第三話 ダッチーズ 巻の参


××× 

「じゃん! ここなら選り取り見取りっすよ!」

 そう言うホスウェイに連れてこられたのは、人間界で言えば原宿にありそうな服屋ばかりのショッピングモールであった。

 メタローはこの様な本格的な場所に来るのは初めてであり、緊張と困惑で眉を顰めながら周囲を伺うことしか出来ないが、実は狸の里にこうした服屋があるのにも意味がある。

 何故なら、変化をするとなれば、本物を取り込むのが一番早いからだ。

 その理由は変化の仕組みにある。例えば、変化の学問『化け学』の教育のベースが上がったことで今の狸は誰しもある程度満足に変化することが出来る。そしてメタローやハカセ、ゴロの様なファッションにこだわりがない狸たちは、好きな漫画やアニメやゲーム、もしくは人間界で見た雑誌などの衣装を参考にし、イメージとして皮膚の延長、拡張の様な感覚として変化を起こす。しかし、それは優れた変化能力を持っていてこその忠実な再現が出来るというものであり、かついくら上手くてもあくまで模倣だとも言える。厳密な再現は難しい。細部を見れば誤魔化しが効かない。

 となると、ファッションにこだわる一部の狸は本物を手に入れたくなる。変化が上手くなくとも、本物を身に付けたり、妖気に取り込んでから再現する分には問題がないからだ。

 そういうわけで、服屋は結構繁盛しているのだった。

 さて、服に興味があるというのは、それを着る相手にも興味があることが多い。しかし、三人ともメタローには期待をしていないようで、中でもシズクは、躊躇いなくスマホを押し付けてくると、そこには恋愛漫画が表示されていた。

「メタローくんはファッションあんまり分からないだろうし、これでも読んでて!」

ナルミはその画面を一瞥すると「ははぁ……」と察した顔をする。

「『恋は天気雨のように』ね。それちょっと読んだことあるけど、ベタ過ぎない? 中学生の恋愛みたいで男は気障な感じするし、女は素直過ぎるし、現実にそんな人間がいるわけ……」

「私は憧れるんだけどな、メタローくんにも合うと思うし」

「あー……そうね。狸はそうかもね」

 夢見がちなシズクと、恋愛強者のナルミ、黙ってニヤニヤとしているホスウェイ。メタローは彼女らに遊ばれている空気を肌で感じながら、これから待ち受ける疲労を思うと渇いた笑いを浮かべた。


×××

 その後、案の定連れ回されたメタローは、案の定肉体的にも精神的にもぐったりしていたが、変わらず彼を構うことなく、ホスウェイたちは腕を組んで話し合っていた。

「せっかくだから良いもんを着てほしかったんすけどねぇ」

「素材が悪いってわけではないんだけど、やっぱイメージってもんがあるからね」

「私たちも勝手にはしゃぎすぎちゃったかな」

 三匹の意見をまとめると、つまりはオシャレな彼らの感性ではメタローをどうこうするにも方向性が違うなと分かったようであった。

「まあ、こうなってくると変に気取ったもん着ていくより、らしさで良いんじゃない」

 ナルミはそう言ってシズクとホスウェイを交互に見ると、二匹は即座に頷く。

「ってなると、やっぱり」

「結局そうなるんすねえ」

 三人だけが分かる会話を終え、それぞれメタローの方を向いた。

「ほら、次行くよ」

「いやあの……あと何軒行くかだけ聞いても良い?」

 疲れ切っていたメタローにナルミから伝えられたのは、意外な言葉であった。

「帰るのよ。おばちゃんのとこの二階、姉貴の服を借りましょ」


×××

 実は、狸の里にいるのは狸だけではない。

 先述した通り、迷い込む人間は勿論いるし、例外として常駐している人間も存在する。その例外が姉貴と、その母親にあたる先ほど見た『おばちゃん』である。

 姉貴を語るには、いくつも説明が必要なのだが、端的に言えばハカセの師であり、カブキドー・グレンマルの設計・製作者であり、今代の『継ぐ子』をやっている人間である。

 『継ぐ子』とは、人間と狸たちを繋ぐ架け橋になる──細かくは語弊があるかも知れないが、言うなれば巫女の様なものである。

 歴史の勉強になるが、狸が人間に白旗を上げ、神様仏様に次いで人間を崇める様になってからの話だ。

 平成の世の頃の宅地開発による狸合戦で狸が人間に負けてしまったのは、歯向かうには迫る時間も足りなかったとも言えるし、狸側での人間研究も、結局外からでは理解しきれなかったと言うことも考えられる。その為、狸は文学・映画・歴史などから人間と狸の関係について学び直し、それを狸内で教育するようになった。

 そして、いずれそれにも問題があることに気付いた。

 というのも、いくら人間社会に忍び込んで暮らそうとしても、育ち、価値観、考え方、政治、宗教、経済、その他いろいろ、偏見バイアス見え方クオリアを通して純粋な狸の身で完全に分析・理解することは難しく、所詮当事者でない狸が得られる人間の情報には限界があったのだ。

 その為、せめてその齟齬が少なくなるようにと、人間界の当事者である『人間様』の中から、『継ぐ子』を招くようになったのである。

 人間界のルールや流行や価値観を、人間の立場から、その知性を以て公平な視点を伴って、教育係として共有して貰う。その役目に選ばれたのが、他ならぬ姉貴であったというわけだ。

 また、継ぐ子の制度が作られたのは、『京都の方で天狗に弟子入りした人間がいて、それを慕う狸がいたという物語』に触発されたのにも一因があるらしい。そこから考えると、継ぐ子は天狗が認めた人間。

 天狗が認めたともなれば、年功序列や権威主義的な面がある狸たちとしては雲の上の存在であり、逆らう理由など存在しないのだった。

 そして、定義としての継ぐ子は以上であるが、姉貴はメタローたちにとってはそれ以上の意味も持っていた。

 何故なら、メタローたちの代の狸は災禍によって親がほぼいない環境となっていた。そうなると、誰に任せることになるかは自明である。つまり、メタローたちにとって姉貴は親代わり教師代わり姉代わりであり、その存在は有難いという言葉だけでは言い表せないものであった。


×××

 おばちゃんに理由を話すと、別に隠していたわけでもなかったのか、あっさり許可が取れて部屋に入ることが出来た。

 その部屋はまるで黒魔術でもやるかのように窓は黒い布で覆われており、全く視界を得ることが出来なかったが、ホスウェイが慣れた様子で妖気で直接蛍光灯へ電気を流すと、あっさりと明るくなった。

 電気が付いて段々と見えるようになったその部屋は、それでも真っ黒であった。

 と言うのも、部屋を構成する家具や服の全てが黒を基調としたものだったからだ。

 そこにはひらひらとしたローブの様なものを始めとしたファッショングッズが並んでいて、例えば、何処のか分からないバンドのTシャツや、スタッズが特徴的で赤黒を基調としたゴシックパンク系の服。ローブの様なものはモードファッションと言うのだったか。

 確かに姉貴と初めて会った時は勿論この服装に驚かされたし、その服の趣味について聞いた時、姉貴は「悪魔崇拝だからさ」と真顔で言って空気を凍らせた後、「嘘だよ。歌舞伎の黒衣みたいなもんだ」と笑っていたのはメタローもよく覚えている。

 もしかして人間様方同士なら面白い冗談なのかも知れないが、狸が物を信じやすいのも相まって、しばらくは何人か本気で姉貴を恐れていた狸もいたのだと聞いたことがある。

 しかし……、まさか生活圏の全部が全部黒だとは思わなかった。

 メタローが目を疑っていたその間にも、いつの間にか三匹のオシャレ狸は勝手知ったる様にその服の中からいくつかを手に取っていた。

 メタローの身体へと合わせていき、次々に「これに変化して」「靴はあっち」と淡々と作業をする三匹に言われるまま変化していくメタローが困惑しながら、「ほんとに俺が着て良いの? 姉貴は怒らないかな」と聞くと、ホスウェイは笑って答えた。

「俺たち、時々ここの掃除と整理を頼まれるんすよ。姉貴にもそうですし、今もいつ姉貴が帰ってきても良いようにって、おばちゃんが」

 まあ、毛が落ちない様に人間に変化して部屋に入るのは絶対厳守なんですけど、とホスウェイはまた作業に戻っていく。

 ナルミはブーツをいくつも並べ、持ち上げてはヒールの高さを比べながらブツブツ呟いた後にメタローの全身をもう一度見ると、「一応、おばちゃんに許可は取ってるから良いんじゃない?」と端的に答えた。

 続けて、シズクは「って言っても、誰も恐れ多くて着られなかったんだけどね。でも多分、メタローくんなら大丈夫だと思って」と笑った。

「それに、メタローさんならこれを着ていくことで匂いで姉貴を探す手掛かりにもなるかも知れないっすからね」

 ホスウェイがしみじみとそう呟くと、シズクはメタローに目を合わせ、「私はメタローくんが見つけると思ってるよ」と微笑む。ナルミは満足そうにブーツをメタローに手渡した。

「多分姉貴のことだし、今頃アタシたちの想像も付かないすごいことしてんじゃないの?」

 ああ、そうか。

 見た目こそ軽薄そうな彼女らすら姉貴には絶対の信頼を置いているのだ。

 メタローはそう実感すると、ダッチやブンゴはともかく、一緒にいた彼らまで警戒していた自分が馬鹿だったのではないかと思えるほど、安堵した。その気持ちのまま、ふぅ、と一息吐くとメタローは受け取った服を妖気に取り込む。

 身体を覆う妖気が服を模り、再構築をはじめ、念じるメタローの服装が、白い制服から変わっていく。

 ブーツはスニーカーに近い様なヒールがないもの。

 服は飾り気の少ないTシャツ、動きやすいショートパンツ、上着に姉貴の愛用していたロングカーディガンを羽織った形である。もちろん、例外なく黒一色である。

 そして仕上げとばかりにシズクが香水を差し出すと、そわそわしているメタローの手を取り、両手首に一滴ずつ垂らした。

 メタローはそこからいつの日か嗅いだ覚えのあるチョコレートの匂いを嗅ぎ取り、その背中を思い出すと、恐れ多い気持ちは何処かへ消えて、心強さすら感じたのだった。

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