第2話 忘れ物をとりに

「しっかし昨日は本当にまいったよな。まさかフランクフルトも大外れだとは思ってもみなかったぜ」


 学校への通学路を歩きながら、俺は大きな溜息をもらしつつつぶやく。

 ここには他に誰の姿もない。だけど俺はわざと声に出して感想を漏らしていた。


『残念だったねっ。でもまぁ同じお店なんだから、私には想像はついていたけど』


 その声はどこからともなく聞こえてきていた。けれどこの声は俺以外の誰にも聞こえない。

 ベッドに腰掛けると、胸元をじっと見つめる。


 ほんのりと淡く輝く光が胸元にぷかぷかと浮かんでいた。その光の中へと目をこらすと、透き通る虫のような羽根の生えた小さな、とても小さな女の子の姿が目に映る。

 たぶん体長は十五センチくらいだろう。白いドレスを身にまとって、わずかに光り輝いている。ファンタジー等によくでてくる、いわゆる妖精の姿だ。


「そうかもしれないけどさ。食ってみなきゃわからないだろ」


 溜息と共に目の前の妖精、フェルに向けてつぶやく。

 彼女の姿は俺にしか見て取る事はできない。本人いわく、そういう力を使っているのだそうだ。その気になれば俺にも姿を見せなくする事は出来るし、たまに姿を消している時もあるけれど、フェルは俺に対してだけは基本的に姿を見せている。


『でもたかしは選択を間違えても、これくらいなら何度でもやり直せるからね。私の力だけど』


 フェルは得意げにあごをそらしながら告げる。

 この声も俺にははっきりと聞き取れるけれど、他の人には聞こえないらしい。


「そうだな。フェルのおかげで小さな選択だったら間違える事はない。感謝してるよ」

『そう言われると照れるー。でもこの力は私の気持ちだから。たかしのためなら、何度でもふるまうよ』


 フェルは俺の回りをくるくると回るように飛ぶと、それから肩の上に留まる。

 これはフェルの喜びの表現だ。嬉しくなると彼女はこうして俺の頭上周辺を飛び回る。


『あ、でもね。何度も言うけれど時間を戻していいのは三十分まで。それ以上は絶対に戻しちゃだめだからねっ』


 フェルは少し真面目な顔に戻って告げる。時間を戻したあとで、必ず告げるフェルの警告だ。


「へいへい。わかってますよ。もう何度も聞いたからな」

『わかってくれていればいいんだけど』


 フェルは神妙な面持ちで何やら考えているようだった。

 俺は時間を巻き戻す事ができる。正確には不思議な力を持つフェルに時間を巻き戻す事をお願いする事ができる。ただフェルは俺の願いを断る事はないから、俺が時間を戻せると言っても過言ではないだろう。


 ただその力には制限があった。


 三十分間。それが巻き戻せる時間のリミットだ。それ以上に戻してはいけないといつもフェルは俺に警告してくる。

 いちどそれ以上は戻せないのかとたずねた事もあったが、それに対してのフェルの答えは「戻せるけど戻さない」だった。理由をきいたこともあるが「たかしにとって不都合があるからだめ」という以上の答えは戻ってこなかった。


 でも俺にとってそれ以上の時間を戻す必要性なんて感じた事がなかった。昨日の唐揚げとフランクフルトのように、ちょっとした選択をやり直せる。それだけでも十分以上に役に立っているし、それ以上の力は過ぎた行為だと思うし、本当の決断はやり直してはいけないものだとも思う。だから三十分戻せるだけで十分なんだ。


 今日は結局二回時間をもどして、どちらも買わないという選択をしたけれど、少ないお小遣いを無駄にせずに済んだのは良かったと思う。

 おかげで小腹は空いたけどな。金返せ。いや、返してもらったというか、無かった事になった訳だけど。よくあれで店続けていけてるぜと心の中でつぶやく。


「たかくん、一人で何ぶつぶついっているの」


 同時に背中から声をかけられて振り返る。

 いつの間にか学校の制服をきた穂花ほのかが後ろに立っていた。ブレザー姿の穂花は本当に可愛い。今日もはっきりと可愛い。

 穂花を見ているだけで幸せな気分になれるのは、たぶん俺だけではないだろう。


「よぉ、穂花。おはよう」

「うん。おはよう。ところでたかくん、昨日買い出しにいった文化祭で使う材料はちゃんと持ってきた?」


 朝の挨拶の直後に忘れ物を疑われる俺。よほど信用がないようだ。

 まぁ心配しなくてもどうということはない。ちゃんと持ってきて。

 持ってきて。ない。

 自分の右手を見返して、思わずにぎにぎと手をひらいたりとじたりしてみる。

 何度見ても、ない。


「……忘れた」

「もう。たかくん。やっぱり忘れてるんだから。昔っからすぐ忘れ物するよね。私達が買い出し役に選ばれたのは学校から家が近いからとはいっても、忘れて取りに戻るのだって時間かかるんだよ」


 穂花はあきれ顔でためいきを漏らす。


「あー。ちょっと待ってな」


 言いながら胸元に浮かぶフェルに視線を向ける。


『じゃあやりなおす?』

「三十分戻して」

『おっけー。じゃあいくよ、時間よ戻れリターン


 告げたその声に応えて、目の前が暗転する。少しめまいにも似た空気を感じた後に、俺の時間は巻き戻る。

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