第8話 無自覚な爆弾発言

「おはようございます、明上様」


「……おう。おはよう」


 朝。扉を開けると、そこには今日もきちっと制服を着こなした白雪が立っており、開口一番の挨拶を送ってきた。

 前のように二時間も外で待たせっぱなしにするのは流石に申し訳がないので、あらかじめ家を出る時間を連絡しておいた……んだけど、この様子だと少なくとも五分前ぐらいからは家の外で待機してそうだな。


「体調はいかがですか?」


「もう熱も引いてるし、倦怠感もない。万全だよ」


「そうですか……よかったです」


 目に見えて安堵する白雪。なんていうか……なんだろう。

 前と比べて少しずつ表情が柔らかくなってきたような気がする。


「明上様。こちら、本日の昼食です」


「ん。ありがとな。……あ、そうだ。朝食に食べたおかゆも美味かったよ」


「いえ。お口に合っていたようなら、何よりです。ですが……昨日は何も召し上がらなかったのですか?」


「まあ…………寝てたからな。食うの忘れてた」


 朝食は、昨日に白雪が作ってくれたおかゆを温めて食べた。

 ちなみに昨日のうちに食べなかったのは、真琴からかかってきた電話を受けた後、食欲が湧かなかったせいでもある。病み上がりの時に考えるものじゃないと思ってひたすら睡眠に徹したのだ。とはいえ、寝たことで俺の体調以外に改善したものは何一つとして存在しない。結局のところ学園では現実というやつが襲い掛かってくることは間違いないのだ。


「白雪、お前は……」


「?」


 白雪は知っているのだろうか。自分が今、噂の渦中にいるということを。

 問うても仕方がない。というか、この様子だとたぶん知らない。

 沢渡あたりから噂の真偽を確かめるための連絡でも送られてきそうなもんだが……良い子ちゃんの雨戸にでも止められているんだろうな。白雪は表向き、仕事で休んでたわけだし。連絡は自重したのだろう。


 変なことを口走られても困るし、ここは釘を刺しておくか。


「……いや。お前にちょっと相談がある。時間もないし、歩きながら話すぞ」


 そして俺は駅に向かうまでの道中、白雪に噂のことを話した。


「そうですか……」


「リアクション薄いな」


「いえ……私が男性の方と歩いているだけで、なぜ噂になるのかが理解できず……」


「そりゃお前は色んな意味で目立つからな」


「目立つ……? 私が、ですか?」


 どうやらこの金髪メイドは何も分かっていないらしく、いまいち要領を得ないと言わんばかりに首を傾げている。

 この白雪アリスという少女は自信がないせいか、どうにも己というものを過小評価する傾向にあるらしい。

 まるで己の危険性を自覚していない悲しきアンドロイドみたいだな。仕方がない。ここは己の武器というものをしっかりと理解してもらおう。


「当たり前だろ。たとえば、その金髪の髪だって目が惹きつけられるし」


「えっ」


「その蒼い瞳だって宝石みたいに綺麗だし」


「あの……」


「顔立ちだって整ってるし」


「その……えっと……」


「所作も佇まいも丁寧でどこか気品もあるしな」


「……き、恐縮です」


「笑った顔だって中々のもんだ。あの柔らかくて優しい表情は、普段とのギャップがあって――――」


「あ、明上様っ」


 つらつらと白雪アリスについてのスペックを語っている内に、その本人が珍しく声のボリュームを上げて制止した。


「なんだよ。まだ途中だぞ」


「そ、そうではなくて……あの……」


 白雪は微かに顔を赤くしたまま、どこかはらはらと落ち着かない様子を見せつつ、俯いた。


「それ以上、お世辞など仰らないでください……」


「はァ? 何がお世辞だバカバカしい。俺がそんな『得』もないのに他人に媚びへつらうような人間だとでも? ただの客観的な事実を羅列しただけだ。しかもまだ料理が美味いとか、他人のために『損』を引き受けられるとか、そういう外見以外の話にすら到達してないんだからな」


「うぅぅぅ…………ど、どうしてそのようないじわるを……」


 どうして? あれ。なんでこんな話をしてたんだっけ。えーっと……あ、そうだ。


「だから、ようするにお前は目立つってことだよ」


「……すみません。まだちょっと……意味が……」


「つまりだな……少なくとも俺から見たら、お前は魅力的なんだよ。それは俺だけじゃなくて、学園にいる他の生徒たちだって思ってる。だからだよ。彼氏もいないお前が男と二人で傘をさして歩いてたらさ、誰だって気になるもんなんだ」


「魅力的…………」


「そうだ。魅力的だ。お前は魅力がある。そこらへんはもうちょい自信を持て。そんで自覚しろ。自分がいかに目立っているかを」


「…………」


 白雪は少し考え込み、


「……明上様も、私のことを魅力的だと?」


「だからそう言ってるだろ。これは真琴にも言ったことあるけど、認めるべき点は認める主義だ」


「そ、そうですか……それは、なんというか……」


 僅かに頬を赤らめながら、白雪は口元を微かに綻ばせる。


「…………嬉しい、です」


 嬉しいならよかった……のか?


「ま、まあ、分かったならいい。それで噂の件だが……くれぐれも俺のことは言うなよ。世話係の件とか、突っ込まれたら色々と面倒だからな。それ以上のことはお前に任せるけど、噂になるのが嫌だったら否定するなり誤魔化すなりしとけよ」


 白雪なら無自覚に爆弾を放り込んできそうなのでしっかり釘を刺しておかねば。


「承知しました。明上様のご希望に沿う形になるよう、尽力いたします」


「いや、半分以上はお前のことだし、そこまで畏まる必要もないけど……」


 メイドさんだから仕方がないのかもしれないけど、ここらへんは未だに慣れないな。

 家にメイドがいる男子高校生の方がよっぽど希少種な気がするから、慣れていなくて当然なのかもしれないが……まあいいか。


 ともかく、釘はしっかりと刺したわけだし、あとはもうどうにでもなれだ。


     ☆


 電車で二駅移動したあと、俺と白雪は互いに少し距離をとりつつ学園へと登校し、タイミングをずらしながら教室へと入った。


「秀一。おはよう」


「おー、おはよう」


「体調はもう万全のようだね」


「まあな」


 ……昨日、こいつがなぜ白雪に関する噂の電話を寄越してきたのか。

 その真意は分からない。というか、分かりたくもない。……なんか、結構色々なことに気づいてそうなんだよなぁ、真琴は。

 向こうから何も言ってこない限りは、俺も白雪とは無関係のフリを貫き通すつもりだ。なので、昨日の電話の件についてもこっちから触れるつもりはない。


 と、俺が自分の席について鞄から教科書を出し終えた辺りで、教室の扉が開いた。


「「「――――っ」」」


 先ほどまで雑談に興じていたクラスメイトたちの空気が一気に変わる。

 ようやくお出ましだとでも言わんばかりに皆が一様に興奮しながら、教室に登校してきた白雪へと一斉に視線が集まる。


「あーちゃんっ、おはよっ」


「おはようございます、沢渡さん」


「ねぇねぇ、あの噂ってホントなの?」


「噂というのは……」


「あーちゃんが、知らない男の人と相合傘をしながら二人で歩いてたって」


 沢渡のやつ、いきなりぶっこんで来たな……他のクラスメイトたちは聞き耳を立てている。どうやらカーストトップにして白雪とも付き合いのある沢渡に質問役を託したといったところだろうか。


「はい。事実です」


「えー! うっそー! ねぇ、それって誰? どんな人?」


 白雪のやつがバカ正直に頷くものだから、沢渡をはじめとして他のクラスメイトたちも一斉にざわついた。


「嘘だろ……まさか、白雪に男が……!?」

「い、いやいやいや。待て。まだそうと決まったわけでは……!」

「うぉぉぉおおお……! 頼む神様……!」


 なぜか男子たちが神に祈りはじめたぞ。つまり、この教室にいる約半分の生徒が何かしらの宗派に入信してしまったわけだ。


「もしかして、あーちゃんの彼氏とか?」


「それは違います。今、私が仕えている人ですから」


「ああ、なーんだ。仕事だったのかぁ……」


 どこかガッカリする沢渡。対照的に、男子たちはお互いを励まし合い、神の存在に感謝していた。

 白雪がメイドとして働いていることは噂レベルでも流れていたことなので、皆はそれで普通に信じたようだ。……まあ、嘘じゃないしな。紛れもない事実ではある。


「あたし、てっきりあーちゃんに彼氏が出来たのかと思ってたなぁ」


「彼氏ではありませんが……」


 その時だった。

 一瞬。周りの生徒たちに気づかれないほど、ほんの僅かな間だけ。白雪はなぜか俺の方へと視線を移すと、口元にあの笑みを浮かべた。


「……私が、傍に居たいと思える方です」


 柔らかくて、優しくて。いつも見せていた淡々とした落ち着きのある白雪とは違う、俺の知るあの笑顔を……僅かに浮かべて見せたのだ。


「「「――――――――っ……」」」


 それを見て、この場に居たクラスメイトたちが一斉に息をのんだ。

 時間が止まったかのような静寂が教室中を包み込んで、沢渡が一人呆然としながらも口を開く。


「あーちゃんが……笑った……?」


 恐らくだが。それはきっと、一年からの付き合いがあった沢渡ですら見たことのない笑顔ものだったのだろう。

 そして彼女は『そこ』に何かしらを……『これは何かあるぞ』というものを感じ取ったらしい。


「やっぱり彼氏じゃん、それ!」


「いえ。ですから違います」


「いやいやいや。だって絶対に特別に思ってるじゃん! ねー、教えてよ!」


「申し訳ありません。本人の意向もありますので……」


「なにそれ、口止めされてるってこと? ますます意味深じゃん!?」


 あの白雪アリスが笑った。

 それだけで噂の燃料となるのは確実で、俺は思わず天を仰いだ。

 ちなみに男子たちは神は居ないと呟きながら同じく天を仰いでいた。


「あの……一体何が……?」


 当の白雪本人はクラスの盛り上がりを理解することなく、ただ不思議そうに首を傾げるばかりだった。


 ああ……白雪め。やっぱり爆弾を落としていきやがった……。



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