―31― メイド
クラビル家の奴隷に戻って、二ヶ月が経とうとしていた。
クラビル伯爵本人は、王都での政変に忙しいのか、めっきり屋敷に戻ってこなかった。
なので、契約魔術による激痛を与えられることもなくなった。
奥様やその子供たちは、僕にあまり接触したくないのか、滅多に顔を合わせることはない。
そういう理由もあって、僕は屋敷の中でなら比較的に自由に過ごすことができるようになった。
「あら、アメツくん、どうしたの?」
「今日も手伝いに来ました」
「悪いわよ、手伝いなんて」
僕が話しかけているのは、クラビル家でメイド長を務めているイネスさんだ。
イネスさんは長年この屋敷で働いている熟練のメイドで、僕が初めてこの屋敷に奴隷として来たときにはすでにこの屋敷で働いていた。
「いえ、今日は暇なので、なにか手伝わせてください」
「そう、じゃあ、掃除の手伝いでもしてもらおうかしら」
僕はこの屋敷に戻ってからというもの、使用人たちの仕事を積極的に手伝うように心がけている。
善意でそうしているわけではない。
彼女たちを手伝うことは僕にとってメリットになるからと判断したからだ。
僕には二つの目的がある。
一つ目は聖剣のありかを探すこと。
二つ目はティルミお嬢様が無事かどうかを逐一確認すること。
どちらの目的も達成するには、情報収集が大切だ。
そして、この屋敷でただ奴隷として過ごしているだけでは、情報なんて入ってくるはずがなかった。
だから、この屋敷の使用人たちと少しでも仲良くすることで、彼女たちから情報を集めようと考えていた。
「どこの掃除を行えばよろしいですかね?」
「そうね、二階の書庫を誰かが掃除しているはずね。その手伝いをお願いできないかしら」
「わかりました」
この屋敷に戻ってきて間もない頃は、奴隷の僕が掃除を手伝おうとすることに、使用人たちはいぶかしげだった。けど、懸命に手伝いを続けてきたおかげか、今では彼女たちに受け入れられるようになってきた気がする。
最初に、僕を受け入れてくれたメイド長のイネスさんには感謝しないとな。
そんな努力の甲斐もあって、僕は使用人たちから様々な情報を手に入れることできた。
例えば、ここナーベル王国は遙か昔、魔族領だったが、聖剣を持った勇者一向が魔王を討伐したことで、魔族はいなくなり、その跡地に勇者が建国したというのが始まりなんだとか。
そして、この国の王となる条件は、聖剣に認められることなんだとか。
聖剣は持ち主を選ぶ性質があるらしく、認められた者は聖剣の力を引き出すことができるようになるらしい。
だから、歴代の王様は即位する際、聖剣の力を衆目の前で引き出す儀式を行うことが通例なんだとか。
だが、前国王が就任したとき、その儀式は行なわれなかった。
それで、今の国王は聖剣に認められなかった、もしくは聖剣を紛失してしまったんじゃないかという噂が民衆にはひそかに広まっているらしい。
ティルミお嬢様は聖剣は紛失した、と言っていたが実際のところはどうなんだろうか?
ともかく、そんな経緯があるせいで、現国王に対する不信感が民衆たちに広まっているらしい。
にしても、聖剣が国王を選ぶというのは、実に奇妙な風習だな、と思う。他国では考えられない。
ナーベル聖剣領と言われるだけのことはあるな。
「えっと、確か、この部屋だったな」
メイド長のイネスさんが掃除をするように命じた部屋の前に辿り着いた僕は、そう口にする。
掃除をしようと、気を引き締めた僕は扉を開けて中に入る。
「あ、奴隷……」
目が合った。
メイド服に身を纏った彼女は椅子に座って、本を読んでいたようだった。
イネスさんが「二階の書庫を誰かが掃除しているはずね。その手伝いをお願いできないかしら」と言っていたことを思い出す。
けど、彼女は掃除する気配は一切なく、ただ本を読んでいるだけだった。
「掃除の手伝いをするように、イネスさんから承ったんだけど」
「そうなんだ。それじゃ、お願い」
彼女はそう返事すると、視線を下げて再び読書に戻った。
悪びれる様子もない彼女の態度に一瞬戸惑う。
とはいえ、奴隷の僕に彼女を咎めるような権利があるはずもなく、僕は黙って書庫の掃除を始める。
僕が以前、この屋敷で奴隷として暮らしていたとき、彼女のようなメイドがいた記憶はない。ということは、僕がティルミお嬢様に仕えているときに雇われたんだろうか。
「ねぇ、奴隷」
「はい、なんでしょうか?」
呼ばれたので、半端投げやりに返事をする。
「『いす』と口にしてみて」
「はぁ?」
彼女のあまりにも唐突の物言いに、思わず呆れ声をだしてしまった。
謎かけでもするつもりだろうか?
ひとまず、黙って言うことを聞くしかないんだろう。
「『いす』。はい、言いましたよ」
言ってたからなんだというのだ、と思いながらに彼女のほうを見る。
すると、彼女は読んでいた本から顔をあげては、考え込むかのように唇に人差し指を添えていた。
「ナーベル王国民は『いす』と平坦なアクセントで言う。けど、あなたは『いす』と『い』に強いアクセントがかかっていた。この訛りは、エンネル公国の特有の訛り。つまり、あなたはエンネル公国出身」
「……よくわかりましたわね」
一見冷静を装いつつそう呟くも、内心度肝を抜かれた。
まさか、こんな短い会話で出身地を言い当てられるとは。
「得意なの、こういうのが」
彼女はそう返事をすると、再び読書に没頭し始めたようで、目線を下へ降ろす。
彼女との会話はそれ以降なかった。
不思議なメイドがいるもんだ、とこのときの僕は呑気にそんなこと思っていた。
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