間話 第四 INCAPABLE WORKHORSE 巻の参
×××
起きたのはいつもと変わらない天井だった。
あれからの記憶がない。恐らく天狗様は送ってくださったのだろうが、俺は自分の考えを整理するのでいっぱいいっぱいだったのだろう。
それだけ、ショックだったのだ。
何もしてこなかった自分のことも、その自分と同程度、もしくは劣ると思っていた者たちでも、しっかり努力はして、自らを磨き、生きることをしていたのだという事実が。
その日は、何も出来なかった。
他ならぬ姉貴に、俺が間違っていたと言われたこと。
天狗様に自分に出来ることを考えろと言われたこと。
俺程度の頭では全てが分からなかった。
だけど、それを怒りとして放り投げることは出来なかった。
これは罰なのだと、今が考える時なのだと言われている気がしたからだ。
やり直すには、今しかないのだと、気付いたのだ。
だから、俺にも出来ることが何かないのか、例え思いつかない気がしていても、考える努力をすることにした。
前に進もうとしていたメタローの足を引っ張ることしかできなかった俺に、今更何か出来ることがあるのか。
出来ることと言うのも、あいつに許してもらえば済むとかの話ではない。
この場限りをなんとかしても、俺が変わらなくては何度もこれから俺はやらかすだろう。
そう、なんとかするのは俺の性根の話だ。
今後も俺が問題を起こさない様に、自分を律しなくてはいけないのだ。
じゃあ、どうすればいいのか。
例えば、小さいことからでも、何か出来ないだろうか。
そう言えば、世の中は今どうなっているのだろう。
まずは情報がないことには分からない。
×××
情報集めと言えば……と閃き、食堂に向かった。
予想通り、いつも通り、そこにはダッチーズの若い狸が集まり、駄弁っていた。
この空間は居心地が良く、流されてどうでも良くなりそうになってしまうが、メタローを思い出す。あいつならそうはならない。
そうだ。俺は自分を律して、変わるのだ。
意志を保ちながら、ダッチの席へ向かった。
「ダッチ、久し振り」
俺は、随分懐かしい感じがして、そう話しかけた。
「お、ブンゴ! お前何処行ってたんだよ、今大変なんだぞ~?」
ダッチは全く気にしてない様に、かつ話題の当事者意識も全くない様に薄っぺらく笑った。
それから俺はしばらく彼と、彼が呼んだ周囲の狸とも話した。なんでもあの後、メタローたちは姉貴を説得し、泥と決別させることに成功したらしい。今の俺は素直にそれをすごいと思えた。一歩前進、したんだろうか。
しかし、泥は再び災禍を起こそうとしていて、幽霊をけしかけてくるそうだ。幽霊相手では単純に人数が足りずにどうにもならないのはダッチでも分かっているらしく、合戦の時点で里が滅ぼされてしまうかも知れないとは言いながらも、だからと言って自分たちが何かするわけでもないらしかった。
努力もしないのに、文句だけは言う。他人事なのに、指示だけはする。奇妙ではないか。
「そんな危機なら最早狐と争っている場合じゃなくないか? 狐に頭を下げて人数を揃えればそれなりのものになるのではなるだろ」
狸たちは不思議そうに「ブンゴらしくないな」と笑い飛ばすと、そういう話なら、と先輩たちがどうしているのかを話してくれた。
「それが、狐と手を組むぐらいなら死んだ方がマシだとか」
「それに大戦争と言ってもな、俺達って結局我が身が大事じゃんか。先輩たちは尚更そうだろ? どうにもならねえよなあ」
「メタローたちの話を聞きもしなかったらしいんだ。純粋な狸以外の話は聞きたくないんだってよ」
ああ、俺が生きてきたのは、敬ってきたのは、そういう世界だった。
メタローたちはこんな気持ちだったのか。こんな辛さを抱えていたのか。
心が折れそうになる。だが、立ち止まっている暇はない。これまで俺は散々休んできたんだ。今頑張らなくてどうするんだ。
自らを奮い立たせると、そこで俺は閃いた。
「純粋な狸の話なら、聞いてくれるってことだよな!」
老狸たちは差別を隠そうともしない。だから純粋な狸の話しか聞かない。それは建前ではあっても、彼らが大義名分として掲げるだけ、一度は守ってくれるはずだ。純粋な狸である、俺とダッチの話なら、一度は聞いてくれるはずだ。
「俺でも出来ること、あった……」
俺はすぐに駆け出した。
「おいブンゴ? おい! あ、おばちゃん! あとで支払いに戻るから!」
ダッチたちの声が後ろで聞こえ、どたどたと彼らが追いかけてくるのが分かるが、待つ時間が惜しい。俺は妖気を辿り、一直線にワダヌキ大先輩たちの元へ向かったのだった。
古狸の中で一番交流があるのはワダヌキ大先輩だ。彼は問題の多い狸だが、年功序列では上の方にいる。つまり、自分の想像の付かないほどの知り合いがいるはずだ。もしもそれを動員して、狐とも手を結べれば、人員は何とかなるかも知れない。
そう思ったのだが……俺は、先輩は古狸の例外に漏れないことを忘れていた。
彼の第一声は、こうだった。
「俺は狐と差別が大嫌いなんだよ! 奴らと手を組むぐらいなら世界が終わっても構わないね!」
そうか。
これが姉貴が嫌がっていたものだったんだ。
彼女らはこういう気分で俺たちと対峙していて、そんな状況で、自らのことをなそうと頑張ってきていたのだ。
「言いですか、先輩。まず、狐と狸の原因ってのは俺たちには直接関係あるものではないでしょう? 先輩が何か狐に直接された嫌なことってありますか? 狸同士の方がよっぽどあったんじゃないですか」
俺はなんとか足りない頭を無理に動かして話を進めようとするが、
「それでも俺は嫌いなの! 狐が全部悪い!」
大先輩はそう言って聞く耳を持たない。
会話をキャッチボールではなく、ドッジボールの様に捉えている。メタローが彼に諦めた対応を取っていた理由がハッキリした。
だが、諦めてはいけない。俺なら出来る。大先輩たちの考え方を知っているからこそ、メタローが出来なかった彼らの説得を、俺がしなくてはならない。
大先輩は何が好きだったか。
最後に会った日に何をしていたか。
そこまで考えると、自然に言葉が出てきた。
「もしですよ。死んだら味覚は残るんですかね」
「何?」
大先輩は怪訝そうに聞き返す。
聞き取れなかったのか、理解できなかったのか。
どちらであれ、聞く耳を持ってくれたチャンスに、俺は畳みかける。
「もしかして、世界が滅んだら、それこそ人間まで死んでしまったら、料理の文化まで消えてしまうんじゃないですか」
俺がそう告げると、大先輩は段々と意味を理解したようで、ピタ、と動きを止めて眼だけ動かし、不安げな表情になっていく。
「そんなバカなことがあるわけないだろ! なあ! 皆も言ってくれよ!」
ワダヌキ大先輩は怪訝そうにこちらを見ている後輩たちを見回すと、傾鳥先輩を見つけて声をかけた。
「こんなこと言ってるけど、そんなわけねえよな! どうにかなるよな!」
「いや、俺も死んだことないんで分かんないですけど、味覚は消えるかもしれないし、文明が崩壊したら料理はなくなるでしょうね……」
傾鳥の返事で、これまで見たことのない顔でワダヌキ大先輩は震え始める。
その振動は建物にまで伝わり、地ならしの様に周囲が揺れ始めた。
狸たちは外を見たり、周囲を見ながら揺れが収まるのを待っているが、俺は覚悟を決めた。
ここが勝負だ。
ここで引いてはならない。
「だからワダヌキ先輩! 傾鳥先輩! 力を貸してください!」
そう言って、座敷へ頭を擦り付けた。
「うーん、それでも命まで賭けるのはなあ……先輩もそう思いますよね? まあ、食事なんか極論……」
傾鳥先輩がそう言ってワダヌキ大先輩の様子を伺う。
周囲の後輩たちが一斉に見つめる中、彼はピタッ、と動きを止めると、ボソッと呟いた。
「いいよ」
「え?」
傾鳥先輩が聞き返すと、ワダヌキ大先輩はよだれと涙を同時に流しながら、譲れない意地を通すときの様な熱い表情をしていた。
「先輩とか兄貴とか親とかよ、なんで先に生まれて偉そうにしてるかって、そりゃ責任を取る為だろうがよ! 大一番ですら責任を果たさねえってのは女子供オカマがやることだよ!」
「いや女子供オカマも責任は果たすべきですけど」
「そうだよ。俺が言いたいのは、こいつらの尻を拭いてやるのは今だってこと! これからもご馳走を食う為によ!」
「結局ご馳走の為ですか」
傾鳥先輩に突っ込まれながらやり取りするワダヌキ大先輩の響く声が轟くと、周囲にいた後輩たちは渋々と頷いた。
「先輩がそう言うなら……」
「まあ……」
「よし、やるか!」
「やろうよ」
「よし! やろう!」
そう言って盛り上がり始める。
俺はこれまで先輩たちについてきたことで養ってきた後輩力は今この時の為にあったと、今だけは歩んできた道に感謝した。
「そうだ! つまり、武器や防具が壊れたら、怪我をしたら、全部先輩が責任を負ってくれるってことだ! 回復の為にご馳走も奢ってもらえるはずだ!」
俺は周囲の狸たちを煽り始めた。魅力的な提案により、まだ悩んでいた狸たちも顔を上げてざわざわし始める。
「そうか!」
「そうだそうだ!」
「ちょっとだけ怪我していっぱいお金とご馳走を貰うぞ!」
「そうだそうだ!」
「そうですよね! 先輩! 逃げませんよね! 女子供オカマじゃないんですもんね!」
狸たちの注目を集めたワダヌキ大先輩は、最後に傾鳥に追い詰められたこともあり、今更言い訳は出来ないと思ったのか。
「いいよぉ! 全部背負ってやるよぉ!」
自棄っぽくそう怒鳴った。
「「「うおおおおおおおおおお!!」」」
盛り上がる狸たちを他所に、俺は大先輩に心の底から感謝し、頭を下げた。
「有難う御座います! 有難う御座います!」
「もう良いよ、また飲み会に来てくれればよ!」
ワダヌキ大先輩は開き直ったかのように笑った。
年功序列はこうじゃないと。先輩のもたらすメリットが上回ってこそだ。
やがて大先輩は興奮がますます高まったようで、鼻息を吐くと宣言した。
「よーし、傾鳥ちゃん。俺の知り合い、片っ端から声をかけてくれ」
「マジすか? 食事は先輩が奢るんですよ?」
「おう! もういいよ! 来れるやつを老若男女皆呼べ! その代わり絶対に勝つからな!」
「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」
周囲の狸が大盛り上がりをしていくのと同様に俺も叫ぶと、感情が次々に溢れてきていた。先輩の人脈に頼るとはいえ、俺にしか出来ないことが出来た。その事実に、俺は笑い泣きをしてしまった。それだけ、嬉しかった。
──メタロー、今更お前に許してもらおうなんて思わない。
ずっとお前のことは知ってた。お前は一番にさえならないけど、何処かで目立ってた。
それに対し、本当に何もない俺は悔しくて、どうしてもお前を認めたくなかった。
だけど、俺はもう認めたよ。それに、責任から逃げるのはやめた。
そして遂にお前に出来ないことをして、お前の知らないところで力になった。
この戦いが終わったら、今度は堂々とお前に喧嘩を売って……気持ちよく負けたいよ。
だから、ちゃんと勝って来いよな。
俺は馬鹿だからこの気持ちをどう言葉で表現したらいいか分からないけど、今はとにかく……さっぱりした気持ちだった。
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