第四話 祭りの夜 巻の壱


 その空は、満月が照らす明るい夜空であった。

 勿論、縁日の様子は昼間に比べて、境内の屋台も増え、人で賑わっており、ベビーカステラだけではなく、唐揚げ、じゃがバター、焼きそば、各地で呼び方が違いベイクドモチョチョなどとも呼ばれる某焼き和菓子、その他の食べ物の匂いで溢れかえっていた。その為に隣の食欲の化身が涎を拭いながら目移りをしていても、メタローの頭の中にあったのは、鼻が利かずに彼女を探すのに困るかもなどというのが杞憂だったという安堵だった。

 階段の下から見上げると、神社の鳥居の柱に彼女はいた。月明りを受ける浴衣姿の少女は、一目で分かるほどに美しかった。メタローは、天が味方をしてくれたことに素直に感謝した。

「アカネさんだ」

 メタローがそう呟くと、ゴロとハカセも気付いたようで、二匹はメタローの後ろに回ると背中を押すと、何処かへ行く様だった。

「トチって正体バレるんじゃねえぞ!」

「じゃ、我々は別行動で!」

 メタローは嬉しいやら心配やら、複雑な気持ちで頬をかくと、意を決して階段を上っていった。


×××

 ゴロとハカセが屋台でいくつか人数分の食べ物を買ってから裏の茂みへ潜り込むと、そこには既にブンゴを除いたダッチーズの面々が集まっていた。

 ハカセが指示した通りにグレンマルの姿も見える。これで準備は万端だ。

「ダッチーズ、やるぞー!!」

「今回だけだぞ」

 ダッチの言葉に不満そうにゴロが答えると、一同は顔を合わせ、それぞれ妖気を出し合っていく。やがて妖気は事前に回したハカセの設計図でイメージを共有した、簡易的な秘密基地を作り上げた。

 中に入れば、ハカセの指示した機械が一式揃っており、グレンマルと繋げば性能は十二分。

 これでサポートは万全だと、ハカセは眼鏡を光らせた。


×××

 唾を呑み、緊張で速まる心臓を抑えながら、一歩ずつ階段を登って行く。

 月を見ている少女は未だに気付く様子がない。

 どうせなら、とメタローはこっそり背後に回り、ゴクリ、と唾を飲むと、

「……やぁ、待たせたね」

 と声をかけた。

 すると、アカネはそこでようやく我に返ったのか、真っ先に鼻を引くつかせてから不思議そうに振り向くと共にそこにいるはずのない相手に驚くと、

「あれっ!? えっ、こっ、こん、こん、こんばんわっ!」

 眼を白黒とさせながら鳴き声のような高い声で驚くと、何故か急いで頭と尻を抑えようとしてバランスを崩した。

「アカネさん!」

 こんなところで転んでは大変だと、メタローはすかさずアカネの片手を握り、腰へは妖気を伸ばした。運よく、ピタッと上手く止まるとまるで社交ダンスのような姿勢になってしまう。

「あ、ありがとう……」

「いや、無事なら良かった……」

 二人はバランスを取りながらゆっくりと姿勢を戻していくと、メタローの前髪が揺れ、普段隠れている方のもう片方の瞳が見えた。

 お互いの目と目が、初めて合った。

 ──この子、こんな綺麗な目をしていたんだ。

 ──この人、とても優しい眼をしてる。


 二人は相手の眼の中で自分の感情に気付くと、頬を染め、顔を逸らし……。

 その直後、アカネが恥ずかしさのあまり一部の変化を解いてしまい、その細い手指にびっしりとした毛が現れたのを、一挙一動を見逃すまいとしていた狸たちが見逃すわけはなかった。


×××

「あれ?見間違いか?」「手に何か付いてないか?」「何かの毛……?」

 茂みから身を乗り出しそうになりながら、彼らは食い入るようにアカネの手を見る。理解を越えた現象が起きた狸一同はお互いの妖気を通じて脳内会議を始めた。

 頭の中の円卓を囲む彼らは一斉に頭を捻り、先ほどの会話を思い出していく。

『その子は本当に人間か?』『あんな綺麗な子なら、狐が化けてたりして……』


×××


 勿論、会議の妖気を感じたメタローも気付いていないわけではなかった。脳裏に彼らの勝手な会議が続く中、独りでブツブツと考え始めた。

 ──仮に、彼女が昔から老人たちに聞いてきた通りの狐であったとしよう。手段を選ばず、嫌味な狐。しかし、その場合は彼女の優しさと矛盾する。そう、その悪いとされる狐すら助ける彼女だ。論理的に考えれば、そんな生物にすら手を差し伸べると言うのは、人格が出来てないといけないだろう。つまり、人間でしかありえない。そうだ。短慮でもって自分に都合が良いように相手を糾弾するのは良くない。ダッチやワダヌキを始めとした古い考え方だ。そうとも、言い分も聞かずにアカネさんを疑うなんてそんなことは……。

 きっちり十秒かけて考えた結果がこれであり、メタローの思考の限界であった。

賢い読者の皆さんにはお分かりだろうが、アカネが狐であれば狐に手を差し出すのは当たり前であるし、そもそもアオイは彼女にとっては妹だ。

 しかし、そんなことを知る由もないメタローは、緊張を含め、様々な感情に理性が追いついていないのか、それとも目の前の相手への恋心故の盲目か、ダッチたちへの意地か、皮肉にも自分に都合の良い論理を作り出してしまうと、アカネへと向き直った。

 その間にも、アカネはぱちくりと瞬きをしてメタローの反応を待ちながら、ふと自分の手を確認するとようやく自らのやらかしに気付いたようだった。

彼女は焦りながらすぐに手を後ろに回すと、妖気でそれを包み、手袋である様に変化させると、目を泳がせながらなんとか誤魔化そうと言葉を生み出した。

「その、助けてくれてありがとう。なんだか知ってる人の匂いがして振り向いたらメタローくんだったから……驚いちゃって」

 そう言われるとメタローもすぐに手のことに言及する気になれず、

「俺も姉の香水を借りたんだけど、好みが似てる人なのかもね」

 と話を合わせて、ようやくメタローは彼女の服装を間近で見れたことに気付いた。

 ──昼とは違って、浴衣を着ているだけでない。髪を編んで来ている。とても良い。

 こんな時、どう言ったら良いんだ。とにかく褒めよう、とメタローは先ほどシズクに読まされた少女漫画を思い出しながら言葉を選び出す。

「言うの遅れちゃったけど、浴衣、その、かわいいと、思う」

 メタローが浴衣を見ながらゆっくり上から目線を落としていくと、おのずと彼女の手へと視線が向かう。すると、彼女は意外にも待っていたかのように、その手を差し出した。

「あ、これはね、手袋で、毎年帽子屋さんで買うの。ほら、手袋を買いに、なんて童話があるけど……」

 言いながら、アカネはなんだかこちらを伺う様子であった。

メタローは一瞬不自然に思いながらも童話のことを思い出してみる。

 ──確か、昔学校で習ったはずだ。あれは狐の童話だ。子狐が人間の帽子屋へ手袋を買いに行く話で、母狐によって片手を人間の手に変化させて貰うのだが、間違って狐の手を出してしまう。しかし、帽子屋は受け取ったお金をカチ合わせて木の葉でなく本物だと確認すると手袋を持たせてくれる。母狐に人間は恐ろしいと聞いていたが、ちっとも怖くなかったよと子狐は言うのだ。

 ふむ、そう聞くとアカネさんは童話の通り、子狐と仲が良い人間なのだろう。

 メタローはそう納得しながら、別の疑問を問いかける。

「そうなんだ。夏でも暑くないの?」

「女の人は冷え性が多いじゃない? 私は特にそうみたいで」

 ──狸は毛深いからメスだろうとそんなことはないのだが、確かに人間は体毛が薄い。そうか、だから人間の女性は夏に手袋をする……。何を疑うことがあろうか。やはりアカネさんに怪しいところはないな。

 完璧に思えるその論理を自分に言い聞かせるように、メタローはもう一度頷いた。


×××

 一方、秘密基地の面々はと言えば……。

「なるほど、手袋か~!」

「いやぁ、そうか。確かに、人間は毛皮がない。そりゃそうだよな、夏でも手が冷たい。うむ。俺たちもまだまだ人間研究が足りなかったなぁ。勉強になる……」

「人間様の女の子はやっぱりやるわね。冷え性は人に依るけど、例え暑くてもオシャレが最優先……。私も真似しないと」

ホスウェイは納得し、ハカセは唸り、ナルミですら感心していた。

 シズクだけはスマホで漫画を読みながら首を捻っていたが、他の面々は一度信じたら疑わない狸らしく、単純で陽気に顎を撫でたり頷いたり、あっさりアカネを信じていたのだった。


×××

 そんなことは知る由もなく、落ち着き始めた二人は雰囲気と会話を楽しんでいた。

「でも夏に手袋ってやっぱり変だよね。恥ずかしいかな」

 アカネがそう言うと、メタローは頬をかきながら答えた。

「そうかな。俺こそ秘密を教えてもらってなんだか申し訳ないよ」

 すると、アカネは何か閃いた顔で、

「だったら、今度は私が知りたいな。メタローくんの変わったこと」

 ──アカネさんは言葉のキャッチボールがお上手だ……。

 メタローは心の中でアカネを褒めながら、さてどう答えるかと思考を動かし始めると、とある考えが頭の中に引っかかり、再びブツブツと考え事を始めた。

 待てよ。アカネさんが人間であることは疑いようがなくとも、自分は少なくとも人間ではない。狸ではないか。自分の正体はバレてはいけない。

 人間に夏でも手袋をするものがいるなら、俺の方が手袋をしていないことに理由がいるはずだ。冷え性の逆、暑がりと言うのはどうだ。

 いや、それだと汗をかきがちだと嫌われないだろうか。いや、いや、いや……。

 メタローは頭の中だけでは考え過ぎてしまう、どうにかこの場をしのげないかと周囲を見渡した。

 ──屋台で炭を扱っている人は軍手をしているが、あれは単に衛生的な汚れ防止だろう。しかし、よくみてみると一部には手袋をしていない人も見受けられる。つまり、動きを阻害する場合は要らないとも言えるか。それならば、俺が手袋をしてなくても問題ないのではないか。そうだ。人間は本来手袋をしないのだ。だからアカネさんが恥ずかしがっていたのだろう。アカネさんは、人間が手袋をしない中、彼女だけは冷え性で自分だけが手袋をしていることが恥ずかしい。それなら、俺のすべきことは明らかである。

 メタローは十秒しっかりそう考えると、彼女に恥をかかせまいと、シズクに見せて貰った先ほどの恋愛漫画を思い出す。冬、手袋。夏、祭りのイベントの定番……。これらを組み合わせ、全てを解決する……!

 意を決したメタローはアカネの手を取ると、彼女に抵抗する様子はないことを確認しながら、一応の確認だと心の中で言い訳しながら、ゆっくりとその手袋を掴む。

びっくりと毛が生えていて、ほんのり温かい。とてもリアリティがある。肉球は四本の指が横に広がり梅の花のような形になる狸のそれとは違い、同じ計四本でも側部に一本ずつと前に二本の指が縦に長い菱形の掌球に従う形だ。確かにこれは狐のもの。これで本物でないというのだから驚きだ。しかしこれはとても良い感触だ。気持ちが良い。狐のなのに。悔しい。でも気持ちが良い。にぎにぎ、ぐぬぬ……。すりすり、はしたらいけないよな。うーん……。

「あの、大丈夫?」

「え? あ、良い手袋だね。肌触りが気持ちよくて、つい……」

アカネの声でハッとしたメタローは意を決して手袋を外すが、そこには透き通るような白く冷たい手があるばかりである。

 メタローは安堵の溜息を吐き、アカネへ手袋を返す。一連の行動を不思議そうに微笑みながらただ待ってくれる彼女に内心感謝をし、しどろもどろになりながらも、一言ずつ言葉を紡いだ。

「あの、俺は手袋はしないんだ。動きにくくて。それで、これから祭りを回るに当たってはアカネさんも手は動かせた方が良い。つまり、その、もし、良ければなんだけど……」

 ──恋愛漫画には、こう描いてあった。経験がない俺より、あれは正しいはず……!

 メタローは一度息を吸い、誘う様に片手を差し出すと、

「手を繋ごう。俺が温めてやるよ」

 と、決め顔で気障な台詞を吐いた。

「…………」

 対し、アカネは目を疑うかのように、ぱちくり、と音がするかの様な瞬きをする。

 ──決まった……? やっちまった……?

 メタローは永遠にも感じられる間が訪れるかと懸念したが、アカネはその一瞬後には心の奥に矢が刺さったように胸を押さえたかと思うと嬉しそうな顔で、

「うん! この人混みだし、はぐれるといけないもんね!」

 躊躇なくメタローへ近づき、その手を取った。


×××

 一方、秘密基地兼応援席では……。

「きゃーーー!」

「やるじゃないかメタロー! 良いぞ! 次は口づけろ! 口づけ!」

「お宝映像だぜこりゃ……」

「あんまり冷やかしてやるなよな」

「ちょっと強引な気がするけど、でもあの子も清純な感じだし、これで良いのかもね……。こんなベタなのをちゃんと出来るんなら、私が二人をちゃんとナビゲートしたいぐらいだわ……」

 シズクが黄色い歓声を上げると、ゴロはガッツポーズを決めて煽っており、ダッチが録画をしているのをハカセが睨んでいる後ろで、ナルミはスイッチが入ったのか、眼に炎が灯るとダッチの肩を叩いた。

「ここは私に任せなさい」

 彼女はニヤと笑みを浮かべると、一同の返事を待たずに何処かへ電話をかけ始めた。

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