間話 姉貴編
間話 第五 DROWN IN THE DARKNESS 巻の壱
やあ、お疲れ。私は……姉貴と言えば分かるかな。
諸君は、化け学というものを知っているだろうか。
化学? あー、許してくれ。そうだよな。ここで私が言っているのは、諸君の知る理系科目の化学のことではない。我々人間の価値観からすれば、どちらかと言うと勉学ではなく、武道や魔術の様な『身に付ける技術』である化け学と言うものがある。そっちの話だ。
諸君に分かり易く端的に言うならばつまり妖術であり、それは狸と狐、そして猫が使える変化──最初は変化対象の髑髏を用いていたが変化技術が進み、のちに木の葉でも、そして近年は愛着のあるものから引き出したイメージだけで出来る様になった──を基礎とした妖気の応用術のことを言う。
化け学と化学の名前が似ていることに意味はない。そもそも化け学の方が狐狗狸とそれと通ずる人間たちの中で先に存在したのであって、自然科学、ケミストリーの化学はそもそもオランダ語由来で舎密/セイミと呼ばれていたのだ。1861年に川本幸民が翻訳した書籍を化学新書と題したことで化学という言葉が初出した後、1872年の学制公布から舎密は化学に統一され、それからバケガクと呼ばれたわけで、歴史としては随分最近だ。
それからは化け学の方はこの様に送り仮名を付けるか、『化』の漢字の構成をバラすとそう見えること、また幻覚の様な妖術にイリュージョンの意味も込めて別の呼び方をするんだが……おっと、話がずれてしまった。
読者の諸君が何処までご存じかの想像をせず、説明に集中してしまうとは。私は講義が仕事ではあるが、諸君が知っていて「そんなの当たり前だ」と退屈し始めることまで講釈してしまっては失礼だろうし、この辺にしておこう。
さて、今回私が話すのは、私がこれまで何をしていたのか。
狸や狐たちと何があり、今に至るのか。
この機会に、物語の裏側をお披露目しようと思う。
×××
私は元々継ぐ子となる前は大学に通っていた。
その大学は神道に関する大学であり、確実に子供に引き継がれる様にか、親もしくは祖父母までが過去に通っていれば試験もなく入れる場所だった。
つまり、自分の望むものを突き詰める学問は好きなので大学には行きたいが、強いられる受験勉強の様なものが嫌いだという私にとってはとても都合が良かった。
入った後も、神社の跡継ぎへの配慮か、ある程度の融通が利く自由な立場であった。
育ってきた家庭環境が合わなかったのもあり、当てつけの反発意識として悪魔崇拝の様な格好をしていると、基本的に人も近寄ってこなくて一石二鳥。大変気分が良かった。
しかし、そんな私でも、学問は大好きで、中でも大変興味があるものには熱中した。
それが、狸、狐を含めた、妖怪変化である。
と言うのも、昔、京都大学には、狸に詳しく会話までしたという教授がいたらしい。
この学校では、彼の弟子にあたる人/天野教授が伝承文学研究と言う名目で、その研究を引き継いでいたのだ。早速私は彼の授業に潜り、質問があるという体でコンタクトをとってみた。
彼の研究室に入った時、私は単刀直入にと思い、「狸と話したいんですけど」と声をかけると、「そんなこと言う奴は俺以来だ」と少し寂しそうに笑った。
彼によると、彼自身は霊感に関するものはさっぱりだが、師匠は勿論、奥さんと息子さんがとても強いらしく、否定するにも出来ないまま研究を続け、未だに狸と話せない。だからこの世で一番話したがってるのは俺だと言って譲らなかったが、私には素養があったならいつか狸との通訳をしてくれと、師から受け継いだ『化け学』について一から教えてくれた。
私は習っていく内に疑うどころか、幼少期から持っていた人間社会への違和感の理由がハッキリしたと感じ、やがて「狸に会ってみたい」と伝えると、教授はとある名刺を私にくれた。
そこには、日本の中華街の料理店の名前が書いてあった。
彼が言うには、もし私に霊感があり、上手く狸側の店へと入れたのであれば、自分の師匠がそうできた様にそこで何か出会いがあるだろうとのことだった。
勿論、その日のうちにそこへ向かった。
そこは、あまり人が通らないような通りの更に奥にあり、周囲と比べても明らかに古い家であった。私は本当にこんなとこに入っていいのかと悩みかけたが、店の側に『とさのきぬ けば いしの』とある、古そうな門があったのが幸いだった。
た抜きの言葉遊びか。
つまり、たのしいばけたぬきのさと。
こんな分かり易くて良いのか?
苦笑をしながらその店に入ろうとしたとき、何処からか少し強い風が吹いた。
その一瞬、本当にその一瞬だけ、まばたきをした。
次の瞬間には、山伏の様な服装の老人が側にいた。
今思えば、私の見慣れない妖気を感じ取りこっそり近づいてから隠れ蓑から現れただけだろうが、その時は、無音で瞬時に現れたその老人を明らかにおかしく感じられていて……何か面白いことが起き始めているのだと私は良い意味でゾクゾクしながら、老人の言葉を待った。
「お前は何者だ。何しにきた」
そう聞く老人に、私は単刀直入に言うべきだと割り切り、
「私は人間。天野教授の代わりに、狸に会いに来た」
そう答えると、老人は店の扉を開けた。すると、そこは明らかに外観と違う、何処かの居酒屋に繋がった。
何をやった? 誰がやった? 自明だろう。老人によって奇妙なことが起こされたのだ。
目の前で起きる気味の悪い出来事。それが本当に心地良かった。
一方、彼は勝手知ったるように中へ入ると、座敷へと向かっていった。私に向かいに座る様に勧めると「酒は飲めるか」「天野教授は妖力がないからこっちの店で良く飲んだもんだ」とだけ言うと、掌を机の上にかざした。
次に目を開けた時には、やはり不思議なことが起きていた。机の上には、天狗の絵が描かれたウイスキーを始めとした複数の酒瓶と、ジョッキやグラスや御猪口が並んでいたのだ。
妖気から生み出したのか、門から出したのか、召喚したのか。
分からないが、ともかく彼は自分が一杯やるごとに、私にも一杯寄越した。
これ以上何か聞きたければ勝ってみろと言うことだろうと察した私は黙って従った。
勧められるがままに呑み、お返しに呑ませた。結果から言えば、やがて、いつまでも続くと思った酒戦は……あっけなく終わった。思ったより老人は酒に弱かったのだ。
ごめん、嘘だ。あまりに良い酒だったから一瞬の様に感じただけで全然余裕で一晩明かした。それに彼は弱くない。私が強かった。こればかりは遺伝としか言えないが、何故か私は全く酔わないのである。体質があまりに闘飲に向き過ぎていた。
気付いた時には老人は真っ赤になり、ふらふらとしているだけではなく、いつの間にか鼻が尖り、伸びていた。
その姿はまるで……。
「……天狗だったのかよ」
私は納得しながら、片手に酒瓶を、もう片方の手に動かなくなった老人を狩りの獲物かの様に引き摺りながら外へ出ると、そこは見覚えがない明け方の山の中だった。
唯一見覚えがあるのは門であり、そこには予想した通り「たのしいばけたぬきのさと」と書いてあったが、あとは何も人工物がない。振り返ると居酒屋もなくなっていた。
まるで化かされたようである。つまり、私は望んだとおりに、ちゃんと目的地に辿り着けた様だった。
茂みが揺れた。こちらを何匹かの狸が伺っているのが分かる。
殺意、とはちょっと違うな。畏れみたいなものに近いかもしれない。
勝てないと確信しながら玉砕も辞さないような、そんな雰囲気だった。
私は取り敢えず天狗を盾にし、ガンを飛ばして牽制した。
「やんのか畜生ども」
今にも彼らをぶっ飛ばさんとする私にか、それとも周囲の狸にか。
「ま、待て……」
天狗が手を上げた。この獲物、生きてたらしい。
「この女はワシに勝ったのだ……。狸の継ぐ子とするに相応しい」
そういうわけで、私は継ぐ子となった。
聞いてみれば継ぐ子というのは、これまで何人も人間から選ばれては天狗から神通力や妖術を習い、狸には知識や戦略を与えて革命を起こしてきた存在だそうで、別に私が初めてじゃないらしい。教授の奥さんもそうだったというから驚きだ。だったら良いかと、私も例に漏れず天狗からこっちの世界について色々教わる傍ら、狸たちに人間界の知識を授けることにした。
教えることは思ったより楽しかった。
里が段々目に見えて発展していき、快適になっていくのは気分が良かった。
大学で教師の資格の取れる授業を受けたことが思わぬところで役に立った形になる。
狸たちを教育していく中、妖気を帯びた狸は寿命が長く、人間における旧世代的な価値観の狸が多かったことには辟易した。私が教師になるのをやめた理由、教職課程で出会った将来『厚顔無恥で無責任な小中学の教師』となる卵たちを思い出させられる様だった。悪い意味での伝統や現状維持が蔓延っていた。
しかし、一部で若く賢く気が合う狸たちとの交流もあり、私は主に彼らとの協力で人間界に見劣りのしない里を作り上げた。やがて彼らに子供が生まれ、その子供たちに物心が芽生えると共に、私は面倒を見、教育をし、考えを継いでくれる者たちを育てた。勿論合わない生徒もいたが、それはそれだ。彼らは旧世代の狸から学ぶだろう。私は継ぐ子として新しい道を、これまで救われなかった狸たちに与えていった。
私の努力はいつか実る。その日が楽しみだった。
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