第4話 お弁当

「学園ではいつも通りだ。メイドとか、世話とか、そういうのは一切なし。今まで通り、ただのクラスメイトってことで頼む」


 ……という釘を電車に乗る前に刺しておいたおかげか、学園に着いてからはまさにいつも通りの関係に戻った。

 教室に入ってから俺は教室の片隅でひっそりと過ごし、対して白雪は登校するや否や、


「おはよう、白雪」

「おはようございます、雨戸さん」

「ちょっと聞いてよ、あーちゃん。犬養のバカがまた変な動画を見せつけてきてさ」

「えー! いやいや最高っしょ! ちょい白雪ちゃんも見てみ? マジでヤベーから! さすがの白雪ちゃんも爆笑間違いなしよ?」

「あーちゃんはそんなのじゃ笑わないっての。っていうか、あたしでさえ一度も笑ってるところを見たことが無いんだから!」


 クラスのトップカーストのお出迎え付きだ。

 白雪が何もせずとも学園の人気者たちが自然に集まって話題を提供してくれる。

 学園生活においてこれほど贅沢なオプションはそうそう手に入らないだろう。


 とはいえあの光景が白雪アリスにとっての普通であり、俺にとっての普通でもある。

 むしろ昨日がおかしいんだ。本来ならカーストトップの白雪とカースト最底辺の俺は、卒業まで関わることすらなかったであろう人種同士。この距離でようやく正常であって――――


「……………………」


 …………おい白雪。こっち見るな。お前はカーストのトップグループ様との会話中だろうが。世が世なら不敬罪で打ち首だぞ。俺が。


「ちょっとちょっとぉ! 白雪ちゃーん、どこ見ちゃってるわけー?」

「あ、いえ。なんでも……ありません」


 だから申し訳なさそうにこっち見るな。

 白雪の席は教室の中央から黒板に向かって右下。俺からすれば右斜め前の位置であり、そんなところから俺に視線を送るには、最低でも顔ごと斜め後ろに向ける必要がある。

 そんな大きな動きをしたらバレるだろうが……! 色々と……!


「あんたの動画がつまらないから、あーちゃんも困ってるんでしょ」

「うっそマジで!? ショックだわー」


 どうやら連中は良い感じに誤解してくれたらしい。

 そして俺の視線での念が通じたのかどうかは定かではないが、白雪も視線を送ってくるのを控えてくれた。よろしい。

 やれやれ。これでいつも通りに……。


「白雪さんがどうかしたのかい?」


「うおっ!? ま、真琴か!?」


 しまった。白雪の行動に集中していたせいか、真琴が登校していたことに全く気付かなかった。


「よ、よぉ、真琴。来てたのか」


「ああ。少し前にね。……で、どうしたんだい? さっきから白雪さんと見つめ合ってるような気がしていたけれど」


「偶然だろ、偶然」


「ふむ……まあ、確かに。彼女と君に接点は大したないはずだしね」


 大した接点が出来てしまったとは口が裂けても言えないな。

 こいつのことだから絶対に面白がる。


「でも一つ気になることがあるといえばあるけどね」


「……なんだよ」


「白雪アリス。彼女は君のことを『明上様』と呼ぶ」


「それがどうかしたか」


「対して他の人物……たとえば雨戸光流。彼に対しては『雨戸さん』と呼んでいる。僕としては、この違いが大いに気になるところだ」


 真琴の言葉に内心ギクリとしてしまう。

 俺が白雪と同じクラスになったのはこの二年生からだ。つまり『明上様』と言われたことしかないし、他人に対しては『さん』付けなのは知らなかった。


 これは恐らく、『腕の怪我が完全に治るまで身の回りの世話をする』という話が水面下で進行していたことによるものだ。俺が退院した時点で白雪にとって俺は『仕事メイドで仕える相手』として認識していたのだろう。


 だからこそ俺には『明上様』と呼び、他の人間に対しては『さん』付けになっていたんだ。


「そ、そりゃあ、アレだ。言い間違えたんだろ。ほら、噂じゃあどっかの屋敷でメイドとして働いてるらしいし、仕事の癖が抜けないんだ」


「なるほど……確かに、その線もありえるかもしれないね」


 真琴のやつ、色々と鋭いんだよな。洞察力があるっていうか……探偵小説ならまさに主人公の探偵を立派に務めそうなやつだ。ちなみに俺の場合は無理やり単独行動してアッサリ真犯人に殺害される被害者Aがいいところだろう。


「しかし、僕が記憶している限り彼女のそうしたミスはこれまで一度も――――」


 また真琴がその洞察力を無駄に発揮しようとしたところで、タイミングよくHRの始まりを告げるチャイムが鳴った。


「ほら、さっさと席に着けよ」


「む……」


 普段は特に急かしたりもしないのに、今回ばかりは真琴を席に着かせるように促す。

 更にタイミングよく教師が入ってきて、なんとか危険流れを断ち切ることに成功したのだった。


     ☆


 授業を挟んでいるうちに、真琴も白雪の『様付け』と『さん付け』の違いへの興味が失せたらしい。……いや。俺があまりにもはぐらかすものだから『興味を失ったフリをしてあげた』と言った方が正しいか。


 昼休みになると、今朝の件について訊ねては来なくなった。


「あー、腹減った」


 今朝、白雪から持たされた包みを開ける。母さんから受け取っていたのであろう弁当箱と、もう一つ小さな箱が出てきた。……あー、よかった。これでいつもと違う弁当箱だったら、ますます真琴に怪しまれていた。


「おや。今日は弁当なのかい? 珍しいね」


「いつもパンばかりだと栄養も偏るし、たまにはな」


「いい心がけだ。とても君から出てくる考えとは思えないほどにね」


 …………そうだよ。白雪たにんの受け売りだよ。悪いか。


 ひとまず真琴のコメントには敢えて言及せずに弁当箱を開封。

 卵焼きにミニトマト、レタスやブロッコリーなどの野菜に加え、アスパラのベーコン巻きにウィンナー、チーズかまぼこ。あとこれは……鶏肉の照り焼きか? おおっ、よく見るともう一つの箱にはデザートに林檎まで入ってる。


 白雪の料理の腕は昨日、舌で味わっただけに心が躍る。見ているだけで食欲がそそられるぐらいだ。


「おや。今日は随分と凝ってるね」


「そ、そうか?」


「ああ。このチーズかまぼこなんか、わざわざ野菜の皮で巻いてあるじゃないか。それにデザートの林檎はウサギの形に切ってあるし、にんじんやウィンナーに至っては飾り切りにしてある」


 母さんは俺と違って料理は出来るし、弁当も至って普通だが、逆にそういった一手間はかけない。シンプルイズザベストである。まあ、忙しい中で時間を割いて作ってもらってるわけだし、不満も感じたことはないけど。


「別にいいだろ、たまには」


「まあ、そうだね。凝っているに越したことはない」


 真琴も特に深く言及はしなかった。昼食の妨げになると思ったのかもしれない。

 俺としても白雪の弁当に早くありつきたかったので、目の前の親友がちゃんと空気を読んでくれたことに感謝しつつ、さっそく箸をつけようとして――――


「あーちゃんのお弁当、今日は一段と凝ってない?」

「うおっ! マジだ! にんじんとウィンナーの形とか、すごくね?」

「飾り切り……って言うんだっけ?」


 ――――上級階層の会話が漏れ聞こえてきた。


「にんじんとウィンナーの飾り切り、か……」


「…………」


 真琴が俺の弁当箱の中身に視線を注ぐ。

 そこにはバッチリと、華の形に飾り切りされたにんじんとウィンナーが入っていた。

 とにかくそれらを口の中に突っ込んで証拠を隠滅する。うん。美味しい。


「これって鶏肉の照り焼き? おいしそー」

「確かに。見てるだけでお腹が空いてくるな」

「かー! ウチの母ちゃんに見習わせてー!」


 再び、真琴の視線が俺の弁当箱の中に詰められている鶏肉の照り焼きに注がれる。


「鶏肉の照り焼き、か……」


「……………………」


 瞬時に鶏肉の照り焼きを口に詰め込む。濃すぎず薄すぎずの絶妙な味付けだ。……ちくしょう。これも美味いじゃねぇか。


「偶然にも、君と白雪さんの弁当箱の中身が類似しているようだね?」


「そうだな。偶然だ。凄い偶然だな」


「ああ。確かに凄い。本当に偶然だったのなら、だけど」


 まずい。というか、俺が迂闊だった。

 そりゃそうだよ。同じ人間が弁当を二つ作るんだったら、二つとも中身が同じになるわな。

 よりにもよってそれを真琴の前で開けてしまったことも失敗だった。今日ばかりは何かしら理由をつけて離れておくべきだった……。


「……ぐ、偶然に決まってるだろ」


「君がそう言うなら、今日のところは偶然にしておいてあげるよ」


 助かる、と口では言わないが、心の中に秘めておこう。


「いやぁ、白雪ちゃんの彼氏になれたらさー、こんなスゲー手作り弁当とかもらえちゃうんでしょ? さぞかし美味しい思いをしちゃいそうだよねぇ。手作り弁当だけに!」

「うわ、つまんなっ」

「えー! ワタリン、俺に対して辛辣じゃねー!?」

「ははっ。オレは好きだぞ。犬養のそういう場を盛り上げてくれるところ」

「そう言ってくれる光流っちが、俺もうマジで大好きよー!」


 ……と、いう上流階級トップカーストの会話に耳を澄ませる真琴。

 普段は大して興味もなさそうにしているくせに、今日ばかりは自分の弁当に手を付けず、聞き入っている。


「彼氏、か…………」


「おい。何を考えているのか知らんが、違うからな」


「ああ、そうだね。まだ情報が不足してる」


「一生不足してろ」


 ……弁当に関しては、明日からちょっと考える必要があるな。

 昼だけでもコンビニ飯とか、パンとか、学食にする……という選択肢を躊躇う程度には、白雪の料理は絶品だ。


 かといって、わざわざ違う中身にしてくれとは頼みづらい。

 流石に白雪の労力が大きすぎるし、それを一方的に強いるのは本意ではない。


(つーか、これ……わざわざ早起きして作ってくれたんだよな)


 俺は普段から料理をする人間ではないので、この弁当を作るのにどれだけの時間と労力を割いたのかは分からない。だが白雪は朝の五時から俺を家の外で待っていた。弁当を作ってくれたことを考えると、もっと早い時間から起きて準備をしてくれたわけで……。


(……………………なんか、礼ぐらいするか)


 俺は自分の『得』にならないことはしない。

 俺は親父と違って自分の為に生きていくつもりだし、自分のためにしか動かない。


 だが、白雪は仕事でありながら仕事以上のことをしてくれている気がする。

 身の回りの世話というだけなら、別に弁当をこんなにも凝る必要はない。

 野菜や果物を普通に切ったっていいし、わざわざチーズかまぼこを野菜の薄く剥いた皮で包み込む義務だってないのだ。


 結論として、白雪は仕事以上のことをしてくれている。

 ならばそれをただ一方的に享受するのは、果たして俺にとって『得』なのだろうか。

 ……普通は『得』なのだろう。確かに。しかし、俺にとっては『損』だ。


 理由は単純。俺は他人に借りを作りたくはない。


 仕事の範囲で世話をしてくれるならともかく、凝った弁当を作ったり、朝五時から二時間も外で待ってくれていたり、それは明らかに『身の回りの世話』という仕事以上のことだ。仕事の範囲を超えているならば、それは俺にとって『借り』だ。そして他人に『借り』を作ることは、俺にとっては『損』になる。


 だから、さっさと『借り』を返済して『損』を消す。


 うさぎの形にカットされた林檎を食べながら、俺は心の中で密かにそう決意した。






 …………だから、俺は気づかなかったのだ。


「…………」


 弁当の味を俺がお気に召すか、内心ではやや心配だった白雪が、また俺の方に視線を送っていたことに。


「――――」


 そして、そんな白雪と俺を……雨戸が見ていたことに。



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