最終章
第九話 覚醒憑着 メタロード 巻の壱
姉貴と共にメタローの結晶を背負った兄貴が狸の里に着いた頃、そこは武装した狐でごった返していた。
まさか直接攻めにきたのか。ある種の儀式である合戦はまだしも、平時の戦闘は神聖さを欠くとして禁止されてるはずだ。しかし、仮面の男が洗脳した狐たちに指示したのなら、そこにルールはないだろう。
「おい! お前らどういうつもりだ!」
警戒する声に振り返った彼らは兄貴を目にすると、一斉に泣きそうな顔で武器を放り出して駆け寄ってきた。
『全ての畜生に告ぐ。合戦の最終戦は、明日の正午からとする。私と私以外の戦いだ。これに負ければ再び災禍が起こると思ってくれ。これは警告ではない。最終勧告である。繰り返す。全ての畜生に告ぐ……』
彼らを連れて里に入ると、天狗の配信の回線がハッキングされたのか、常にその放送が流れていたのだ。
映像では現在の空同様、この世の終わりの様に赤黒い空と紫の靄が漂っており、その中から現れた宙に浮く天守閣では火男の仮面の男が見えた。
「姉貴! お義兄さん! 奥の部屋へどうぞ!」
兄貴は呼びかけに怪訝そうに振り返ると、シラユキが代わりに「姫」と答えた。
シズクが出てきた屋敷には『狐共狸連合本部 こっくりれんごうほんぶ』との真新しい立て札があり、その座敷には見慣れない狸や狐までもが集まっているのが分かった。
里で一番大きいこの屋敷は、今や、合戦の会議における集会所となっているのだ。
兄貴と姉貴はシズクとシラユキに続いて屋敷の庭を横切ると、奥の部屋へとメタローを運び込んだ。
シズクは全てを察した顔で目を閉じたメタローの結晶を撫でて一度祈ると、そこからは最早自分に出る幕ではないとばかりに、「それでは」と頭を下げて去っていった。
早速と言う様に兄貴は呟く。
「メタローはどうなる」
姉貴は当然だと言わんばかりに飄々と答える。
「見りゃ分かるだろ。何もしなくていい」
「あ?」
「私が使ったあのドスな。ありゃお前のお母さまが遺してくれた神器なんだ。あれの入れ物の竹は月から受けた神聖な力を随分溜め込んでいるらしい。お前の名前も彫ってあるし、言わば『漢の拳』を濃縮した卒塔婆のみたいなもんだ。それで妖気を浄化し、奴らの侵食を止めた」
「それってメタロー自身は大丈夫なのかよ」
「無事ではないが、修復される、と言えば良いのか。あの泥というのはな、この世界の澱なんだ。あらゆる命の後悔の念が納められたデータベースだ。過去現在未来の知識、歴史、ありとあらゆるものを寄生先の頭の中に流し込みながら洗脳し浸食することで泥の根源に繋がる端末へと変えるんだ。今のメタローはさっきまでの私に近い。侵食はされなかったが、あとは本人の妖気が情報に耐え得るかどうか次第だな。ま、大丈夫だろ」
絶句している兄貴を他所に、姉貴は説明を続ける。
「もし起きればメタローは元の自分がどれだかは分からないかも知れない。だが、何度も後悔しながら死んだ後にここへ返って来た頃には随分強くなっているのも間違いない。本来歴史の黒衣に過ぎなかった子狸が、私たち主役の役割すら背負ってくれる。恐らく、アカネも同じことになってるだろうよ」
兄貴は頭を抱え、悩みながらうめく。
「ちょっと待ってくれ。意味が分かんねえ。泥? 繰り返す? 何を言ってんだよ。一から説明しろよ」
「そうだな。お前らが勝ったんだ。講義してやろう」
×××
姉貴は立ち上がり、妖気で黒板を生み出すと、チョークで図や文字を書き始めた。
「妖怪は名前を付けることで能力に制限を付けられる、と言うのはお前も聞いたことがあるだろう。だから私はあの泥を『定義のしにくい、言い表しにくい』と言う意味で、私はあの個体をイリューシブと呼んでいるが、まあ説明する間は泥で良いだろう」
「イリューシブ……。略してリュウシってとこか」
姉貴はそのネーミングセンスをスルーすると、黒板をトントンと叩く。
「さて、続けるが……。まず仮面だ。あれは泥が取り込んだ知的生物の感情的側面を凝縮したものだ。しかし、仮面はあれの能力の一側面に過ぎない」
考えながら頭を整理している兄貴を前に、姉貴は喋り続けた。
「人は死ぬ前と後で体重が失われる。それが魂の質量ではないかと言われるが、まさにそれなんだ。あの黒いもの、炭、黒虫、および泥と言うのはな、その魂が旅立つときに落とした滓だ。善性でも悪性でもないその残り滓が蓄積して、形を持ったのがあれなんだ。これがいや全く、研究者として言うなら、とても素晴らしい情報体だ。そして、特筆することにあの泥には、平行世界の魂も集まっているんだ。それこそ、あり得なかった過去、未来もだ」
姉貴は歩き回りながら、目を輝かせて語る。
「自暴自棄になった私が純粋に兵器として利用しようとしたあの泥の中には、時空を超えて魂の情報の残滓が溜まっていた。だからこそ、私は閃いた。あの中に入った上で奴の手中から抜けられれば、経験値も知識も、まるまる頂ける」
「だから、メタローで試したのか」
「それは違う。私自身で十分に試したからこそ、メタローにも与えたんだ。危険性が分からない場所へ大事な弟を先に行かせるものか」
姉貴は不満そうに反論し、溜息を吐く。
「あの中で見てきた歴史では、私たちはどの世界でもメタローは無駄に死に、私たちはどちらかが死んでどちらかが英雄となる役目にあった。そんな時、アオイが泥に飲まれた。だから、メタローを英雄にすることにしたんだ。泥の中で強調されたアオイはそれでも善性に満ちていた。姉想いの妹は私の計画に協力し、メタローを物語へ引き込んでくれた。今回のMVPと言っても良い」
「つまりなんだ? 全部姉貴の計算通りってことかよ」
「いや? やはり私たちどちらか死ぬんじゃないかと思ってたさ。泥は私から離れず、メタローがドスで私を殺す。それが綺麗な終わり方だとな」
兄貴が不満そうにそう呟くと、姉貴はさらっと答える。
あまりに自然に答えるので兄貴は恐る恐る確認を取りにかかった。
「仮にあいつも俺も姉貴に勝てなかったら、この世界はどうなってたんだよ」
「ん? うん。くく、くくく……。だったら、滅んでただけだろ、こんな世界!! ははは!」
「あ、そう……ははは……」
姉貴は少し考えると、何処か変なスイッチが入ったのか、口を押えるほどに笑い始めた。兄貴は合わせて渇いた笑いを浮かべると、メタローの結晶の方へと眼を逸らした。
姉貴も結晶を一撫ですると満足そうに溜息を吐き、まだ眠る弟分への思いを馳せた。
──強敵と対峙した時は、逃げるものが大半であり、挑戦する者が少数だと凡人どもは言うだろう。しかし、それは厳密には正しくない。
そもそも、強敵と対峙する資格がある者が少数なのだ。
その上で、立ち向かう勇気を持つのが更に少数だと言える。
そんな勇者の中で、最も優れた者はどんな者だろうか。
拳を交わす者ではない。頭で勝つ者でもない。そもそも、勝利が必要ない。
メタローの様に、如何に被害が出ないように争いを避けるか考えるのだ。
戦いなんてものは最終的な手段でしかなく、危険信号に気付かないうちに事に至ってしまうことそのものが愚かなのだ。
それは何故か。
ある程度の実力者を越えた者同士が争うことになれば、その相手を殺しかねないからだ。
それを分かっているから、お前は戦いを避けてきた。
だから、私たちは死ななかった。
歴史は勝利と敗北の印象が強く、そればかりが語られる。
しかし、最も優れた戦績というのは、記録に残らないものなのだ。
ここでは何も起きなかった。起こさせない働きをした者がいたからだ。
結果が残らなければ自信は持ちにくいことだろうが、お前はそれだけのことをしたのだ。
たとえ不器用でも地味でも、水が一滴ずつ落ちていつか石を穿つように、積み重ねることが出来るお前だからこそ今がある。
誇っていいんだぜ、メタロー。
×××
真っ暗な泥に包まれ、身動きが取れないと触覚が訴えている。
その上、自分のものだけではない後悔に襲われ続け、最早諦観すら感じ始めた。
そうしていつ終わるかも分からない苦しみの中、不意に、掌の形をした純粋な善意がこちらへと差し出される感覚があった。
この感覚は、これまでも何度も感じたものだ。
これまで何かを諦めかけた時に、何かが運命を導いてくれる感覚。
経験則からメタローはそれを信じることを決めると、闇雲にその毛むくじゃらな手を取った。
そして──、不思議な全能感と共に、世界の空気や匂いに懐かしさすら感じたメタローが目を覚ますと、目の前にいたのは兄貴であった。
メタローは、兄貴分の顔を数十年ぶりに見るかの様に、まじまじと見た後、一気にこれまでのことを思い出しながら頭を押さえると、兄貴に問いかけた。
「兄貴、俺、何日寝てた……?」
すると、兄貴は驚いた顔からゆっくりと安心した微笑みを浮かべた。
「一日も経ってねえよ。お前、何か変なことはないか。あのイリューシブ……。リュウシに襲われてから」
「アレ、リュウシって言うんだ。まあ、異変っていうか、なんというか……。第一、俺はメタローで合ってるのかな……」
「そうなるのも無理はねえ。だが、大丈夫だ。お前は俺の弟分、メタローで合ってるよ」
兄貴は腰を上げると、メタローに手を貸した。
「そんな状態で頼んじまうのは良くねえかも知れねえが、姉貴が呼んでるぜ」
「あと五分寝かしてくれない?」
「せっかく起きれたことも夢になっちまうぜ」
なんとなくメタローがふざけると、兄貴は肩を組んで笑った。
その眼には珍しく、涙が光っていた。
×××
到着した場所はラボであった。
見覚えはありながらも雰囲気が違って見える。
姉貴がいた頃のラボをハカセが個人的に使っているのは知っているが、普段はこんなに大きくなかったはずだ。
メタローの思考を読んだようにハカセが答える。
「俺は使いこなせないから一部しか使ってなかったんだよ。隔壁を開くと実はこんなに広かったりする」
感心しながらメタローがラボの中を眺めていると、そこには解体されたグレンマルのパーツが並んでいた。長い間使ってきたし、あの戦いでは随分と傷付いた。いつの間にか致命的な攻撃も受けていたのかもしれない。いつか壊れるとは思っていたが、それが今日だったのか。
メタローは溜息を吐くと、それらの中心に空いていたスペースに座り、パーツを眺めていった。どれも見覚えがある。何度か洗車(?)をしたこともあるし、それぞれに機能があるのだとハカセに解説されたこともある。
一通り眺めたメタローがもう一度溜息を吐き、立ち上がろうとしたその時だった。
何に反応したのか、パーツが妖気を帯び始めた。そして、グレンマルのモニターが宙に浮くと、メタローの前にやってきた。そこには『憑着変化』との文字があり、メタローは首を捻った。
「トリツく、ヘンゲ……?」
誰にともなくそう問うと、ガラスを隔てたモニタールームから姉貴がこちらへアナウンスの機械で声をかけてきた。
「そいつらがこれからグレンマルたちの代わりにお前の力になる。憑依、装着でヒョウチャク。通して、ヒョウチャクヘンゲと読ませる」
「これってもしかして仮面なんたらって言うか、ぽんぽこ仮面って言うか……」
ハカセが何か言おうとしたのを遮るかの様に、姉貴と姉貴は揃って眼鏡をズラし、ガンを飛ばす。
「座ってろ」
「フリじゃねえからな」
ハカセは縮こまり、頷くしかなかった。
「メタロー、準備はしてある。後はお前がやるだけだ。出来るだけ大きな声で、思い付く限りの格好良いポーズで叫びな」
モニタールームの全員がガラスを通してこちらを見る中、メタローは一度深呼吸をすると、記憶を探った。
過去の記憶、自分の経験、かつて見た作品。
それらを頼りに、感覚が導くまま、身体を動かしていく。
まずは、だらん、としたまま両手をゆっくり上に持ち上げ、まるで濡れた手拭いを鳴らした時の様にしなやかに、パン、と柏手を打った。
その途端、姉貴が音響を弄っているのか、三味線の音が聞こえ始める。
メタローはニヤと笑いながらも、合わせたその手を放さず、目の前で祈る様に揃えると、スッと眼がトランスモードに入ったかの様に揺らいだ。
彼はそのまま流れる様に江戸っ子の仕草の様に左の掌で前髪を上げ、顎を少し上向けながらその片目を開ける。
「憑……」
右手が何かに憑着かれた様に顔を掴み、ぐ、ぐ、ぐ、と顔の角度が下を向く。
バッ、と爪を立てる様に指を広げ、後ろへ構える。
「着!」
それらの手を腹の前で交差すると、何処からか鳴った
気分に任せ、そのまま見栄を切ると、拍子木の音が鳴り響く。最後にパーツが一斉に、イヨオオオオオオオ! と雄叫びを挙げると、仕上げに何処かでポン! と小太鼓の音がした。
一同が圧倒され口をポカンと開ける中、姉貴だけは満面の笑みで大きく拍手をしていた。
「素晴らしい初変身だ……」
ゴロとハカセは小声で話す。
「これ、なんなんだ?」
「まあ、分類的にはライダーってもんだけど……知らない?」
ゴロは首を傾げながら頷くが、聞こえていたのか、姉貴はゴロの側へ寄ってくると、普段では考えられないテンションの高さでペラペラと話し始めた。
「ライダーってのはな、バイクに乗るヒーローのことを指すんだが、最近は乗らない奴、バイクじゃないやつとかもいたりするんだ。私の頃は日曜の朝に起きたら見るもんと言えば巨大ロボの後はライダーだって決まってたんだ。そう。皮膚がアーマーになるやつもいれば、人工的なアーマーを装着するのもいる。まあそういう意味だとこれもそうだ。えー、メタローのライダー」
姉貴の勢いが急に止まると、ハカセがその意図を汲んだ。
「名前、決めてないんですか」
「あ? あー、私はそう言うセンスがなくてな……。キョウジが大体決めてるんだ」
兄貴はそれを聞くや否や、腕を組む。
「すぐ思いつくぜ。えーと、グレンマルがアーマーになったもんだからよ。アーマード……グレン。そうだ。苗字はアーマードグレン! 名前の方はメタロー、お前が付けろ」
「苗字……。俺はこのガラクタ、いや鋼の支配者になるわけだから……メタルロード、とか」
「メタローのメタルロ、メタレ、レ、レ……」
ゴロがそのまま言おうとして舌を噛みそうになっているのを見かね、メタローは訂正を入れる。
「じゃあ……メタロードってのはどう?」
メタローがそう提案すると、ゴロが「メタロード……」と呟く。
「アーマードグレン・メタロードか。良いじゃないか」
一同は、鋼の戦士の、小さく、しかし覚悟が決まった背中を眺めると、満足そうに頷いた。
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