第16話 いつも口うるさいかもしれないけど

 校庭に向かうと、もうすでに後夜祭のキャンプファイヤーは夜空を照らしていた。

 夜空といってもまだ六時くらいだけど、この時期はすでにかなり暗い。


 残されたステージの上で少年・少女の主張なんかをやっている。

 たぶん先輩だろうけど、誰かが思い切り告白して、そして振られていた。哀れ。

 でもものすごく盛り上がっていた。


 後夜祭は自由参加だし外部の人は基本いないから、人は昼間に比べたら少ない。それでもまだ数多くの人が校庭に残っていた。

 そんな人だかりからは少し離れた場所で二人で話している。


「私ね。決めたよ」


 何をとは訊かなかった。訊かなくてもわかっていたから。

 オーディションにでる事に決めたのだろう。だから穂花ほのかの続く言葉を待つ。


「オーディションにでるよ」


 俺の考えを肯定するかのように、穂花は続けて告げる。

 その瞳にはさっきまで残っていた迷いはもうどこかに消えてしまっているようだった。


 キャンプファイヤーの炎が舞い上がっている。

 バチバチと火の粉を散らしながら、夜空を少しずつ焦がしていく。

 舞うようにのぼっていく火の粉は、まるで星空を彩るかのように、辺りへと浮かんでは消えていく。


 大きな炎が時折弾くような音を立てながら、俺たち二人も照らしている。

 その揺らめく炎に照らされた穂花は、ここにいる誰よりも綺麗に見えた。

 そんな彼女を独り占めしていることは、本当に何よりも嬉しく思う。


「たかくんが後押ししてくれるなら、私きっとがんばれると思う」

「俺はいつだって穂花を応援しているよ」

「ありがと、たかくん。私、がんばるよ」


 穂花は満面の笑顔で答える。

 穂花ならきっと夢をかなえるだろう。それが緩慢な別れの始まりになるのだとしても。俺は穂花を応援していたい。


「おう。俳優になっても俺の事忘れるんじゃないぜ」


 思わず本音を漏らしていた。穂花がそばにいてくれたらいいと、強く思う。

 だけど穂花は朗らかに笑って、そして俺の事を見つめていた。


「もう。忘れないよ。忘れるわけないじゃない」

「いやー、どうだかな。人気になったら、俺なんかのことはすっかり忘れてしまいそうだぜ」


 冗談めかして笑いながら答えるが、三割くらいは本音も混じっていた。

 穂花がそんな薄情者だとは思っていない。けれど穂花は舞台に立てばきっと人気も出るだろう。そうすれば次第に忙しくなっていく。忙しくなっていけば、こんな風に一緒に時間を過ごす事は無くなっていくだろう。


 そうして今までの距離から遠ざかっていって、少しずつ疎遠になっていってしまう事はありうると思う。

 今までは幼なじみという関係もあって、なんだかんだでずっと近くにいた。けれど幼なじみは家族ではないのだから、いつかは離れてしまう。


 ずっとそばにいられる確約なんて何一つないのだから。

 だけど穂花は頬を膨らませて俺の額の上を、その指先でつついた。


「もう。そんなことないんだから。だって」


 穂花は静かな口調で告げる。


 人混みの中なのにまわりのざわめきが一瞬聞こえなくなった気がする。

 賑やかなはずの空間が、たたこの場には届かない。

 ここには他に誰もいない。少し木陰になっているから、あえて注目していなければ俺たちを気にしている人はいないだろう。


 だから静かな二人だけの時間が流れていた。

 穂花はなかなか次の言葉を続けなかった。本当はまわりのざわめきがあるはずなのに、何も聞こえない静寂の中、ただ穂花は俺の事を見ていた。

 時間がゆっくりと流れている気がした。

 何もかもがスローモーションですすんでいく。


 合わせた目線に俺の胸が高鳴っていく。

 心臓の音が激しくて、穂花にも伝わっているんじゃないかと思った。

 このままの時間をずっと続けていたい。そう思った。


 穂花が目の前にいて、ただ二人見つめ合っていた。


 後夜祭のキャンプファイヤーで一緒にいる二人は必ず結ばれる。そんなジンクスを思いだしていた。

 俺と穂花が結ばれる。そんな事があったらいいと心の中でつぶやく。


 長く長く続いていたように思えたけれど、本当はそれほど長い時間でなかった。

 たぶん数秒の事だったと思う。だけどその短くて長い時間を終わらせるかのように、穂花はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私ね、いつも口うるさいかもしれないけど、たかくんのこと」


 穂花の言葉に俺の胸が激しく鼓動していた。


 胸が痛むほどに波打っていく。もう自分の心臓の音で何も聞こえなかった。穂花の言葉が、俺の中にえぐるように届けられる。

 もしかしてこれは穂花も俺の事を。自分の中の妄想が現実になるんじゃないかと感じて、目の前がゆらめき、手の中に汗が流れる。


 いや、そんなことはあるはずがない。もちろんこうして一緒に文化祭を見て回っているくらいだし、幼なじみだしかなり仲は良い。

 だけどだからといって特別な事は何もない。今まで穂花が俺に特別な好意らしい何かを見せた事はなかったし、幼なじみだからといってよくあるラブコメみたいに朝起こしに来たりもする事はない。


 一緒にいれば話すし、なんだかんだで一緒になる事も多い。だけど特別な距離感もなくて、離れればいつでも離れられる。

 穂花と俺はそれくらいの関係だ。ただ俺が一方的に想いを寄せているだけ。残念ながら磁石も相手に届かなければくっつきはしないのだ。


 ずっとそう思っていた。穂花は俺の事なんてただのつきあいの長い友達としか見ていないと。穂花は自分のことを取り柄がないなんていっていたけれど、それを言うなら俺の方がないだろう。せいぜいいつものテンションの高い性格が、物事の盛り上げ役には向いている。それくらいの取り柄だ。


 穂花と並び歩くには釣り合いがとれてなくて、穂花と一緒にいる事にどこかで罪悪感すら覚えていた。だけど。

 だけどもしかしたら、穂花も。


 心臓は強く波打っていて、もう息も出来なかった。

 穂花の続く言葉に期待が隠せなかった。もしかしたら。穂花も。

 強く心臓が波打っていた。続く穂花の言葉に期待を抱いていた。


 ありえないとも思うものの、希望がない訳でも無い。つきあいの長さはアドバンテージだったのかもしれない。

 ただ喉が渇く。からからにはりつくようで。身動きすらとれなかった。


 だけど。


『俺は深雪が大好きだぁぁぁぁぁ!!!! 付き合ってくれ!!!』


 同時にステージの上から絶叫が届いていた。どうやら少年の主張はまだ続いていたらしい。

 マイク越しのあまりの大きな声に、さすがに二人だけの静寂はやぶられていた。

 いちど気がついてしまえば、もうざわめきは止まらない。あちこちからはやし立てる声が漏れ聞こえてくる。


 そして告白の相手とおぼしき女子のまわりに少しだけスペースができて、スポットライトが当てられる。それを見て取るとスタッフらしき生徒が、大急ぎでマイクを持ってくる。


『深雪さん、返答は!?』


 スタッフの催促に、相手らしき女子はほんの少しの間だけ考えて、それからマイクに向けて大きな声で答えていた。


『ごめんなさいっ』


 断りのフレーズが残念ながら響いていた。だめだったらしい。


「……。振られちゃったね」


 穂花が口元に苦い笑いを浮かべて声を漏らす。


「そうだな」


 まぁうん。そうだな。そうだ。さっきからちょうど悪いタイミングで何か起きるな。

 まるで俺たち二人の間の邪魔をしてやろうという何かがいるかのようだ。


 ため息をもらすものの、霧散してしまった空気感に、穂花はもう続きを口にすることは無かった。だから穂花が何を告げようとしていたのかはもうわからない。


 もしかしたら俺が考えたような台詞を告げようとしていたのかもしれないけれど、でも本当は「大事な幼なじみだと思っているんだからね」と告げようとしていただけなのかもしれない。


 その答えはもうわからない。

 だけど今はそれでいい。


 穂花との距離が少し縮まったような気がする。

 そしてもしも告白をするのなら、それは俺から告げたい。


 今は完全にタイミングを失ってしまっていた。だから今はこのままでいい。二人の関係を保ったままで、一緒にいられればそれでいい。

 いつか遠くにいってしまうかもしれない。でもその前に俺から手を伸ばそう。いつか。


 この時はまだそう思っていた。

 この時はまだ。

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