第31話 もういちど空白の時間

 劇は盛況のまま終わっていった。

 穂花ほのかは良い感じに緊張がほぐれて、しっかりとドロシーを演じきっていた。


 はっきりとは覚えていないけれど前の時よりも拍手が大きい気がする。もしかしたら俺が二度目の演技だけに、前よりも上手くやった事が要因になったのかもしれない。

 前と同じ時間には出来ない。そのことをさらに強く感じていた。


 だけど今は前と同じ時間を作る必要はなかった。穂花を救うためには、とにかく前の時間と何かを変えなくてはならない。だけど何をどこまで変えればいいのかの加減はわからなかった。

 フェルの推測に寄れば、穂花がオーディションへの参加を決めた事が事故の要因だという。もしその推測が正しいのであれば、この後の文化祭デートを変えれば穂花の決意は揺らぐはずだ。


 ただそうはいってもどこまでを変更するべきなのかわからない。

 穂花の相談にのるべきだろうか。それとものらないでいるべきだろうか。

 わざと話が出来ないようにした方がいいのだろうか。穂花は俺が励ましたことで、オーディションにでる事を決めたと言っていた。だけど俺が穂花の相談にのらなければ本当にオーディションに出ないのだろうか。


 今日の舞台の成功は穂花に自信をつけさせたはずだ。もしかしたらそれだけでもオーディションに出ようと結局は決めていたかもしれない。

 そう思えば穂花の緊張をとかないでいた方が良かったのだろうか。

 いやそうしなくても穂花はなんだかんだで最後には一人で乗り越えたような気もするし、あそこで穂花を励まさないのも不自然だ。そう思えば悪くない選択だったと思う。


 本当に? 自問するが答えが出るはずもなかった。

 わからない。正解がわからない。だけど答えを間違えた時は、穂花を失う。穂花の事故は避ける事ができない。

 まだ繰り返す事はできる。だけどこの長く戻した時間の中で、出来れば決着をつけてしまいたいと思う。もうこれ以上、穂花が死ぬところを見たくはなかった。


 だけど正解がわからない。

 未来への答えなんて誰だって知らないはずだ。だけどいつもなら平気で過ごす事ができる。わからないのが当たり前だから、考えても意味がないからだ。

 だけど今は違う。俺は答えを知っている。未来を俺は知っている。知っているからこそ、その答えを覆したいからこそ迷いがとれなかった。不安で胸が押しつぶされそうになる。


 俺が間違えれば穂花は死ぬ。無残に事故にあって、真っ赤な血を辺りに散らして。穂花は、物言わない姿に変わる。

 大きく首を振るう。まだ目に焼き付いて離れない。思いだした光景に吐き気すらもよおす。


 そんな未来は絶対に変えなければならない。だから俺は目を大きくつむって、それからこのあとやってくるであろう穂花を待ち続ける。

 途中でなった電話に出てもよかった。だけど今は気がつかないふりをしておく。

 どこか空白で物憂げな時間は、あの時と変わらない。だけど覚えている気持ちとは同じではなかった。

 ただ穂花が遠くにいってしまうんじゃないかと恐れる気持ちは、ある意味では同じではあったかもしれない。失う理由は大きく違っていたけれど。

 だから穂花がやってくるのを待つ。待ち続ける。


 そしてそんなに長い時間が経つこともなく、穂花は教室にやってきていた。

 もうすでにブレザー姿のに、いつも通りの優しい笑顔の穂花だった。


「あ、こんなところにいた。もー、たかくんライムもいっぱい送ったし、電話もしたのに返事ないんだもん。探しちゃったよ」

「悪い。きがつかなかったんだ」


 俺は慌ててスマホを取り出す、ふりをする。

 着信有りになっているのも、ライムが来ているのも本当は知っていた。同じ時間に近づけるために、わざと無視していた。少しでも時間を変えずにすむようにと思った。


「もー。たかくん、ひどいなぁ。文化祭一緒に回ろうとかいっておいて、私ほったらかしなんだもん。たかくんはいつもそうだよね。私の事なんて、どうでもいいんでしょ」


 ぷぅと口元を膨らませて、顔を背ける。

 いつもなら可愛いと感じた表情も、今は失われるかもしれない恐怖と、未来を変えなければならない使命の間にかき消されていた。

 だけど今はまだ繰り返す。同じ時間を繰り返す。まだここは変えるポイントじゃない。俺は強く思う。


「い、いやそんなことはないぞ。穂花は大切に思っているぞ」

「ほんとかなぁ。あやしい。じゃあきくけど、唐揚げと私、どっちの方が好き?」

「そんなの決まっているだろ。唐揚げだ」

「……」


 胸を張って告げると、穂花はジト目でにらみつけてくる。

 こんな冗談が言える関係というのは、本当に尊いものだなとも思う。穂花はこんな事で本当に怒ったりはしない。それをわかっているからこそ、こんな冗談が言えるのだ。

 まだこれからも同じようにずっと同じように冗談を言えるままでありたい。そのためにも俺は時間を変えなくてはならない。穂花を救わなければいけないんだ。


 自分にやりきれるのかわからないけれど、だけど俺がやらなければ穂花は死んでしまう。それだけは絶対に防がなければいけない。

 だから俺は意思を強く持ちながら、穂花へと前と同じ台詞を繰り返す。


「いやいや。うそうそ。もちろん穂花の方が好きに決まっているだろ」


 だけどこれは本当の気持ちだ。穂花よりも大切なものなんて俺には無かった。俺自身よりも、穂花の方が大切なんだ。例え嫌われたとしてもいい。穂花が生きていてくれるなら。

 穂花は小さな笑みを浮かべながら、俺のおでこに指をたててあてる。


「もー。たかくんはいつもそうなんだから。まぁいいや。たかくん小さい頃から唐揚げとフランクフルトが好きだもんね。じゃあその二つに続いて三番目でもいいから、私の事も少しは気にしてよね」


「いや気にしているぞ。マジで」


 本当に。何よりも。声には出さずにつぶやく。

 穂花がどう受け止めているかはわからない。だけど本当に何よりも穂花を大切に想っていた。それは穂花を失う未来を知ってから、余計に強くなったかもしれない。


 だけど穂花は気にした様子もなく、ちらりと時計へと目をやっていた。


「あ、もうこんな時間だね。後夜祭になる前に、少しくらいは回ってみよ。約束だもんね」


 にこやかに微笑む彼女は、いつもよりずっとまぶしくて、そして儚げに見えた。

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