった、そちらに直行するわ」

そして美咲は間髪入れず、福島署に電話かけた。

「DNAの照合をお願いしたい容疑者を確保しました。了解です。明朝必着でサンプルを送ります」

電話を切ると、美咲は犯人確保の知らせに安心したのか、ようやく一息ついた風で、

「...でも、考えてみると不思議な話ね。かっちゃんの夢の中の置き手紙から、とんとん拍子の急展開。こんなことってあるなんて、いまだに信じられないわ」

そしてしばらく二人とも放心したように黙り込んでいたが、高速がようやく流れ始めると、美咲はこんなこともつぶやいた。

「いずれにしても、中島亮子は、よっぽどかっちゃんに助けてもらいたかったわけね。置き手紙まで置いたりして… 少しやけちゃうわ」

「おい不謹慎だろ」

美咲は舌を出して、

「まあね」

と囁いた。

 

 午後九時。砂町一丁目はすでに厳重な捜査線が敷かれ、電柱に張り巡らされた立ち入り禁止のテープが、パトカーの赤点滅に照らされて物々しかった。二人は通りの少し先に車を停めると、美咲を先にして現場に走った。現場を警備している警官が、美咲を見るとテープを上に引き上げてくれた。おれは管轄外でもあるし、美咲の立場もあるだろうと、入るのを躊躇していたが、美咲が手招きをして、

「何をぼさっとしてるのよ」

と文句を言ったので、彼女についていった。階段の踊り場で、刑事課の若手とすれ違った。

「あっ美咲さん」

「で、状況はどうなの?」

「容疑者の自供が始まりました。中島亮子の遺体発見で観念したみたいです」

「DNAのサンプルは?」

「もう福岡県警に送りました」

「OK、容疑者の部屋はどこ?」

「二階の突き当たりです」

「わかった、ありがと」

「あの、美咲さんは行かれない方が...」

「何を言っているのよ。行くわよ」

と最後の行くわよはおれに向けていった。階段を登り切ると、突き当たりのドアは開け放してあり、中で捜査員が忙しそうに行き来しているのが見えた。狭い通路は警察関係者で溢れ、美咲が近づくと道を開けてくれた。玄関に入ると、中はごった返していたので、おれは流石にそれ以上行くのやめ、美咲だけが奥の部屋に入った。今度は流石に美咲も文句は言わなかった。不思議なことに現場は無言に包まれていた。壁一枚向こうにいるはずの美咲の声も聞こえなかった。おれは不安になり、一歩、また一歩、その部屋ににじり寄っていった。そして部屋の入り口が近づくにつれ、多くの刑事がおれからは見えない方向の壁を見ているのがわかった。あるものは腕組みをし、あるものは顎に手を当て、しかし誰もが口を閉ざしている。おれは最後の一歩を踏み出して、遠慮がちに部屋の中を覗き込んだ。中央に仁王立ちしている美咲の後ろ姿が見えた。そして皆が凝視していた壁には、夥しい数の美咲本人の写真が、一寸の隙間なく貼り詰められていた。美咲が次の獲物だったのだ。


 中島亮子の葬儀は、福島市内の小さな寺で営まれた。参列者はまばらだったが、いよいよ春めいた風の気持ち良い日で、境内の桜がほぼ満開に近かった。葬儀の後、親族や、県警の人に挨拶をしてから車に乗り込んだ。日差しが暖かく、エンジンをかけた後、サンルーフを開けると、美咲は伸びをしながら、

「風が気持ちいい。春がようやく来たって感じがする」

といった。おれはギアを入れながら、

「そうだな、この間はまだ雪が残ってたもんな」

「春の風って天国から吹いてくる気がするわ、そこにはお花畑とかあって」

「おまえ、たまにはそういうことも言うんだな」

と、そんなたわいもない会話をしながら、ふと、この間美咲が車の中でいったことが脳裏に浮かんできた。おれはいった。

「なあ、美咲、お前がこの間、車の中でいったことだけど...」

返事がなかった。そちらをみると美咲はようやくプレッシャーから解放されたのか、助手席で猫のように眠りこけていた。おれは心の中で残りを続けた。


 ...お前がこの間車の中でいったことだけど、おれが中島亮子さんを助けたんだってお前いってたけど、ほんとうは中島さんがおれたちを救ってくれたんだな


 …美咲に何もなくって本当によかった。だから中島さん、もしおれの声が届いたらお礼を言わせてください、おれの夢に置き手紙をしてくれて本当にありがとう、おれは心から感謝しています...


 その時、窓から入ってくる、桜色の春風の、その遠い彼方のほうから、女性の楽しげな笑い声が、ほんの微かに聞こえたような気がした。

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