第3話 朝の一幕

「前々から心配だったのよー。あんた、料理とか出来ないでしょ? 放っておいたらコンビニ弁当ばかりになっちゃいそうだな~とか思ってたら、このご提案でしょう? 母親としては是非にと……」


「建前は分かった。で、本音は?」


「創作のネタになりそうだから感想よろしく」


「だと思った」


「あ、そうそう。予備の鍵スペアキーは白雪さんに渡してあるから」


「セキュリティの概念はないのか!」


「うるさいわねぇ。いいじゃない、別に。だって身の回りのお世話をしてくれるのよ? あんたの苦手な料理は元より、掃除も洗濯も何もかもしてくれるっていうんだからさ。むしろあたしが欲しいぐらいだわ。どこに何の不満があって、あんたに何の『損』があるっていうの?」


「ぐっ……」


 その言い方はグサリと胸に突き刺さる。……確かに。あまりにも急な襲撃だったせいか反射的に拒否をしてしまっていたものの、白雪が世話をしてくれたところで俺になんの『損』があるというのか。……という考えに傾いているぐらいには弁当が美味かった。それに、煩わしい家事などで費やされるはずだった時間が浮いた分……。


「冷静になって考えれば『得』も多いでしょ?」


 流石は母親というべきか、俺のことを熟知している。

 きっとこのスマホの向こうでは、いつも通りの笑みを口元に浮かべていることだろう。


「……わーったよ。こっちはなんとか上手くやる」


「よろしい。んじゃ、そういうことで」


「悪かったな、締め切り前に」


「別に気にしなくていいわよ。親子の会話優先」


 ……と、いうわけで。

 縋る思いで電話した母さんに上手くやりこめられてしまった俺は、メイドとしての白雪を受け入れざるを得なくなってしまった。


 これ以上、駄々をこねても物事は前に進まない。時間を浪費するだけ。それは俺にとっては『損』だ。ならばここは状況を受け入れ、少しでも前に進む方が『得』だろう。


「こうなったら仕方がないか……白雪、ちょっとそこ座ってくれ」


 空になった弁当箱を洗い終えた白雪と、俺はテーブルを挟む形で床に座り込む。

 スクールカーストのトップ・オブ・トップのグループにいるあの白雪アリスが、手を伸ばせば触れられるほどの距離にいる。……不思議な感覚だな。


「もう腹はくくった。俺にとっても『得』が多いし、この話は受けようと思う」


「……ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げる白雪。……なんで頭を下げてるのだろう。むしろ感謝と共に頭を下げるのは俺ではないだろうか。


「基本的には隣に借りたっていう部屋にいるんだよな?」


「はい。ご用件があればいつでもお申しつけください。連絡先はこちらになります」


「お、おぉ……」


 連絡手段は普通にスマホでやり取りするらしい。

 メッセージアプリのIDが記載されたメモを渡された。

 ……別に売り飛ばす気はないが、白雪アリスの連絡先なんてうちの学園だったらいくらの値がつくか。


 しかし、用件があれば申し付けろということは……逆に考えれば、こっちから言わない限りは干渉してこないってことか?

 ……なるほど。ホテルのルームサービスみたいなものだと考えれば、悪くない話だ。


「一つだけいいか?」


「何なりと」


「母さんから予備の鍵スペアキーを預かってるって聞いたんだけど、こっちから何か言わない限りは勝手に部屋に入ってこないでくれ」


「承知いたしました」


 ひとまず己のプライバシーを保証させてもらった。

 好き勝手に出入りされたら流石に『得』よりも『損』の方が上回る。


「それさえ守ってくれればいいよ。じゃあ、腕の骨が完全に治るまでの間だけど……よろしく」


「はい。よろしくお願いします」


 白雪本人がクールというか淡々としているというか、とにかく物静かなやつなのでどこか業務的になったやり取りを終えると、ひとまずその場は隣の家に帰ってもらった。残りのダンボールを開けるだけの気力は沸いてこなかった俺は、その日は銭湯に行ってさっぱりした後は夜更かしもせず就寝した。


 一晩も眠れば昨日のことも印象として薄れてきており、心の中で整理も出来たせいか、「便利なサービスをタダで受けられてラッキー」ぐらいの認識だ。


「弁当……は面倒だからコンビニでパンでも買うか」


 身支度を済ませ、さっそくコンビニに向かうべく家を出ると――――


「おはようございます。明上様」


「うおっ!?」


 ドアを開けて外に一歩踏み出すや否や、真横から白雪の挨拶が飛び出してきた。


「? どうかされましたか……?」


「い、いや……あまりにもタイミングが良すぎたから、つい…………」


 思わず目の前の白雪の姿をまじまじと見つめてしまう。

 当然だが、今日は学校があるのでメイド服ではなく学生服に着替えている。

 いつもの教室で目にする白雪だ。むしろ昨日のやり取りの方が夢だったんじゃないかと思うぐらい。


「……もしかして、俺の部屋に実はこっそり隠しカメラとか仕掛けてるとかじゃないだろうな」


 ドアを開けた瞬間にはもう外にいたって感じだ。俺が部屋を出るタイミングを計っていたとしか思えない。

 わざわざ世話をするために引っ越しをしてくるような金持ち相手だし、小型のカメラを部屋の至る場所に仕掛けているなんてこともありえるかもしれん。


「いえ。そんなことは……明上様の登校時間が分からなかったので、待っていただけです」


「待ってた? ずっと外で待ってたってことか? それって何時から……」


「五時だったと記憶しています」


「おまっ……二時間も前からずっとここに立ってたのか!?」


「はい」


 事も無げに頷く白雪。俺に対して恨み言を言うでも小言を吐くわけでもなく、あたかもそれが当然とばかりに。……理解できねー。赤の他人の為に二時間も外で突っ立ってるとか、どう考えても『損』だ。


「なんでそんなことしてたんだよ……」


「申し訳ありません……明上様の登校時間が分からなかったので」


「先に行けばいいだろ」


「申し訳ありません……ですが、明上様の身の回りのお世話をするようにと、仰せつかっておりますので……」


 本当に申し訳なさそうにする白雪。

 俺に迷惑をかけたと思っているのだろうか。……なんていうか、昨日にしても今にしても、ずっとこいつに謝られてばかりな気がするな。


「……分かったよ。これからは登校する時は連絡入れる。だから家の外で待たなくていい」


「それだと、明上様にお手間をとらせてしまうのでは……」


「外でずっと待たせると逆にこっちがやりにくいんだよ。ちょっとの手間で気持ちが多少軽くなるなら、そっちの方が『得』だ」


「……承知しました。お心遣い、感謝します」


 律儀に頭を下げる白雪。……やりづらい。

 ただ他人行儀なだけならまだいい。でもこの場合、どうしても俺の方が有利な立場にいる。それがどうにもやりづらい。これも……慣れていくしかないのか?


「……じゃあ、もう先行ってていいよ。俺はコンビニに寄ってくから」


「コンビニ……?」


 ため息交じりに告げると、白雪が僅かに反応を見せる。

 これまで「承知しました」とか「申し訳ありません」とかしか言ってこなかったのに。

 そして白雪は珍しく考え込むようなそぶりを見せると、


「……あの、明上様。なぜコンビニに?」


「朝飯と昼飯を買うためにな。だから先に行っててほしいってこと。待たせるのも悪いし」


 そのまま歩み始めた俺の腕を、白雪の手が掴む。


「ど、どうした?」


「……昼食でしたら、こちらにございます」


 白雪が鞄から取り出した見慣れた包み……中に入ってるのは弁当箱だろうか。

 包み自体も、俺の家にあるのと同じだ。もしかして母さんの差し金か?


「えーっと……もしかして、俺の分?」


「要らないようでしたら、捨てていただいて構いませんから」


「流石に捨てるわけないだろ。……まあ、作ってもらったなら、ありがたく貰っておくよ」


 昨日の弁当の味は脳に焼き付いているせいだろうか。

 自分にしてはアッサリと弁当箱を受け取ってしまった。


「それと……差し出がましいようですが、今後は明上様の朝食を作らせていただけませんか?」


「は? いや、そこまでしてもらうつもりは……」


「ですが、コンビニのお弁当ばかりだと、栄養も偏ってしまいますし……作らせてください」


「…………っ……」


 これまではどこか淡々としていて、謝ってばかりだった白雪が、珍しく(珍しくというほど接点もなかったが)強く主張してきている。

 俺の知る白雪アリス。学園での白雪アリスは、こんな風に何かを強く主張したことはなかった。それが少し新鮮で、不意打ちを喰らったような気分になって、無意識の内に頷いてしまう。


「わ、分かった……」


「……ありがとうございます。精一杯、がんばります」


 どこかほっとしたように、そして嬉しそうに胸を撫でおろす白雪。

 その顔に思わず見惚れそうになったので、誤魔化すように背中を向けると、俺は心持ち速足で歩きだした。


 立ち寄ったコンビニで朝食だけを買い込んで外に出ると、白雪は律儀に待ってくれていた。


「先に行っててくれって言ったろ」


「……申し訳ありません。ですが、旦那さまから…………」


「仰せつかってるのね。分かった分かった」


 もう諦めよう。白雪からすれば己の職務を全うしているだけだ。

 とはいえ、悪くもないのにこうも一方的に謝られてばかりなのはやっぱり……やりづらい。

 今までは高嶺の花のようなものだったので分からなかったが……


「意外と、自分に自信が無いんだな」


「……えっ?」


「さっきから、悪くもないのに謝ってばかりだろ」


「……申し訳ありません」


「だから謝らなくてもいいって」


 どうしたものかと、つい頭をかいてしまう。

 白雪は申し訳なさそうにやや俯きがちになっているままだし。


「俺はさ……別に今更、自分の評判なんてどうでもいいんだ。去年のこともあって、どーせ嫌われ者だからな」


 自分の評判を向上させるための労力を割くつもりはない。そんな労力を割くのは、俺にとっては『損』だ。

 ……まあ、ご近所トラブルだけは勘弁してほしいけど。


「けどな、悪くもないのに一方的にペコペコ謝らせて気分を良くするほど、落ちた人間でもないつもりだ」


「あ…………」


 最初は、メイドとしての振る舞い何だろうとか、謝っておけばとりあえずご機嫌がとれるとでも思っていたのだろうかと考えたが……違うな。たぶん白雪アリスという少女は、根っこの部分で他者に謝る癖のようなものが染み付いているんだ。


 といっても、そんなものは俺にとって『損』なので、早急に止めてほしいところだ。


「今後はもう『申し訳ありません』は禁止な」


「えっ? で、ですが……」


「勘違いするな。そりゃ、お前が悪い時はちゃんと謝れ。けど、悪くもないのに謝るな。そんなことされても俺に『得』はないんだよ」


「…………承知しました」


 しばらく戸惑うようにしていた白雪だったが、観念したように静かに頷いた。


「やべっ。電車に遅れる……急ぐぞっ」


「は、はいっ」




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