第五話 恋は合戦 巻の弐
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三匹が「「「ごちそうさまでした」」」とおばちゃんに頭を下げて外へ出ると、シラユキは自らのマフラーに手を入れ、巻物と水の入ったペットボトルを取り出した。
彼女が巻物を投げると、それはひとりでに開き、何も書いていない無地の面を晒す。シラユキはそこへ水をバシャッとかけると親指でサッと一本の線を引いた。巻物はそれに従う様に、じわ……と様々な模様が浮かべ、ボン、と煙を出しながら消えると、そこに現れたのは、引き戸であった。
試合で見た扉の様に大きいものとはいかないが、道具を使い切る代わりに一人で簡易的に呼び出すことが出来る口寄せの術。これは便利だなとメタローは感心していた。
ギ、ギギー…イ……。
引き戸に繋がった向こうで古い蔵の扉の音がすると、二つの空間が繋がったことが分かる。
扉を抜けると、その先では、筋肉質の人間姿の選手たちが神輿の準備をしたり、食事休憩をとっていたようだった。
門の音に反応したのか、何匹かの狸がこちらを向くと、グレンマルの姿に一瞬ギョッとした彼らはそれぞれ一旦目を逸らすと、まばらに近づいてきた。
「な、なんですか……?」
彼らの怪しい動きにメタローがそう言うと、先頭の一人がぎこちなく笑顔を作って、口を開いた。
「あの、メタローさんですよね? 放送見たんですが、握手ってしてもらえます?」
「え、あ、はい。良いですけど俺、年下ですよ。別に敬語じゃなくても……」
「いやー、有名人相手に年下も何もないですよ! ははは! ありがとうございます!」
グレンマルから降りてメタローが対応すると、選手たちはそれぞれ邪魔にならないようにお互いを誘導していく。人格の出来た狸たちだな、とメタローが良い意味で困惑しながら一人ずつ握手をすると、彼らはその度に素直な笑顔を浮かべ、一言ずつ喋っていった。
「初々しくて良かったですねー。たまんなかったなあ」
「もうすっかり有名狸じゃない。皆もうあなた方のファンですよ」
「あの子、良い子でしたね。羨ましいです。恋愛なんて俺には出来ないけど、だからこそ応援してます」
「この時代に純粋な二人を見れるなんて、おじさん感激しちゃったねえ」
「天覧試合が止まっちゃったけど、若者にあんなことがあったなら許すしかねえべさ」
「俺たちもこんなにはしゃぐの久しぶりで! 浮ついてるのが老害たちにバレたらどうなっちゃうのか、想像したくねえなあ!」
などと、話してみれば良い人ばかりで、メタローはなんだか励まされるような、温かい気持ちになった。
ドン!
と、不意の落下音のようなものと共に新たな扉が現れたのは、そんな時だった。
それはメタローたちのものより仰々しい扉であり、忍者程度のものではない。
並んでいた狸たちの顔から一斉に血の気が引くと、彼らは列を離れようとするが、残念ながら扉が開ききる方が早かった。
カン!
「活! 何浮かれとるか!」
いつもの杖の音と共にぬらりひょんの旦那が出てくると、その後に大狸や、鬼を始めとした図体の大きく力自慢の妖怪たちが多く続いた。
狸たちはそれぞれ眼を逸らしながら、最早言い訳は聞いてもらえないだろうと、地面へそのまま膝を付くと、説教を受ける覚悟を決めていた。
メタローたちもそれに習おうとするが、布袋が三匹を見つけると「君らはこっち」と言い、首を掴まれた。
旦那が「良いか、そもそも狸と言うのは獣に過ぎず、妖気を扱えたものではなかった! それに対し、我々妖怪と言うのは自然現象、言わば神の系譜に連なる……」と説教を始めたのを尻目に、三匹は大人しくなすがままに連れられると、布袋は言い辛そうに腕を組み、やがて溜息を吐いてから決心した様に切り出した。
「メタロー。君は優秀だ。それにそばにはハカセもいる。ゴロも敢えて空気を読まないだけで、全く読めないわけじゃないだろう。その君たちが誰も何も言わないんだから、君たちの中ではそれで良いんだろう。だが、この狸社会ではまだ結構横のつながりがある。何かあってからだと遅いんだ。それでだな……」
言葉を選んでくれているのだろうが、要領を得ず、埒が明かない。
「何が言いたいんですか?」
「つまりだな……。何回か感付いたと思うけど、あの可愛い彼女は……疑わしい」
本題を求めるメタローに、布袋が虚空から取り出した、壊れた携帯電話。
「これは、ブンゴの奴が寄越したものだ。他の背景などの証拠写真も合わせて、確かに狐の里で撮ったものだと分かっている。
その画面には切れ長の目を持つ男女と談笑しているアカネの写真が写っていた。
全員が人間の姿であり、アカネは違和感がないどころか帽子を被っている分、メタローにとっては普段より更に可愛く見える。一見問題がないかの様に見えるが、じっくり見ていくと、あまりに自然に存在している何かに気付く。
「こ、これは……」
「ああ、俺でも信じられない。お前らは尚更だろう。あの子がまさか……」
目を見開く三匹に、深刻な顔で真剣に悩む布袋。
「ええ。まさかそんな、複数人だとはいえ、アカネさんが他の男と出かけてるなんて……」
ハカセがそう呟くと、布袋はズコッ、と踏み外す。
「違う違う、もっと分かりやすいのがあるだろ」
「目が細い!」
「ゴロ! そう、そうなんだけど、だから? だからどうだと思う?」
「まさか」
「メタロー。君なら分かるよな。そう、まさか」
「相手が狐っぽい……?」
「……ぽいじゃない、ぽいじゃない。しっぽも生えてるから。垂れて髪と同化してるけど全員耳も見えてるから。あと相手だけじゃなくて、俺が言いたいのは……」
ふぅ、と一息吐いて俯くと、布袋は言葉を続ける。
「この前の説教の時のお前らの内緒話、実は俺にも聞こえたんだよ。子供の話だ、大人が余計なことは言わないようにと黙っていたが、ダッチが放送してこんなに広まった。老人たちは揃って情弱だからまだバレてないが、バレるのも時間の問題だ。だから俺は先に聞いておきたいんだ」
布袋は真剣にメタローの目を見て、一言ずつ言い聞かせる様に続けていく。
大人では話が通じるタイプで、普段は静かで優しい布袋が真剣な話をしているのだ。
ゴクリ、と唾を呑み、頭を動かし続けるメタローに、布袋はさらに続ける。
「こいつらは狐で、それと関わっている。もし彼女と狐の関係を知ってて黙ってたのだとしても別に構わないし、彼女までもが狐だとは断言しない。だが、考えなしに君たちや彼女を批判するやつらは出てくる。そしたら老人たちも気付いてしまう。だから今の内になんとかしたい。だからこそ、お前の気持ちを聞きたいんだ。メタロー。お前はどうしたい?」
「俺は……」
メタローが返事をしようと顔を上げると、こちらを見ているのが布袋だけでないことに気付く。説教されていたはずの狸たちと、暇をしていた妖怪たちが布袋の後ろに立って話を聞いていたのである。旦那はと言えば、眼を閉じたまま誰もいない空間に説教を続けており、なんだかデジャヴを感じさせた。
布袋が溜息を吐いて狸たちを睨むが、狸たちはすっかり妖気を通じて彼らの世界に入ってるようで、「まさか……」「許せねえ」「絶対に許せねえよ」と、狸たちは口々に表情を曇らせ始めた。
メタローは一同をどう止めるか考えながら、「でも、まだ一応、アカネさんが狐と決まったわけじゃ……」と近づくと、先頭の狸がメタローの肩をゆっくり掴むと、他の狸たちも息をいっせいに吸い、ピッタリ揃った怒号を返してきた。
「「「分かってるよォ!」」」
「「「「えっ……??」」」」
嫌そうな顔で浴びた唾を拭いながら、意味を理解出来ず聞き返す四匹に、一同は大声で怒鳴り始めた。
「俺たちだって馬鹿であっても大馬鹿じゃねえ! そんな恥知らずな勘違いはするもんかよ!」
「そうだ! あの子は人間様だ! いや、天使だった! 狐なんてことあり得るかよ! ああ?! それともなんだ?! 他でもねえ彼氏のてめえが信じてやらねえってのかァ! そこに愛はあるのか!」
「いやまだ付き合ってないんだけど……」
一匹がそういうと、他の者が続けて怒鳴る。メタローが答えようと思っても誰も聞いておらずに彼らの主張は続いていく。
「大体、狐の子供を保護しているのも、狐どもと仲良くしてやってるのも、単にあの子が良い子だからだ! 人間様ってのはそんだけ慈悲深い! 俺たちの住処も奪ったが、そりゃ神様と変わんねえからだ! 人間様によって伝えられた食べ物がどれだけ美味しいものだったか!」
一匹が涙ながらにそういうと、狸たちは頷き、妖怪たちも唸っている。
「だからこそ、今ここにある慈悲を疑ってはならないと俺は思う! 違うか! お前ら!」
「「「当たり前だ!」」」
「なんならアカネさんは狐に良いように利用されてるに違いねえ!」
「口八丁手八丁、あいつらはズルいことをなんだってやりやがる! アカネさんを騙しやがって!」
「あの野郎ども、アカネさんの性格の良さに漬け込みやがってよォ!」
いくら狸が調子が良い生き物だとは言え、ここまで楽天家なのか。団結するとこんなに勢いがあり、理性が利かなくなるのか。
意識を取り戻したハカセが眼鏡を拭きながらそんな顔で唖然としているが、その隣でメタローは、彼らの熱気に当てられ始めていた。
──狸たちは無茶苦茶だが、さっき言っていたことは一理ある。
『そこに愛はあるのか』
彼女をよく知らない狸たちがそこまで言うなら、他でもない自分がアカネさんを信じられないのは確かによろしくない。
いくら疑わしいと思ったとしても、本人の言葉を聞くまで俺個人は最後までちゃんとその人を信じておく、それが大事、それが友情、それが愛ではないのか。
そうだ。皆の言いたいことは分かる。
老若男女だとかはこの際関係なく、生物としての漢気は、甲斐性はないのかと問われているのだ。
メタローがそう考えている間にも、煽る狸と周囲の狸たちは更に盛り上がっていく。
「アカネさんを騙して連れ去った狐を許せるか!」
「絶ッ対に許せねえ!」
「狐どもをぶちのめしたいか!」
「絶ッ対に許せねえ!」
「コンビニ弁当の上げ底や値上げは?」
「美味しくなって新登場! 絶ッ対に許せねえ!」
この様に、ゴロがすかさず茶々を入れても彼らは止まらない。
「アカネさんに良いとこ見せる為! そして狐たちをぶちのめしてやる為! 絶対に勝つぞぉ!」
「「「おおー!!」」」
狸たちが完全に大盛り上がりの中、メタローの考えは遂にまとまり、意を決して、影に妖気を集めると、狸たちの影へと繋げて一瞬彼らの動きを止める。
その隙にメタローはすかさず呼びかけた。
「あ、あの!」
影に口をふさがれている狸たちは怪訝そうに黙って次の言葉を待っている。
メタローは一度息を吸うと、言葉を続けた。
「アカネさんは、狐かも知れません」
狸と妖怪たちはそこで一瞬お互いを見ると、何か言おうとしてもがき始めるが、メタローは妖気を強める。苦しそうにしている者もいるが、これだけは聞いて欲しい。
「彼女はもしかしたら狐かも知れないけど、それでも俺は信じたいんです。祭りの夜、彼女は変わった俺たちのことを悪く言わないどころか、面白がってくれた。あの優しさと笑顔は嘘とは誰も思わないでしょう?」
口が自由になった一同は一生懸命息を吸いながら静かに「ああ。その通りだ」「良い子だ」「でも人間様に違いねえ」「いやだからあれは天使だよ」と口々に言った。
そして、メタローは自分の気持ちを噛み締める様に頭を下げて宣言する。
「だから、俺は合戦には出れません。今から直接、会ってきます。彼女を、俺の気持ちを、確かめてきます!」
「みなまで言うなって。皆分かってるよ」
布袋のその声でメタローが顔を上げると、狸たちは一斉にこちらを見ていた。
「構わねえよ! てめぇらはアカネさんのとこに行きやがれ!」
「男が一生に一回ぐらい冒険しなくてどうすんだ!」
「惚れた女の為なんて尚更だろうがよ!」
「子狸なんていてもいなくても変わんねえや!」
「この一戦目の間なら警備も薄いだろうや! 任せとけ!」
狸たちがそう言うと、
「なんならこんな合戦よりお前らの青春の方が大事だわい!」
と、いつの間にか旦那が入ってきており、一同は「おっ、旦那ァー!」「分かってんねえ!」「ちげえねえ! その通りだ! 合戦なんて大事じゃねえ!」と笑いあった。
旦那は狸たちにツルツルの頭を撫でられながらも笑顔で頷くと、里への門を開き、三匹の乗ったグレンマルとそこに張り付いたシラユキを送り出してくれた。そして、いつまでもポコポコと頭を叩いてくる狸を一度杖で殴って止めると、狸たちの方へゆっくり向き直った。額の上で血管がヒクついてるのは、誰にでも分かった。
「説教の続きじゃアアアアアアア!!」
「「「ひいいいいいい!」」」
その後はこれまた、デジャヴの感じる怒号と稲妻の音が辺りに響き渡ったのだった。
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