第9話 メイドさんの私服

 白雪が最後の最後に落とした意味深な発言から数日が経ち、学園内での噂は更に加速していた。しまいには白雪と一緒に歩いていたやつは同じ学園の制服を着ていたという話まで伝わっており、この学園の誰かが彼氏に違いないと盛り上がり、『白雪アリスの彼氏探し』まで始まってしまったのだ。


 彼氏探しといっても、嫉妬に駆られ釘付きの棍棒を持った暴徒たちが闊歩しているわけじゃない。いや、一部の男子共は似たような者で中には抹殺計画を企てているようだが、それは徒労というものだ。

 そもそも白雪に彼氏が居るというのが勘違いなのだから、居ない者を見つけることなど出来やしない。


 ……俺が危惧しているのはどちらかというと、白雪の周りを嗅ぎまわることで『世話係』の件に行きついてしまうことだ。バレたら確実に厄介なことになる。具体的には嫉妬に駆られ釘付きの棍棒を持った暴徒たちによって私刑が執行されるであろう。


(……まあ、いくらなんでもクラスメイトの世話係になっているなんて突飛なことまでは行きつかないだろうけど)


 気分は冤罪によって逃亡を余儀なくされているような気分だが、いつも通り過ごせば問題はないだろう。


(自分で自覚しろとか言っといてなんだが、こいつってやっぱり人気者なんだよなぁ……)


 当の噂の渦中に居る白雪は、俺の部屋で手際よく掃除を行ってくれている。


「なぁ、俺も掃除ぐらいは自分で……」


「明上様のお手を煩わせるわけにはまいりません。まだ腕の怪我も治りきってはいないのですから」


 きっぱりと断り、テーブルの微かな汚れを丁寧かつスピーディーにふき取っていく。


「引っ越しの荷物だって、お前が整理してくれただろ。腕の怪我が治りきっていないといってもちょっとした掃除ぐらいは……」


「私の仕事ですから、明上様はお気になさらないでください」


 確かに掃除は世話係メイドの仕事なんだろうが、俺だけ何もしないというのも、やや居心地が悪い。ホテルのルームサービスのようなものだと思えばいい、という割り切りをしているものの、実際に目にしてみるとクラスメイトに掃除を押し付けているような光景だ。


「お前も大変だな。せっかくの休日だってのに、やることは他人の家の掃除だぞ」


「いえ。そんなことは。元々、休日もお屋敷で働いておりましたから」


「土日もないのかよ……いや、確かにメイドさんってそういうもんなのか?」


「旦那様からは学生だからと土日にお休みをいただいているのですが……私が好きで働かせていただいてるんです。……私は、他人ひとの役に立たないといけないと、そう思っていたので」


「そう思って『いた』ってことは、今は違うのか?」


「……分かりません。やはり今でもそう思っている自分はいますが……」


 白雪はほんの一瞬。自分の胸に何かを問うてみるように沈黙すると、


「……少なくとも、明上様のお世話に関しては、私の意志です」


「……本当に物好きだな、お前」


「そうかもしれません」


 口元を僅かに緩ませる白雪。


(……まただ)


 あの爆弾発言の際に笑って以降、白雪が教室で笑ったことはなかった。

 いつも笑顔など見せず、これまでと同じように淡々とした、事務的な態度は崩さない。

 だけどこうして俺の部屋に居る時は、表情を崩すことが多くなった。しかもそれは不意打ちのように出てくるものだから、俺の方も心臓がもたない。


 ……俺は認めるべき点は認める主義だ。

 その主義から言わせてもらうと、なんというか、笑った白雪の顔は――――かわいい。

 華奢で儚げな雰囲気も相まっていきなり妖精が現れたと錯覚しそうになる。


「明上様、どうかされたのですか?」


「えっ?」


「その……お顔が少し赤いような……まさか、また熱が?」


「ち、ちげーよ! そんなんじゃねぇ!」


 認めるべき点は認めるが……こんなの口に出せるわけないだろ。お前の笑った顔に見惚れたなんて。


「……ちょっと外に散歩してくるわ」


 ダメだ。このまま家にいたら色々と耐えられなくなる。

 外に出たら居心地の悪さも少しは和らぐかもしれないし。

 そのまま扉を開けようとして――――ふと、足が止まる。


「……そういえばお前、外に出かける予定はあるか?」


「はい。掃除が終わり次第、食料の買い出しに出かけようかと」


「じゃあ、その時にはちゃんと着替えろよ」


「?」


「お前、メイド服のまま出かけるつもりかよ」


 この数日で分かったことだが、白雪は仕事をする時にメイド服を着用する。

 それは彼女なりの主義というものなのか、学園から帰った後、俺の家に来る時は毎回メイド服に着替えるほどだ。


「……? いけませんか?」


「そりゃダメだろ……つーかお前、本当にメイド服のまま出かけようとしてたのか」


 危ない。念のため釘を刺しておいてよかった。


「目立つだろ」


「……そうでしょうか?」


「少なくともメイド服を着てスーパーに買い物に出かける女子高生は目立つと思うぞ」


 今のところ『白雪アリスの彼氏探し』が行われているのは学園中での話なので、わざわざ休日にこの辺りをうろついていることもないだろうが……あまりにも目立つと、白雪を探しに学園の生徒たちがうろつき始めるかもしれない。


「では制服で……」


「休日に制服ってのもそこそこ目立ちそうだけどな。普通に私服でいいだろ」


「承知しました」


 買い物について行ったらまた荷物を持つか持たないかで無駄な時間を喰いそうだし。

 貴重な休日をそんなことに浪費するのは俺にとって『損』というものであろう。


「じゃ、行ってくる。戸締りだけは頼むな」


「承知しました。いってらっしゃいませ」


     ☆


 俺は普段から好んで散歩に出かける人間ではないが、この辺りには引っ越してきたばかりだ。入院など色々とバタバタとしていたので、これを機に周辺の地理を把握するための散歩が出来たのは地味に大きい。


「……おっ。こんなところにケーキ屋があったのか」


 気分で脇道に逸れてみると目に入ってきた緑のアプローチ。その先に入ってみると、こじんまりとしたお店を発見した。どうやらケーキを売っているらしい。


「……ま、世話になりっぱなしも癪だしな」


 向こうも仕事とはいえ、貴重な休日にも労働に勤しんでくれている。

 ちょっとしたお礼としてケーキの一つぐらい買ってもいいだろう。


 店内に入ってみると、ショーケースの中には様々な種類のケーキが収められていた。

 いちごショートやチョコをはじめとして、シュークリームやタルト、フルーツロールなど、目ぼしい種類は揃っているようだ。


「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」


「店内?」


 店員さんに言われて気づく。よく見てみると店内にはカフェスペースまで併設されており、お客さんたちは読書をしたりして、ケーキと紅茶をお供にゆったりと過ごしていた。

 時間の流れが緩やかになったような、和やかで落ち着いた雰囲気が漂っている。

 ……なんか、いいな。ケーキの値段も高すぎるわけじゃないし、ゆっくりしたい時に来てみるのもいいかもしれない。


「いや。持ち帰りで」


「かしこまりました。ご注文はお決まりでしたら、お声がけください」


「分かりました」


 俺が頷くと、店員さんは店の奥へと引っ込んでいく。

 さて。何を選ぶか。白雪の礼も兼ねているからあいつの好きなものでも……。


(…………白雪の好きなものって、なんだ?)


 白雪とは、まだたった一週間とはいえ、それこそ朝昼晩と顔を合わせている。

 意外と強情なところとか、他人の役に立とうとする物珍しさとか、意外と笑うこととか。

 前よりは白雪アリスという少女のことを知ったとは思うけれど……まだまだ知らないことも多い。


(意外とまだまだ、知らないことも多いんだな)


 そんな当たり前のことに今更になって気づいた自分に苦笑しつつ、ショーケースの中にあるケーキたちを吟味する。

 俺が白雪の好みを知らない以上、電話なりメッセージアプリなりで連絡をとって本人に訊いてみるのが一番手っ取り早い方法だが……あいつのことだ。ケーキを買って帰るなんて言ったら遠慮して断ってきそうだしな。


 わざわざ店まで入ってきて手ぶらで帰るのは『損』だし、俺の分だけ買って帰るのもこっちが気まずい。ケーキの味を素直に楽しめなくなって結局は『損』をする。


 仕方がない。今回は無難なものをいくつか買って帰るとしよう。


「……ま、次は一緒に来ればいいしな」


     ☆


 ケーキの入った箱を持ちながら帰路につく。

 傾けて中のケーキが潰れてしまわないように注意しながら歩いていると、


「明上様?」


「白雪?」


 ここ一週間で聞き慣れるようになった声の方に振り向く。


「散歩からお戻りになられたのですね。おかえりなさいませ」


「………………おう」


 とりあえず、共に家への帰路につく。

 俺の隣で、相も変わらず楚々とした丁寧な歩みを見せる少女は間違いなく白雪アリスそのもの。なのだが……。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「はい。なんでしょう」


「…………お前の私服って、それ?」


 メイド服を取っ払った白雪は、金色の長い髪を後ろで束ねていた。それはいい。そこまではいい。問題は、そこからだ。

 下は、運動のときとかに穿くタイプの黒いショートパンツ。上はTシャツで、胸には『にゃーん』という文字が書いてあり、更にはデフォルメされた猫の顔が描かれていた。


「? はい。にゃんちゃんのお顔がとても愛らしい一品です」


「そうか……」


 なんというか、そう。ラフだ。ラフな格好というやつだな。

 ……しかもなんだ。『にゃんちゃん』って。もしかして猫か。猫のことを言っているのか。しかも気に入っているのか。


「お前、休みの日に友達と遊びに行く時はどうしてたんだ。雨戸たちとか、何も言わなかったのか?」


「休日に雨戸さんたちとお会いしたことはありません。仕事がありましたので」


「なるほど。それでか」


「?」


 一人で納得している俺に対し、白雪は首を傾げている。

 まあ、スーパーに買い物に行くぐらいならその服装でもいいのだろうが……。


「じゃあ、仮にお前が休日に雨戸たちと買い物に出かけるとしよう」


「はぁ……」


「その時に、何を着ていく? ちなみに制服とメイド服は無しだ」


「その二つでなければ……このにゃんちゃんを着ていきますが」


「やめとけ。それだけは絶対にやめとけ」


 なんだこのメイド。メイド服を脱げば凄まじく危なっかしいぞ。


「明上様がそう仰るのであれば構いませんが……」


「そうしておけ……ったく、休日に何か用事に誘われることがあったら、とりあえず俺に一声かけろ。ファッションに詳しいわけじゃないが、最低限浮かない程度の服装は考えてやれるはずだ」


 少なくとも、俺でもまだ白雪だけに任せるよりはマシだろう。


「……ああ、それと、休日に何か用事とか誘われたら、俺のことを優先して断る必要はないからな」


「ですが……」


「『ですが』は無しだ。用事を潰してまで世話されたって俺の気分が悪くなる。つまり、俺が『損』をするってことだ。休日ぐらい気分良く過ごさせてくれ」


「承知しました。明上様が『得』をするため、ですね」


「? お、おぉ……そうだ」


 やけに物分かりがいいなとは思いつつ、白雪の柔い微笑みがどうにも引っかかる。

 なんだ、その……『分かってますよ』とでも言わんばかりの顔は。


「…………でしたら、あの話は受けた方がよろしいのでしょうか」


「あの話? 何か誘われてたのか」


「はい。次の休日に、バスケットボール部の練習試合があるそうなんです。その応援に来てくれないかと、雨戸様からお誘いを受けまして……」


「へぇー。雨戸の方から誘ってきたのか。そりゃすごい。ウチの学園の女子にとっちゃ夢のようなシチュエーションだな」


 そういえばあいつ、バスケ部だったな。一年の頃からレギュラーとして出ている期待のエース様だったっけ。


「明上様が仰られるのであれば、今回のお誘いは受けた方がよろしいのでしょうか。……以前にもお誘いを受けたことはあったのですが、お仕事を優先させたのでお断りさせていただいたことがあったので」


「俺はただ、『俺のことを優先して他の用事を潰さなくてもいい』ってだけだ。お前が行きたいと思えば行けばいいし、行きたくないと思うなら行かなくていい。そこは自分の意志で、自分の心に従って決めろ」


「自分の意志で…………」


 白雪は少し考え込むと、一人で難しい顔を浮かべ始める。


「どうした」


「難しいな、と。自分の意志で何かを決めるということを、あまりしてこなかったので……」


「……家族のことか」


 突っ込むべきか一瞬迷った。しかし、ここまで自分というものを押し留めている少女を前にして、思わず踏み込んでしまった。


「……はい」


 言いつつ、白雪は遠いどこかを見るように、空を見上げた。


「『家族の役に立つこと』。『笑ってはいけないこと』。どちらも、幼少の頃に父から命令されたものです。私は、そんな父の言葉に縛られて生きてきましたから……」


「…………そうか」


 俺は、まだ白雪のことを良く知っているわけじゃない。

 踏み込んでいいのかも分からない。俺とこいつは、別に恋人でも何でもないのだから。

 だが、踏み込まずにはいられなかった。理由は分からない。ただ俺の心が、そうしたいと願ったような気がした。


「…………お互い、父親には苦労させられるな」


「お互い……ですか?」


「ああ。俺は、死んだ親父のことがあんま好きじゃないんだ」


 家までの道のりを歩きながら、俺は静かに語り始めた。

 他人を助け、決して見返りを求めない、立派な人間だったこと。

 そんな親父の最期は見ず知らずの子供を庇って死んだこと。

 そのせいで母さんが苦労して俺たちを育てることになったこと。

 俺は、そんな親父みたいにはなりたくないこと。


「だから俺は損得勘定で生きるって決めたんだ。親父みたいにはなりたくないからな。……けどそれも、親父に縛られてるってことなんだろうな」


「明上様……」


「だから、その縛りから抜け出すのが難しいって気持ちは、ちょっと分かるよ」


 ……ああ、そうか。

 俺は、まだ白雪のことを良く知っているわけじゃない。でも、分かることだってあったんだ。そしてそれが、俺は嬉しいんだ。


「白雪はどうしたい?」


「えっ……?」


「俺は親父に縛られてるのかもしれない。けど、今は別にそれでいい。これが今の俺の生き方だし、今の自分に満足してる。……でも、お前はどうしたいんだ?」


「私は…………」


 白雪の歩みが止まる。そして漂う沈黙が、白雪の内なる葛藤を語っている。


「…………以前から明上様のことは、とても眩しいと感じていました」


「以前から?」


「はい。その……このお世話係の件よりもずっと前から、明上様のことは存じており、個人的に気にはなっていました。そして私はあなたのことを、とても眩しいと、輝いていると、思っていたのです」


「我ながら輝きどころか濁りきってると思うんだが……」


「いえ。自分の意志、自分の心を貫き通せるその在り方は、とても素敵だと思います…………そう。私は、あなたの在り方を素敵だと思っていました。ですから……」


 今度の沈黙は一瞬だった。しかもそれは、彼女なりの意志を固める時間だったのだろう。


「……ですから私は、きっと…………変わりたい。父の呪縛を抜け出し、あなたのようになりたいと、思っているのです」


 ……ああ、凄いな。白雪アリスという少女は。

 こいつは一歩踏み出したんだ。俺が縛られたままでいるというのに、父親の呪縛から抜け出そうと、尊くも勇ましい一歩を踏み出してみせたんだ。


「俺はどちらかというと父親に縛られてる側だが……そうか。まあ、頑張れよ」


「はい。がんばりますね」


 がんばりますね、じゃないんだよ。……可愛らしく笑うな。心臓がもたねぇ。


「それで? バスケ部の応援ってやつは行ってみるのか?」


「…………そう、ですね。以前のお誘いは断ってしまったので……今回は、行ってみます」


「分かった。じゃあ、次の休日は気兼ねなく応援に行ってこい。こっちはこっちで楽しくやってるから」


「応援から戻ってきた際は速やかに業務に戻らせていただきますので、ご心配なさらず」


「いや別に心配はしてないけど……」


 妙なところで律儀なやつだ。


「いっそ、世話係だって辞めたらどうだ?」


「それは辞めません。私の意志で、続けたいと思っていますから」


 わざわざ無駄な労働を続けるのかよ。本当に変わったやつだな……。


「まあいいや……とにかく、応援にはいくんだな?」


「は、はい。がんばって応援してまいります」


「そうか。なら…………まずは買い物だな」


「? 買い出しなら、既に済ませましたが……」


「そうじゃなくて」


 こいつ、さっき俺が言ったことを忘れたのか。


「明日の放課後、時間あるか」


「はい。特に予定は入っておりませんが……」


「だったらちょっと付き合え。お前の服、一緒に買いに行くぞ」



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