第八話 狐面の正体 巻の参
メタローはこれまで見てきた姉兄の教育をここで示すかの様に、悪い笑みを浮かべた。
「そうか。お前もいたな、メタロー。お前には感謝して欲しいぐらいだが」
姉貴はゾンビかの様にゆらり、とメタローの方を向いた。
「アカネとは上手くやったんだろ? ゴロもブンゴもアオイもよく動いてくれたよ」
「なんでここでアカネさんの話が……」
メタローがそう反論しようとすると、ハカセが閃いた様子だった。
「姉貴の狐面、そうか。神前試合の狐の大将が姉貴だったってことは、あの時俺たちが抜け出せたのも、もしかして姉貴が……」
「そういうことだ。祭りで見つけやすい場所にアカネを導いたのも、合戦に参加しなくて済んだのも、他にお前が違和感を持ったものは全ても私の筋書き通りだ。そしてここまで辿り着いた。何か言うことがあるんじゃないのか。感謝でも罵倒でも屈服でも、なんでも聞いてやる」
姉貴がニヤ、と笑うのに対し、メタローはジッと睨み返した。
「姉貴が暗躍していたのは分かった。確かに、俺は姉貴の掌の上だ。だけど、これは兄貴が言うように良くないよ。今回ばかりは悪だろ。泥の味方に回るだなんて……」
「私が悪か、笑えるな。メタローが正義というのはその通りだろう。しかし、私だけが悪か? 確信した正義ほど汚いものはない。世の中の偽善の方が、衆愚の方が、よっぽど悪いとお前はよく分かっているはずだがな」
ダッチの配信によって集まってきた者たちや、先ほどの祝勝の宴会をする者たちがメタローの脳裏を過る。都合よく、その場の雰囲気で過ごす偽善的な衆愚。
「例えば、狸どもだ。あいつらは簡単に私を頼るだろう。だが、あいつらは私の為に役に立ったことは基本的にない。お前らの様な賢いのを除いてな」
姉貴は次に兄貴の方を向いて言葉を続ける。
「キョウジ。お前にも分かるだろう。狐の気取ったクズどもの為に無駄に苦労させられたことはあるはずだ。元から実力も伴わないのにプライドが高いやつらばかりで、泥に洗脳されても違和感がなく都合が良かった。キョウジ、お前は見抜いたようだがな」
兄貴は顔を上げるとギラリと姉貴を睨み付ける。
「姉貴が、やったのか」
「私じゃない。こいつだ。洗脳が行われたのは災禍の時らしいからな。私がこいつに従い始めたのはその後の話だ。今だって厳密には私じゃない。仮面によって私という人格が表に出されているだけだ」
「ああ、そうかい。じゃあ好き放題言っても構わねえんだな」
ピクッ、と姉貴の眉が動くと、兄貴は畳みかける。
「姉貴。昔言ってたよな。馬鹿と争っちゃ同レベルだと。素人は泳がせる。後で本人が賢くなることがあれば、恥をかくのはそいつだと。大体、それだけの力があるんだ。畜生どもなんて黙らせりゃ良いじゃないか。あんたには出来ないわけがない。それとは他に理由があるんじゃないか」
「そう。姉貴が狸たちや狐に怒りを持っていたのは間違いないけど、もっと発端の理由があるはずなんだ。他にある。例えば、おばちゃん。姉貴にとっては、お母さん、とか」
メタローの言葉にもう一度ピクッ、と姉貴の眉が動く。
「だとしたら、なんだ。女の問題に口を挟むんじゃない。女の問題は、複雑なんだ。敵同士の話なんだ。単細胞な男たちには分からん。良いから、黙れ」
姉貴はそればかりはと遮るが、兄貴は踏み込む。
「女の問題だ? それは嘘だね。姉貴らしくねえ。そういう女を盾にするやつは、姉貴が一番嫌いなタイプだったはずだ。女の前に人間の資格もないと言ってたよな。じゃあ今の姉貴はなんだ。人間として、筋通してんのか」
「話す気があるんなら、二対一で交互に言ってくんじゃねえ!!」
姉貴は逆上し、暗器の速度と鋭さを速めるが、一人と一匹は数歩の動きでそれを避けて見せた。攻撃に慣れたのか、それとも姉貴に躊躇いがあるのか。
「おいおいおいおい……大丈夫かよ……。止めなくて良いのか? メタローは正気なのか? 姉貴が怒って力が増してしまったら勝てなくなるんじゃないのか」
ゴロが冷や汗をかきながら脅えが入った顔でハカセに縋る。目の前のモニターで心拍数と感情値を見ながら、ハカセは言う。
「いや、メタローも兄貴も冷静だよ、怖いほどにね」
ゴロが首を捻りながら渋い顔をし始めるのを見て、ハカセはくつくつと笑いながら述べる。
「姉貴は何が怖いかって、僕らが束になっても敵わない賢さと力なんだ。当たったらヤバイ力を、賢さで確実に当ててくる。それが力に振られるということは、その確実さは失われるということなんだ」
確実に当たれば100食らってしまう攻撃が、怒ると150になるとする。
しかし、賢さが落ちれば命中率は下がる。
当たらなくとも余波のダメージを受けかねないが、それが現在75だと仮定し、メタローのHPが151ならば、元の力であれば二発でやられてしまうが、余波だけなら食らってしまってもその二発だけなら耐えられるということになるのだ。
と言うように、ハカセが妖気を使って色々と解説するが、ゴロはポカンとしている。
「要は、怒らせた姉貴になら勝てるってこと」
「なるほどなぁ!」
ハカセは、ゴロが思考を放棄したのを確認してもうひと笑いすると、勢いを増す戦いを見守ることにした。
姉貴の影の鋭さは強まるが、やはり以前に比べれば正確性には欠け、それぞれギリギリで躱していき、兄貴のかすり傷やグレンマルに外見に罅が入れど、致命傷には至らない。
「今の姉貴は、問題を複雑にして分からなくさせて、周囲に機嫌を取らせようとしている。でも、俺たちには分かる。姉貴の敵じゃないからこそ、分かるんだ」
メタローは兄貴を目で制して、一人で話す。
攻撃をやめ、姉貴の目を見て、一人で話していく。
「話し方が分かってる姉貴なら、簡単なことじゃないか。家族で、里まで付いてきてくれたお母さんなら、一言言えば良かったんだ。そこから目を背けて、複雑だと思い込むことでちゃんと見ずに投げ出すなんて、文句言われない資格があんのかよ。ちゃんと話せよ。だってそうだろ。女同士は、敵かも知れない。でも二人は、女の前に親子だろ……!」
「じゃあ家族の問題だ! 他人が家族の問題に口を……!」
姉貴がそう言うと、メタローはそれにかぶせる様に叫ぶ。
「俺たちは! アンタの家族じゃないのか!」
一瞬ハッとする姉貴に対し、兄貴は頷いた。
「そうだ! 俺には物事の詳しいことは分からなくても、そう言う姉貴が解決しようとしてないのは分かんだ! 俺が、俺たちがどれだけ姉貴のことを考えてきたと思ってるんだ! 出来る範囲で諦めないことを、姉貴はしてきたのかよ!」
弟たちのその言葉に、姉貴は頭を抱え始める。
正に彼女の葛藤を示しているかの様に、暗器はゆらゆらと揺れ、目的を失って見える。
「私にはそれが限界だったんだよ!」
「その時はそうだとしても、今の姉貴なら大丈夫だって!」
「ああ! 俺たちがついてる!」
──私の問題が終わらないと他のことが片付かない。それほどお前らは自分のことの様に悩んできてくれたのか。
姉貴はそれを理解しながら、まだ認められない。
「いや、関係ない! 勝手に、勝手に分かった気になるな!」
「分かるよ! 俺は、あんたに付いていけた弟分なんだから!」
「ぐっ……!」
姉貴の脳裏にチカッとよぎる。
これまで自分を探してきた二人の苦労が。
「く、くぅ……」
姉貴の脳裏に、今度はチカチカッとフラッシュバックの様にありありと浮かぶ。
自分が悩み、苦労してきたこと。そこには彼らがいて、支えられたこともあった。
彼らの自分への想いは、世界を滅ぼすに足りるか。
頭を抱えた姉貴の暗器は暴れ出すが、一人と一匹はそれを片っ端からギリギリで避けきり……流石の姉貴の妖気にも疲れが見え始めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「どうだ……姉貴……」
「話を聞いてくれるかな」
お互いに息が切れた頃、パーツが悲鳴を上げ、崩れ始めているグレンマルを愛おしそうにひと撫でしたメタローは姉貴へ近づいて行った。
ゴロとハカセに支えられ、兄貴は強がりながら言った。
「メタロー、行け……」
兄貴のその声を聞き、ダッチやブンゴの顔を思い浮かべ、メタローは頷く。
「姉貴の言いたいことは分かるよ。他に行く場所のない奴らは、いつも必死だ。他所でやっていけない様な連中だから、無理して意地を守ろうとするし、排他的で余裕がないから、相手を傷付けることにも気付けない。だけど、あいつらと俺たちは表裏に過ぎないのかも知れない。だって彼らは共同体に、俺たちは賢さに縋ってるに過ぎない」
ナルミ、ホスウェイ、シズクの顔が過ぎる。
「兄貴が言った様に、いざと言う時には力を示すのも良いと思う。だけど、彼ら全員が悪いかって言うと、そうじゃない。狸にも、狐にも、人間たちにだって、良い奴はいたじゃないか。その能天気な優しさに救われることだってあったじゃないか。姉貴の気持ちが通じる相手はいるさ。だってその姉貴の優しさを受けて、今こうして俺たちがいるんだから」
そして、おばさんと姉貴の部屋を思い出す。
「おばさんはいつ姉貴が帰っても良いように、部屋を掃除して、ご飯を用意して待ってる。姉貴が何処かで幸せにしてくれるだけで良い、そうじゃなければいつでも帰ってくれば良い。そう示してくれてる。俺たちもそうだ。いつでも誰かが姉貴のそばにいることは、覚えてて欲しいな」
メタローは伏せた目を開け、姉貴に目線を戻す。
「だから、俺たちと帰ろう。もし姉貴が悪かったんなら、一緒に謝るからさ。何でもそうしていこう。格好悪くても、泥臭くても、一歩ずつ一緒に」
メタローは姉貴に手を伸ばす。
「メタロー、お前……やっぱり、変わったな……」
最早頭が動いてなさそうな姉貴は疲れた顔で笑った。
しかし、姉貴の手を取り、起こしたその瞬間だった。
どびちゃっ……。
主導権を持つ者が変わったかのように、姉貴の足元にあった泥が姉貴から離れると、メタローへと飛び掛かった。
唖然とする一同を他所に、その泥はメタローを波の様に運び、宙で包み始めたのだ。
メタローは不意に懐からドスを出したが、泥のぬめりで手から滑り落ちてしまう。
姉貴はその瞬間を見逃さなかった。妖気でドスを掴むと、両手を地面に付き、クラウチングスタートの要領でミサイルの様に跳んで、泥に追いついた。
「紅蓮一刀流! 改式・闇裁ち!」
メタローを包んでいく泥の根元を、ドスで放つ銀の光で断ち切った。
泥はその切り口から固まると、結晶の様に凝固していく。
「ほう。神器じゃないか。やられたな。どこに隠してたんだ」
一同がその声に振り向くと、そこに居たのは火男の面の男であった。
その足元から先ほど姉貴がいた場所まで泥は伸ばされており、彼が泥の主導権を奪ったのだと分かった。しかし、姉貴は驚くどころか、ニヤ、と笑うとゆっくりと立ち上がった。
「これがシズクんとこにあって、こいつが受け取るのは推測できたさ。取り込まれる前に立ててあった計画なら、アンタにも読めなかったろ。計、画、通、りだ」
それに対する返事代わりに、火男は最早隠す必要もないと言う様に仮面を上げた。
兄貴は目を見開くと、嘘だろ、と呟く。
「お前がこんなこと……。いや、違う。お前じゃない。お前じゃないんだよ! その顔で、その声で、何もかも! 許されるわけないだろうが!」
そこには兄貴と姉貴には見覚えのある顔があったのだ。
それは災禍において狐の里からの犠牲者となった狐の裁定者の男が顔あり、兄貴にとっては自分に火を与えた狐であったのだから。
「キョウジ、撤退だ。泥ごと掴んで逃げるぞ」
「でもよォ、あいつが全ての元凶なんだろ! しかもあの姿は! 畜生が!」
「撤退だと言っている。お前、メタローの兄貴なんだろうが。こういう時、あいつが起きてたらどう考えるか、考えろ。信じるんだろうが、あいつのことを」
姉貴の言葉で兄貴がハッとすると、急いでメタローを泥ごと担ぎ、深呼吸して精いっぱいの虚勢で口角を上げると、裁定者へと指を突き付けた。
「俺はお前を許せねえ! だけど今は敵わねえ! 二度と負けねえ返り見ねえ!明後日来やがれ、のっぺらぼう!」
姉貴が生み出した門に引っ張り込まれる兄貴を、火男は笑いながら、白く美しい少女の手で般若の面を取り出した。面を少しずらし、赤い目で離れていくメタローの背を見送ると、彼女は一言呟いた。
「またね。こんこん」
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