第16話 なんの歌だそれ?
へそに踏み入れることなかれ
鬼の柏手、帳を作り
鬼の足音、人を喰い
鬼の咀嚼、門を開く
へそ枯れ果てた先に鬼は立つ
鬼なりとうならば、彼岸に伏せよ
鬼なりとうなければ、対岸に伏せよ
朝日浴びたきゃ鬼の宝を切り落とせ
和室内に響いた勇たち四人の歌声。
歌い終わった四人は満足げに鼻息を元気よく鳴らしている。
「なんの歌だそれ?」
龍夜は呆けた顔と声で疑問を発する。
何故、急に歌った? 何故、勇たちがここにいる?
あぐらかく龍夜は急に歌った勇たちに冷ややかな目を向けていた。
「バカか、あんたは!」
龍夜は優希から後頭部をお盆でひっぱたかれた。
テーブルの上には優希が運んできたお茶が湯気を立てている。
ぶっかけられないのは慈悲だと優希の呆れた目は語っていた。
「痛ってえな、お前な~」
木製だから硬いし叩かれれば当然痛い。
後頭部を左手で抑える龍夜は涙目で優希を睨みつけた。
「あんた、曲がりも何も比企家の人間でしょう? 普通、なんの歌だとか聞く?」
「仕方ないだろう。あれこれあっちにいた時期が長かったんだし」
「あ~そういえば、あんたがこの一ヶ月、どこ行っていたか聞いてなかったわね」
「そうだな、話そうと思っていたけど、ぶん殴られたせいで話すタイミング逃したし~」
「ああぁん!」
「お~怖い怖い~」
鋭利な刃物さえ越える切れ味鋭い優希の眼光に龍夜はわざとらしく身震いする。
「やめんか、二人とも。痴話喧嘩は余所でやれ!」
当然のこと荒木のお叱りが雷となり飛んできた。
「タツ坊、お前がこの一ヶ月どこにおったか、今はあえて聞かん。だが事が終わったらしっかりトラ坊や優希嬢に説明しとくように」
「鼻からそのつもりだよ」
相手が相手だけに龍夜は両手をあげて観念する。
説明する人間の中に両親がいないのはただの気遣いだろう。
「それで、その歌なんなの?」
「その様子からして、すっかり忘れとるようだな」
深いため息の後、荒木は曇らせた表情で言った。
「この島、紡雁島に伝わる民謡だ」
「民謡……ああ、そういえばそんなのあったな」
きっかけさえあれば、思い出すのは早かった。
鎌倉時代、鬼の巣窟であったこの島を、比企家先祖が討伐しとされるおとぎ話。
詳細なる資料は喪失しているが、島を根城とした海賊を討伐したとの説が有力視されていた。
「……あれ? なら帳を作りって、おいまさか!」
それこそ勇たち四人がここにいて、急に歌った理由であった。
「件の手紙にもしっかり書かれておったわ」
荒木がテーブルに広げるは比企家宛の手紙。
曰く、虎太郎の祖父に当たる人物が差出人であった。
「結論から言おう。この島には本物の鬼が封印されているそうだ」
いつになく顔を引き締めて告げる荒木に誰もが笑い飛ばさなかった。
腹を抱えて笑い転げる勇たちがいつになく真面目顔だ。
島を包む帳なる檻に蔓延る死霊。
現実に起こっているからこそ、否定などできない。
「どうもこの事実は代々比企家当主のみに継承されてきたそうだが、当時の当主が伝えるのを失念し、慌てて戦地から手紙を送ったとされておる」
手紙の冒頭の文字は謝罪文であり、比企家が代々守り通し、隠し抜いてきた事実が記載されているとのこと。
「お前の先祖が鬼を討伐した際、切り落とした首を壷に入れ、へそなる泉に沈めて封印したと書かれておる。それだけじゃない。鬼の首を壷に入れる際、鬼に食われて怨霊と化した者たちを壷に押し込め、鬼の首で蓋をしたともあるわ」
死霊の発生原因が読めた。
怨霊だろうと死霊だろうと霊体に変わりない。
蓋である鬼の首が解かれたことで、壷の中に封じ込まれた霊体が島に解き放たれ、死した身体に憑依し死霊となった。
「なるほどね。それなら回収は無駄じゃなかったわけか」
納得するように立ち上がった龍夜は隣の部屋から壷を運んできた。
「恐らく、これが封印に使った壷だと思うんだが……ってなに離れてんだよ」
勇たち四人は壁際に背中を張り付ける形で仰々しく避難している。
荒木や優希は男児たちに冷ややかな目を向けていた。
「いやだってさ、その壷に鬼の首が入ってたんでしょ?」
「残りものとか入ってそうだし」
「ゲームだと残滓が悪さするって相場じゃん」
「危険物持ち込むなよ~」
確かに危険物と呼べる代物である。
だが、無害だと龍夜は直感的に分かっていた。
「この壺は文字通り空っぽの器だ。死霊と対峙した時のように感じるゾワゾワがまったくないから安心しろ」
十中八九、誰が封印を解いたか、語らずとも分かる。
「島田の奴め、どこで手紙を見つけたか知らないが、封印解きやがって」
忌々しげに龍夜は吐き捨てる。
本来、比企家に届くはずであった戦地からの手紙を島田が所持していた理由は当人死亡のため真相は闇の中だ。
「それで他に分かったことは?」
「万が一、封印が解かれた際の対策がしっかり書かれておったが問題は……」
苦々しい顔で荒木は手紙を広げては最後の行を指さした。
最後の行は真新しい黒で塗り潰されている。
「帳を破る方法が記載されておるらしいが、見ての通り」
「恐らく島田の仕業だろう。自分だけ知っていればいいと意図的に塗り潰したんだ。そうすれば
ただ一人脱出法を知る者として優位に立てる。
下手に危害を加えれば、脱出の道は閉ざされる。
後は言うことを聞かねばならぬ上下関係の出来上がりだ。
龍夜は顎に手を当て塗り潰された行を凝視する。
黒・帳・暗闇のワードが頭に浮かぶ。
「最後、そうか!」
「そうだよ、龍夜兄ちゃん!」
龍夜の思索に割って入るは勇たち四人。
したり顔で島の地図と何かをメモったノートをテーブルに広げてきた。
「元敵の兄ちゃんたちを尋問した時にさ、帳って言葉出てきたからビーンときたんだ!」
「だからさ、あれこれ思い出して俺たちなりにまとめてみたんだよ!」
「どうしてこの神社や山が安全かも分かったんだ!」
「辞書で調べたらさ、エンジュは長寿、魔除けの木なんだよ!」
ノートを見れば走りが切れあれこれ書かれている。
木と鬼と書いて
「手紙にもエンジュの木には魔除けの効果があると記されておった。それだけじゃない。山に生えるエンジュの木々は封じられし鬼の力を霧散させる形で弱体化させ、長い年月をかけて消失させる効果もあるそうだ」
「まぢかよ、そんな効果が……俺の両親ってバカなの?」
「本当に、バカだと思うわよ」
以外にも賛同するのは優希だ。
ジャージのポケットから記憶媒体を取り出せば、テーブルに置く。
「中身見たんだけど、山の一部なんて業者の方便よ。実際、山のぜ~んぶを切り崩してソーラーパネルを設置するってあったわ。やるだけやって後は下請けのせいにするって段取りもね」
誰もが驚き目を見張る。特に荒木の目尻は険しく、額にシワができるほどだ。
「お前、それってまさか」
「虎太郎おじいさんのサインがデータの中にあったから十中八九、おじいさんの家から盗まれたんでしょうね」
よもや祖父の書斎から盗まれた記憶媒体を優希が所持しているとは思わなかった。
だが同時に合点も行った。
あの仮面の怪異、基、島田が優希を執拗に追いかけていたのは閲覧者とデータの抹消だったのだ。
「なんでそんな重要なもの、再会した時、真っ先に出さないんだよ!」
「あ~ごめんなさいね。どっかの誰かさんをぶん殴った拍子で、うっかり忘れちゃったのよ~」
「ああぁん!」
「なによ!」
龍夜と優希は互いに白歯剥き出しに睨み合う。
鼻息が触れるほど顔同士の間隔は縮まり、火花が飛び散る幻影させ見えた。
「ゴホン!」
二人の睨み合いは荒木のわざとらしい咳払いで中断される。
「ともあれ、この神社や山が安全な理由も判明した」
荒木は強制的に話題を元の車線に戻させた。
龍夜と優希は互いに威嚇するよう睨み合っていたが、荒木の一睨みで顔を背けるのであった。
「というか、荒木のじいさん、神主なんだろう? エンジュの木を御神木にしてんのに、そんな効果あると気づかなかったのかよ」
「やかましいぞ、タツ坊。神社に残された文献では生薬の原料として植林を開始したとしか記されておらんのだ」
逆切れにも等しい荒木からのお叱りに龍夜はわざとらしく肩をすくめた。
「あ~それでさ、神社の位置を対岸に当てはめて考えるとね」
苦笑いする勇は地図に指を添えればなぞるように動かした。
「彼岸ってのは、ここに当たると思うんだ」
勇の指が示す地点に龍夜は瞠目した。
「ひ、比企家、本邸!」
中学あがる前まで住んでいた家、生まれた家。
先祖から子孫が代々住む土地であり、龍夜を除いた両親と弟が住む家であった。
「だが、合点は行く」
幼き頃から島を遊び場として育った。
島にへそなる泉など一度も見たことなく、神社や山が安全圏として機能しているのを鑑みれば、鬼の封印は本邸にあった可能性が高い。
万が一、鬼の封印が破れた際、島民たちを山道経由で神社に逃がす間、自分たちは真っ先に対処するため、この土地を拠点とした。
恐らく、彼岸に伏せよ、対岸に伏せよとはそういう意味だ。
「帳の脱出法だけど、帳って真っ暗だろう? 歌の最後にある朝日浴びたきゃ鬼の宝を切り落とせってのが帳からの脱出方法だと思うんだ」
「けどよ。その宝ってのがわかんないんだよ」
「こう腹にまで来てんだけどさ」
「あ~ネットさえ使えればすぐに分かるのに!」
「お前たち……」
龍夜は勇たちにただただ感心する。
日頃からいたずらばかりするのに、ここに来て妙な知恵を回しては事態解決に一躍買っている。
ここでちらりと優希を見れば、複雑な表情だ。
その目に宿るは、それだけ頭回せるのなら日頃の勉強に活かしなさいと姉としての嘆きときた。
「あの時、あれこれ話していたのはこの歌や帳のことだったのか、ん?」
ふと思い返すは数分前の会話。
元敵の兄ちゃんたちを尋問した時。
「お前ら、尋問した時から、この状況と帳の関係に気づいたのか?」
「そうだけどさ、先に行っておくけど、あの時、龍夜兄ちゃん、黙ってろって余計な口を出すなって目で言ってたじゃん」
指摘された事実に龍夜は反論せず、気まずそうに口ごもる。
確かに言った。目で力強く言った確かな記憶があった。
「ともあれ次の目的地が決まったな」
次に調査すべきは比企家本邸。
敷地内に泉を見た記憶はないが、もっともらしく怪しい箇所に一つだけ心当たりがあった。
「本邸裏に、先祖代々の魂を祭る社がある。あそこが怪しいはずだ」
「あ~それ、龍夜兄ちゃん。当たりだと思うよ!」
手を挙げる勢いで隼人が言ってきた。
「昼前にさ、山で木登りしてた時、社の前におじさんとおばさん、白狼兄ちゃん、それに島田っておっさんがいたの見たもん!」
当たりも当たり、大当たりだ。
先祖の霊に失礼だと、社内の立ち入りは祖母から厳しく禁じられていたし、唯一入るのを許されたのが当主のみだ。
「なら行きましょうか」
立ち上がった優希に龍夜は目を点とした。
「いや、なんでお前が仕切るんだよ。外は危険なんだし、封印の地ってのは危険なのがお約束なんだぞ。下手すりゃ大量の死霊がお出迎えなんて可能性もある」
「いや、行くったら行くの!」
「わがままいう年齢かよ」
まったく譲らない優希を押し止めたい龍夜であるが、今なお引きずる気まずさにより強く出るに出られない。
「こっちはね、あんたがいない間、あんたの家族に散々な目に遭ってんのよ。おじさまたちまだ見つかってないんでしょう? まあ、あんたが探してないだけかもしてないけど、あの人たちのことだからそこに避難している可能性だってあるのよ。直に文句言ってやんないと」
「いや、しかしな」
「はい、決定事項。私は行きます! ついて行きます!」
押すに押されて押し切られた。
兄貴分と姉のやりとりに、勇は微笑ましく笑う。
「龍夜兄ちゃん、結婚する前から尻に引かれてんじゃん」
「そこは引くじゃなくって敷くな。布団を敷くって意味の敷くだ」
「引くいうより、姉ちゃんのぷりぷりなお尻に惹かれた、が正しいかね? 最近、筋トレ、サボってたせいで尻に肉ついたのが抱えた時に――あいたっ!」
「勇!」
余計な一言、怒りの元。
姉の怒声に次いで打音と嘆きが響くのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます