第6話 笑顔の理由

 盛大に水を被った俺は、帰宅してすぐにシャワーを浴びて身体を温めたものの、それでは間に合わなかったらしい。

 翌日の朝に起きたと同時に抱いたのは、倦怠感。もしやと思って体温計で測ってみると、身体の体温も高い。咳が出ているわけじゃないし、風邪ってほどでもないんだろうけど……。


「……休むか」


 この状態で登校するのは無理だ。途中でぶっ倒れたくもないし、悪化するのは言うまでもなく『損』だ。ここは大人しく回復に努めるとしよう。


 ――――悪い。熱が出てるから学校は休む。弁当はいらん。


 メッセージアプリで白雪に業務連絡を入れ、その後は真琴にも連絡を入れておく。

 ついでに母さんにも学園側に連絡を入れてほしいということを伝えた上で、スマホを放り出して布団に潜った。


 目を閉じると、身体が休息を欲していたのかすぐに眠ることが出来た。






「…………ん」


 しばらくして、不意に目が覚めた。体調はまだ戻っていない。倦怠感はそのままだ。……やっぱ休んで正解だったな。登校できても授業どころじゃなかっただろう。


「授業……もう始まってる頃か」


 時間的にはもう一限目が終わった頃だろうか。

 朝食をとってないから腹も減ったけど……コンビニに行く気力もないな。


「あれ……でも、なんか…………」


 うっすらとだけと卵の香りが漂ってくる。

 上半身を起こしてみると、傍にあるテーブルの上に白い湯気をたてた土鍋が置かれてあった。

 あんなものは作った覚えはない。母さんがこっそり来た……というわけでもないだろう。締め切りが近くて忙しいはずだし、連絡を送った時に来なくていいと言ってある。


「……おはようございます、明上様」


「やっぱお前か……」


 俺が目を覚ましたことを察して楚々とした足取りで、台所の方から白雪が姿を現した。


「授業はどうした」


「お休みを頂きました。仕事でお休みをいただくことは、これまでにも何度かあったので」


 俺の名前は出さなかった、と暗に伝えているのだろう。

 だが、俺のせいで白雪を休ませてしまったことには変わりはない。これも借りか。


「……申し訳ありません」


「だから悪くもないのに謝るなって言ったろ」


「明上様が体調を崩されたのは、私の責任です」


「あれは俺が自分でやったことだ。お前が責任を感じる必要はない」


「私は怪我をした明上様のお世話をするために、ここに来ました。なのに……私のせいで…………私は……他人ひとの役に立たないといけないのに」


 他人ひとの役に立たないといけない、か……ほんと、理解出来ないな。


 たぶん、俺がどれだけ言葉を尽くしたところで、きっとこいつは責任を感じるのだろうし、こうして申し訳なさそうな顔をしているのだろう。


「……申し訳ないと思うならさ、話し相手になってくれよ」


「えっ?」


「暇なんだよ。なんか目も覚めてきたし。かといって、身体を休めるためには大人しくしなきゃだし。暇潰しに、何か話でもしようぜ。今は成り行きでこんな生活を送ることになってるけどさ、何だかんだお互いのことも知らないままだし」


「……承知しました」


 といっても、俺とこいつとの間で共通の話題なんてものは限られている。

 会話が弾みそうなものともなればさらに限られてくるだろうし、下手をすれば無だ。

 白雪もそれを感じているのだろう。いや、元から他人と話すのが得意そうなやつじゃないしな。


「白雪ってさ、なんでメイドやってるの?」


 特に話題も浮かばなかったので、気になるところに突っ込ませてもらうとしよう。


「メイドの家系に生まれたとか?」


「いえ。私は元々、九条の家に仕える人間ではありません。ですが…………私は不出来な子供だったので、九条の家に使用人として預けられたんです」


 親が子供を見限ったってことか? いや、いくら見限ったといっても、実の娘を使用人にして他所にやるのか。

 ……なぜ白雪が、自分に対して自信がないのか。人に謝ってばかりなのか。その理由が少しだけ分かった気がする。


「白雪があんまり笑わないのは……それが関係してるのか?」


「どうなんでしょう……あまり自覚はありませんが。でも、思えば……幼い頃は、笑わないように心がけていたと思います。私が笑っていると、家族に不快な思いをさせてしまうようでしたから」


「……なんでお前が笑ってるだけで不快な思いをするんだよ」


「……分かりません。ただ、笑っている暇があるなら努力をしろ、とはよく言われました。怒られてばかりでしたね」


 幼い頃の白雪は、もう少し笑う子供だったのだろうか。

 だが今の白雪アリスという少女は周りに比べて感情表現が乏しいように思う。

 笑顔を見せる彼女を、つい最近まで俺は見たことがなかった。

 それがどうというわけじゃないが、ただ――――……


「……勿体ないな」


「勿体ない、ですか……?」


「そうだな。勿体ない。なんつーか……」


 素直に口にするのは躊躇われた。けれどそれ以上に、目の前に居る笑わない少女に伝えたいと思った。


「……俺はいいと思うぞ。お前の笑った顔」


「わ、私の……?」


「昨日、笑ってただろ。スーパーの帰り道でさ」


「あっ……」


 白雪も思い出したらしい。思い出さなければならないほどに無自覚だったとも言えるのだろうが。


「あの時の笑顔は……悪くなかった。見ても不快にはならないし、なる方がおかしい」


 ……いかん。自分でも何を言いたいのか分からなくなってきた。


「だから……もういいんじゃないか」


 ああ、やっと言いたいことがまとまってきた。


「お前はもう、笑ってもいい」


 白雪アリスという少女は他人のために生きている。

 俺は、それがどうにも理解出来ないし、他人の為に自分を封じ込める白雪が理解出来なかったし、バカバカしいと思った。


「笑っても、いい……?」


「ああ。昔はどうだか知らないけどさ。今は違うだろ。お前の家族はここにはいないし、お前が笑う方が、嬉しくなる奴の方が多いと思う」


「……………………」


 意外そうにしているということは、それほど驚いているということなのだろう。

 白雪にとって『笑ってもいい』という選択肢は、ありえなかったものなのかもしれない。

 それこそバカバカしい。白雪の場合は、自己中心的と言われるぐらいが丁度いいのかもしれない。


「…………明上様は、その方がいいですか?」


「は?」


「私が笑っていた方が……明上様は、嬉しいですか?」


「まあ……嬉しいか嬉しくないかで言えば……嬉しいんじゃないか?」


「そうですか」


 その時だった。


「……これからは、善処しますね」


 笑ったところを見たことがないと、周りから評されている白雪アリス。

 彼女が俺に向かって、清純な花のような微笑みを向けてくれたのは。


「……やればできるじゃん」


「?」


「なんでもねーよ」


 白雪の微笑みを見てから不思議と顔が火照ってきた俺は、布団をかぶって眠りにつくことにした。




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