第8話 た、助かった……
優希は暗闇を無我夢中で走り、震える目尻に涙宿して叫ぶ。
「どうしてよおおおおおおおおおおおおっ!」
確かに色々と問題を抱える島だったが、島民同士の繋がりも強く、新規移住者との交流も欠かさなかった。
それが今、異常と呼べる事態に陥っている。
「嘘、でしょ……」
無我夢中で走り続け、気づけばお昼頃までいた漁港に戻っていた。
電灯は潰えようと漁港の各所から火の手が上がり、松明代わりとして周囲の惨劇を照らし出している。
火元は多重衝突事故で炎上する車たち。
燃え弾ける音に混じって粘着性の咀嚼音がする。
「――んっ!」
炎が陰影を作る。複数の人間が獣のように一人の人間に歯をたて、血肉を貪っている。
人間が、人間を食べている。
ショッキングな現実に、胃の内容物がこみ上げ、吐いてしまった。
「うえ、げほ、げほ!」
口周りを覆う胃液を手の甲で覆った時、斜め上から射し込む小さな光が目を刺激する。
見上げれば二階にある食堂の窓からライトが点滅を繰り返している。
次いで工事現場で見る矢印が右に行くよう点滅を繰り返した。
「あれは!」
食堂の窓が中から開かれる。小さな灯火が暗闇から見えれば、そのまま左側へ投擲された。
小さな灯火はバチバチ激しい音を立てている。
「爆竹?」
激しい音は血肉貪っていた人間たちの食事を止め、引き寄せる。
生きている人がいる。優希は矢印に従いながら、ゆっくりと気づかれぬよう歩き出した。
そして二階からぶら下がる縄梯子にたどり着く。
「早く、急いで」
窓辺から急かす知ったしゃがれた声。声の主は市場食堂でまとめ役のアヤメおばあさん。お昼の時は私用で食堂を留守にしていた。比企家祖父宅の家政婦まとめ役であるキクおばあさんと互いの孫の自慢話に花を咲かせるほど仲が良い。
同時、夏頃しか遊びに来てくれぬことに揃ってため息を零すほど。
「んっ、くっ!」
揺れる縄梯子をしっかり掴みながら優希は登る。背中のリュックが重い。爆竹の音が止む。足下から這いずる音がする。見下ろさずとも分かる。優希を喰わんと近づいている。
「えええい!」
背に腹は、いや命には代えられない。縄梯子を半ばまで登った優希は自身が落下せぬようリュックのベルトを外せば下へと解き放つ。
重力に引かれて落下するリュックは間を経て真下から音を放つ。
今のうちにと窓枠に手をかけた優希は中の人たちに腕を掴まれる。
(つ、冷たい!)
掴まれた時、先ほど体感した恐怖がリフレインする。
だが、薄暗きながらも誰一人とて顔から血を垂れ流していない姿は恐怖を和らげた。
確かに生きており、優希は引きずり込まれる形で二階にたどり着いた。
「た、助かった……」
優希は力なく床に座り込み、目を見開いたまま放心している。
暗がりの中、ランプの火が灯る。
アウトドアで使用されるような手持ちの燃焼式ランプだ。
ランプの淡い光が一〇名の島民を照らし出す。
誰もがこの市場食堂で働く人たちであった。
「あああ、優希ちゃん無事だったのね!」
感激して優希を抱きしめるのはアヤメおばあさんだ。
手が冷たい原因はうっすらと濡れているからだった。
「し、しばらく、ぶりですって、熱い、熱いですって!」
安堵による放心が未だ抜けず、優希は抱きしめらるままだ。
久方ぶりに体感する体温は暖かさを通り越して熱く、原因は服が熱せられているから。
原因の原因は食堂中央に設置された石油ストーブ。
冬場にて焼き牡蛎を提供する際に使用されていた。
「もう地震が起こった後、船が流されたから心配していたのよ」
聞けば、一隻船が流されたことで漁港は大騒ぎだったとのこと。
だから優希もまたここまで至った経緯を話すのであった。
「そんなことが、でも地震なら津波が来るはずなのに、真っ暗になったと思えば、外にはあれよ」
窓辺から外をのぞき込めば、明らかに死亡レベルの人間が平然と闊歩している。闊歩し、生きた人間に喰らいついていた。
「あれ、ゾンビ、なんですか」
「映画とかならゾンビ、なんでしょうね。けど」
沈痛な趣を誰もが崩さない。
改めて暗がりに目を凝らして徘徊する死体を注視すればその理由が判明した。
「あの人、もしかして杉山さん? それに山辺さんまでいる」
この島に住まう住人がゾンビ化した。
大輝の実例をこの身で味わった身。フィクションやらドッキリだと笑い飛ばしている状況ではない。
「本土と連絡は取れないんですか?」
「電話もネットもまったく繋がらないの。電気だって止まって、こうして動かせるのはストーブやコンロとか、電気を使わないものだね」
そう言って差し出されるのは湯飲み。
ストーブの熱で沸かしたヤカンで煎れた緑茶であった。
「とりあえず今は生きていたことに感謝して。家族の安否とか不安はあるかも知れないけど、一旦落ち着きましょう」
優希は無言で頷けば湯飲みを受け取った。
「……おいしい」
少しぬるいが、今はこのぬるさが心地よい。
沸かしたてなのに少しぬるい疑問を抱く余裕はない。
緑茶は不安と恐怖で駆け回った優希の心を落ち着かせてくれたからだ。
「仮眠室にお布団あるから眠くなったらそこで休んでね」
なにしろ食堂は早い時には朝の三時から開いているのだ。
交代で食堂を営業できるよう仮眠室が併設されていた。
「あ、はい、そうします」
一時とはいえ安らげる場所にたどり着けた。
だからか、今になって疲れが眠気となって押し寄せる。
「す、すいません。さ、さっそく、ですけど、ちょっと、寝ます」
瞼と身体が重い。それでも渡された緑茶をゆっくりと飲み干せば湯飲みをテーブルに置く。
「はい、おやすみなさい」
「お、おやすみなさ、い、あ、ごめんなさい!」
ふらふらと歩いたせいで優希は一人と肩をぶつけてしまう。
ぶつかった相手は怒ることも注意することもなく、ただ笑顔で返すだけだ。
(あれ、なんかおかしいな)
違和感が優希の胸を駆ける。一瞬だけ、ほんの一瞬だけぶつかった時、ホームで味わった冷たさを感じたような気がした。
(そうよね、気のせいよね)
眠気が思考をぼやけさせたと判断する。優希は仮眠室に吸い込まれるように足を踏み入れる。靴すら脱ぐのを忘れ、敷かれた布団に倒れ込めば身体に巻き付ける形で転がった。
布団をかぶるのすらめんどいからだ。
(龍夜、あんた本当に今どこにいんのよ)
恨み節にも似た呟きを最後に、優希は沈むように深き眠りへと落ちて行った。
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