第3話 行ってかましてくる

 ほんの少しの気持ち悪さと引き替えに、俺はこうして時間を戻す事ができる。

 三十分前はちょうど朝ご飯を食べ終えたところのようだ。


 すぐに部屋に戻って、昨日買ったばかりの材料があるかどうかちゃんと確認する。しっかり全てそろっているようだ。


「ふぅ。穂花ほのかの奴に出会わなければ危ないところだったぜ」


 声を漏らしながらつぶやくと、フェルはくすくすと笑みを漏らしていた。


『たかしは忘れっぽいよね。ほんと』

「戻せる時間が三十分じゃなければ忘れ物しなくてもいいんだけどなぁ。三十分だと気がついた時にはもう間に合わない事も多いよな」


 ぼやきをもらす俺にフェルが眉を寄せる。


『だめだからね。三十分以上戻したら』

「へいへいわかってますよ。ま、今回は穂花に出会って助かった。んじゃ、改めていくか」


 ひらひらと手を振るいながら、俺は今度こそ忘れ物をしないように昨日買った材料を袋ごと手にする。それなりに量があるから、そこそこ重たい。


 実のところ穂花はああいう言い方をしていたけれど、何せ通学鞄しか持っていなかったのだから忘れていたのはすぐにわかっただろう。それでも決めつけずにまずは確認してくるところは穂花の優しいところではある。

 そんなところが俺は好きなんだが。まぁ穂花は全くこちらになびくそぶりは見せない。蚊帳の外である。


 何にしても準備をしていた分だけさっきより家を出るのが遅くなっている。急いでいかないと遅刻してしまう。

 あわてて玄関で靴を履こうとしていたところ、またもや背中から声をかけられる。


「あれ、お兄ちゃんまだいたの。遅刻するよ」


 振り返ると妹の結依ゆいが玄関に立っていた。どうやら結依も学校にいくところらしい。いつもの中学のセーラー服を着ている。

 こうして結依の姿を見ているとさっきみた穂花とつい比べてしまう。


 結依は少し背が高めの穂花と比べて、いや他の平均的な中学二年生と比べても背は低い。制服をきていなければ下手したら小学生に見えるかもしれない。またまっすぐ長い髪の穂花と比べて、結依は首筋がわずかにのぞくボブカットだ。


 そして客観的に見れば可愛いのかもしれないが、妹なだけにその辺は判断がつきかねる。見慣れた顔だけに、特にこれといった感慨はない。


「ん、なに、お兄ちゃん。ボクの顔を見つめちゃって。可愛すぎて思わずみとれちゃった?」


 口元に少し歪ませながら、にやにやとした顔つきで俺を見下ろしている。


「んなわけあるか。んなわけあるか」

「むぅ。二回もいわなくても。そりゃほのねえと比べたら、可愛くないかもしれないけどさー。これでもボクはそれなりにもてるんだぞ。お兄ちゃんと違って」


 口をすぼませながら顔を背ける。

 どうやら少し機嫌を損ねたらしい。


 ほのねえとは穂花の事だ。穂花は幼なじみだけに結依ともそれなりに顔見知りだし、そこそこ仲も良いみたいだ。穂花は面倒見がいいので、中学の時も後輩には慕われていたし、かなり可愛いだけに男子からの人気も高かった。まぁかくいう俺もその有象無象の中の一人な訳なのだが、幼なじみである分だけ親しくはあるかもしれない。


 ただ結依もさすがに穂花と比べれば少ないかもしれないが、それでも結依も男子に告白されたの何だの言っていた事もあるから、それなりにもてるのは確かだろう。


「俺と違っては余計だよ。そりゃ俺はもてねーけど」


 そして俺は今まで一度も誰かに告白されたことはない。

 人生一度たりとも無い。今までかつてない。くそう。なんで同じ兄妹でこんなに差がついた。神様め。恨むぞ。


「まぁそれはそれとして、急がなくていいの。もうこんな時間だけど」

「あ、そうだ。やべ。続きは帰ってからだ」

「別に続けてやる話でもないと思うけど。まぁいってらっしゃい」


 結依がこうして家を出ようとしているという事は、普段よりも家を出るのが十分は遅いという事だ。学校までの距離を考えるとかなりぎりぎりになる。


「行ってかましてくるぜっ」

「お兄ちゃん、何するかわかんないけど、かまさなくていいからね」


 呆れた様子の結依に俺は親指を立てて見せる。

 たぶんこれで俺の心意気は伝わっただろう。

 間違い無く伝わったはずだ。


「わけわかんない」


 背中から呆れ声が聞こえた気がするが、俺は気にもとめずに走り出した。

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