第三話 ダッチーズ 巻の弐


 そう言って現れたのは、誰の予想からも外れることなく、ダッチその人だった。

 彼は狸の間を歩きながら、狸の状態とあまり変わらないソフトモヒカンの人間態へ変化すると、挑発的に人差し指をクイクイと曲げた。

「いんだろ、メタローちゃんよ」

 メタローが現実逃避をしようと目をそらすと、ブンゴが馬鹿にする顔で「誰だよ? メタローって」と呟き、ホスウェイが「いやいや、流石にわざとっしょ」と突っ込み、ナルミは呆れ、シズクは不満そうに頷いていた。

 返事がないとみてダッチは余所見に気付いたか、グレンマルを睨み付けると、

「おい、聞いてんのか? お前ら、天覧試合台無しにしたんだって?」

 そう言って詰め寄った。

 ──いつもの様に理由なく絡まれたのかと思ったが、今回ばかりは向こうに正当性がありそうだ。それなら大人しく話を聞くしかあるまい。

 メタローがやれやれと目頭を揉み、返事を考えながら黙っている間にも、せっかちなモヒカンの男はそんなメタローを置いて一人で喋り続ける。

「なんだ? もしかして中で睨んでやがんのか? それとも『俺は賢いから黙ってりゃ馬鹿どもが勝手に諦めるだろ』とでも言いたげな呆れ顔してんのか?」

 ──元からそういう眼なんだよ。それにそこまで思ってねえよ。試合に呼ばれる能力がない上に厄介者なのが上の人たちにも悟られてるんじゃないのか。

 そう考えながらもメタローは言い返す言葉を練り、タイミングを伺い続ける。

「まあこの際お前の態度については良いよ。鼻に付くが、お前の頭良いってのは事実だからな。ただ、理由は教えてもらおうか。なんで試合を抜けた? あとその直後に人里で妖術の履歴が残っているよな。俺としてはそういうのは許せないわけよ。分かるだろ?」

 ──言いたいことは分かるが、分かりたくはない。人間の中で資源に対する意識が高まっていることの物真似で狸たちが妖気の管理を考えようと言い出したのは小耳にはさんだ気がするが、やはりダッチみたいなやつがやりたがるのか。

 メタローがそう考えているとも知らず、ダッチは画面の割れた電源の付いていないスマホを取り出すと、慣れたように操作をしていく。

 狸のスマホは基本的に壊れている。灯りが強まり、街の暗い場所が減った平成の世に続き、情報文化も巧みとなった令和の世。狸たちは、ハカセの師によって「狸は騙されやすいからインターネットは嘘を見抜ける賢いやつ以外は使うな」と釘を刺されていた。よって、狸が使って良いのは壊れたスマホであり、うんがい鏡の分体を憑かせることで、ハカセの自作アプリに繋がる様にされたものに限られている。

 妖気管理アプリが起動されると、自動で神社の地図が表示され、妖気で空中へ拡大していく。そこには確かに神社での妖気の使用履歴が残っていた。

「こうやって証拠がちゃんとあんだ。説教は受けてきたらしいけどなあ、旦那が許したからって俺たちが許さねえ。これで狸の里 おれたちに何か不利益があれば……すっぞ」

 この『すっぞ』とは、何度も耳で聞いてニュアンスで理解した意味合いとしては、『濁すことで責任を逃れられる様に保険を掛けた、「殺すぞ」「ぶっ飛ばすぞ」』らしい。

 メタローはそろそろ何か反論してやろうかとも思うが、苛立ちより疲れが勝ち始めている自分に気が付いた。皮肉にもダッチが先ほど言ったような呆れ顔で無視を決め込むことにすると、彼らは自分たちに分があると思ったのか、ブンゴがイキイキしながら「そうだ! 調子に乗るんじゃねえ!」ホスウェイがノリで適当に合わせる様に、「そうだぞー! やれやれー!」と、適当な援護を始めた。

 無言で自分のスマホを弄っていたナルミが、見かねた様子でボソッと一言呟いたのは、その時だった。

「別に良いけど、こんなとこで馬鹿と時間潰してる場合じゃなくない? メッチはデートがあんでしょ」

「そうそう、女の子が待ってるからって行かせねえぞ!」

 すかさずホスウェイが合いの手を入れたと思えば動きが止まり、ゆっくりとナルミを振り返る。

「一流ナンパ師の俺を差し置いてデートって聞こえた気がするんだけど……」

 その場の一同の視線を受けながら、ナルミは依然、スマホを弄り続ける。

「綺麗だったよね、あの子。やっぱ人間様は違うわ。お幸せに」

 その一言で、先ほどの言葉が聞き間違いでないことを誰もが理解する。ダッチが「え? 嘘だろ?」ブンゴがキレながら「はァ?」ホスウェイは「マジ!?」と目を輝かせる中、シズクは頷きながら顔を赤らめた。

 グレンマルがメタローの動きに合わせて両手を振って言い訳しようとするのを遮り、ナルミは言葉を続ける。

「メッチ、自覚があるかは分からないけど、昔から密かな人気はあったもんね。女子の細かいことに気付けるし、気が利くし、だからって男の嫌な押し付けじみたことはしないし……」

 ホスウェイは冷や汗をかきながら手のひらを返すと、グレンマルの横に立つ。

「いやー、メタローちゃん、メタローちゃんはすごかったよね! そうそう! 昔から間が良いっていうのか立ち位置が良くて、サッカーとかバスケやる時はパス相手探すだろ? すると空いてるゾーンによく居てくれてさ、良い活躍だったのよ! 俺ほんと尊敬してた! うん! 女子人気あるんだね! そんな奴と仲が良かった俺はどうなのよ、ナルミちゃん!」

「嫌われてるけど」

「ズコーッ……」

 ひとりで盛り上がってその場にコケて自滅していくホスウェイを横目に、ブンゴは悔しそうに拳を握り、悔しがりながら何か言おうとしたが、それを遮り口を開いたのは、意外にもシズクであった。

「い、い、良いなー!」

 彼女は目をハートの形にしたと思うと既にグレンマルのコックピットを開けており、メタローを連れ出した。

「メタローくん、人間様の女の子と会ったの!?」

 それに負けじと、ホスウェイも立ち上がり、メタローへと駆け寄った。

「メタローちゃん、いやメタローさん! どうだった! いや、人間様はいかがお過ごしでしたか!」

「いやー、それは、あの」

 急な雰囲気の転換に困惑し、メタローがどう説明するか考えていると、ゴロがここぞとばかりにグレンマルをババン! と叩き、注目を一身に引き受けた。

 片手でハカセにジェスチャーを送り、その操作でスポットライトがドローンから放たれると、ゴロはその光を浴びながらわざとらしく腹に力を入れて語り始めた。

「知らざあ言って、聞かせやしょう! 祭りに行った俺たちと、人間様としての自覚なき悪ガキ! 綺麗なあの子を守る為、ガキどもを妖術を用いて爽やかに追っ払い、彼女と夜また会う約束をしたァー! っつうわけだ!」

 ゴロは妖気を出すと、空中に漫画調に美化された、悪ガキを無数の手で撃退するメタローの絵のイメージを映し出した。

「「「おおー!」」」

「きゃー! 素敵!」

 一同がその絵に圧倒され盛り上がる。メタローが「この場を解決してくれるなら何も言うまい」と複雑な顔で静観していると、シズクが祈る様に手を合わせ、うっとりとしている横で、ホスウェイがゴロへ詰め寄り、続きを促した。

「もっと、もっと他には情報はないんスか!?」

「ベビーカステラの匂いがしたらしいぞ!」

「くー! 人間様ってばやっぱ誰も彼も良い匂いがするんだろうなあ!」

 ホスウェイは両手を握りしめガッツポーズの様な姿勢で最早興奮を隠さない。

 するとダッチまでもが渋々と言った感じに羨ましそうな顔でこちらへやってくる。

「いや待て待て待て、その子は本当に人間か? いや、羨ましいとかじゃない、羨ましいとかじゃないぞ。そう。もし、もしもだ。もしお前が上手く行けば、俺たちも人間様にあやかれるかもってだけだからな」

 こちらに手のひらを向ける形でニヤニヤした顔を隠しながら言い訳をしているが、流石のダッチも人間の話題の魅力と刺激には我慢が効かなかったのだろう。

「その出会いを大事にしてやりたい、失敗して欲しくねえから応援したい、素直にそう言えばいいんじゃないのか、ダッチ」

 聞いていたのか、傾鳥が割って入ると、ダッチは手のひらを返して「そういうことです!」と笑い始める。先ほどまでの嫌な奴はどこへ行ったのか。一方、自分の妄想に酔い始めたのか、シズクは一人で幸せそうになりながらメタローの手を握り、感激に震えた顔をして「そう! そうだよ! 誇らしいよ!」と頷いている。

 ダッチとホスウェイも興奮が更に高まってきたのか、テンションが上がり、「皆まで言うな皆まで言うな! 俺たちに何か出来ることはないか?! そうだ! 夏祭りのことは全て任せろ! 大丈夫だ!」と完全に自分の裁量で盛り上げる気満々であり、「そうわよ! 俺たちに任せとけってばよ!」ホスウェイは奇妙な口調で擦り寄ってきていた。

 いつの間にかロボから顔を出したゴロがそれを眺めながら、「調子が良いこって」と呟くと、ハカセは、苦笑いしながら、「ノリが良くてサービスが良いのが狸だからね。人間にも昔から変化を披露したりしてたらしいし、調子に乗り過ぎて変化がバレる話なんて山ほどあるらしいし」と解説を加えた。

「よくわかんねえけど、そうなのか」

 ワダヌキが盛り上がり始めた後輩たちのノリが分からないままそう呟くと、側にいたおばちゃんはカッカッカと笑いながら、食堂の引き戸を開けた。その部屋の中の長机には綺麗に食べ終えられた大皿が何枚も見える。

「お調子者が多いおかげで大繁盛して助かってるけどね」

「おばちゃんは逞しいや」

 ゴロがそういうと一同は笑い、ワダヌキは得意げにニヤリと笑った。

 そして、ひと段落したかな、と思ったか、ナルミは溜息を吐きながらメタローに切り出した。

「で、良いの? 行かなくて」

「あ、うん。行きたいけど、何か準備したり着替えようかと」

 メタローが眼を合わせにくそうに頬をかくと、ナルミはホスウェイへ目を向ける。彼は視線に気付くと、珍しくナルミから期待を向けられたことが嬉しかったのか、照れながらメタローへ近寄る。

「それなら俺らが服を見繕ろいますって! 行きましょう! はい!」

 そう言うホスウェイが先導すると、ナルミとシズクがメタローの背中を軽く押した。ダッチは腕組みをして「おう、言って来い! 俺は祭りの準備をしてくるぜ。おい、ゴロ、ハカセ。お前らのダチの為だ。手伝えよ」と、何か企んでいる様子だった。彼の笑みが良い意味だったことは少ない気がする、とメタローが不安げにゴロとハカセに目配せをすると、ゴロは少し唸っている。

 しかし、「余計なことしようとしたらちゃんと止めるからさ」「俺も行くよ。黙って見ててやる」と、そんなハカセと傾鳥の後押しで行くことを決めたようで、渋々と言う感じで頷いていた。

 一方、当然の様にダッチに手招きをされたブンゴは、

「俺は手伝わない。メタロー? だっけ? あーあ、ヒトナーかっての」

 その様に、異を唱えた。ちゃんと聞こえる様に声を出しながら、眼を逸らし、溜息を吐くと、背中を向けた。

「人間様は確かに素晴らしいさ。だからこそ、俺たち狸なんかが近付いたら罰当たりだと思わんのかね」

 ブンゴが最後の強がりの様に捨て台詞を吐くと、ナルミはフン、と鼻を鳴らして、

「アタシはイケてると思うわ」

「そうっすよ! ナルミちゃんはいつも正しい!」

 そう反論すると、ブンゴはホスウェイだけを睨んだ。

 すると何処からか、

 ゴオオオオオオオオ!!

 と轟音が響いた。

 周囲を伺う一同の中、傾鳥だけが笑いながら、

「ちょっとワダヌキ先輩、消化が早過ぎますよ」

 そう言うと、バレたか、とも言いたげにワダヌキはニヤリとした笑みを浮かべながら自分の腹を撫で、去ろうとしていたブンゴの首を掴んだ。

「じゃ、もう一軒行くか! お前も食って寝て日向ぼっこしたらハッピーだろ!」

 ワダヌキは複雑な顔で悩むブンゴを握って肩に載せると、別の食事処の方へと意気揚々と歩いて行った。

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