第7話 大輝くん、どうしたのかな?

 小さい頃、姉貴分としてサト姉さんは面倒を見てくれた。

 宿題で分からないことがあれば教えてくれたし、泳ぎ方も、生意気な男子のとっちめ方も教えてくれた。

 特に双子がバカやった時は一人も逃さず捕まえてはとっちめたものだ。

 龍夜の場合、初恋の人だけあって可憐さが思い出補正をしているようだけど、実際のサト姉さんはかなりやんちゃで男勝りだったのだ。

 大人になってから男勝りは鳴りを潜め、旦那さんとお子さんに惚気ているときた。

 それでも面倒見の良さは今も昔も変わっていない。

 だからこそだ。

 姉貴分として親しく接してくれたからこそ、今度は自分が姉貴分としてその子供と親しく接したい。


「ほら、お姉ちゃんと一緒に避難所に行きましょうね」

 放ってなどおけない。

 優希は腰を屈め、両手を広げては抱き寄せんとする。

 大輝もまたにんまりと小さな歯をこぼして笑えば、短い足を動かし近づいてきた。

「は~い、掴まえ、た、ん?」

 小さな身体を優希は優しく抱きしめる。

 抱きしめた時、その手から冷たさとヌルリとした感触が伝わってきた。

「波でも被ったのかな? でも」

 ライトが大輝の顔を映す。優希を見つめる瞳は焦点が定まっておらず、どこか無機質だ。

「大輝くん、どうしたの?」

 呼びかけようと返事がない。大輝は耳が良いとサト姉さんは困った顔で自慢げに語っていた。何しろ、お昼寝している今の内にと、お菓子をひとかじりした音で目が覚めるほどだ。

「もしも~し、え?」

 大輝が小さな口を大きく開けば、優希の首もとに噛みついた。

 四歳時の噛力とは思えぬ力でライフジャケットの襟周りが噛み千切られる。

「ちょ、ちょっと大輝くん、勇のマネしちゃダメでしょうが!」

 すぐさま腕を動かし四歳児の身体を引き離す。眼下に大輝の頭頂部が見えた。眼前に大輝の首から下の身体があった。

「え、え、え――え?」

 優希は目を点にして抱き抱えた大輝の身体と、ライフジャケットに噛みついたままの大輝の頭部を何度も行き来させる。

 ビチャリと足下から水音がする。

 恐る恐る目を向ければ、大輝の首もとより真っ赤な血が滴り落ちていた。

「きっ、きっ、きっやアアアアアアアアアアアアあっ!」

 一瞬で噴き出した恐怖が反射信号となり大輝の身体を突き離す。当然のこと頭部はライフジャケットに噛みついたまま。悲鳴を上げる優希はライフジャケットを脱ごうとするも背負ったリュックがひっかかる。

「なによ、なんなのよ!」

 慌てふためきながらもどうにかリュックを落とす形で脱ぎ捨てれば、そのまま大輝の頭ごとライフジャケットを放り投げた。

 コロコロとサッカーボールのように転がる大輝の頭。その頭を拾わんと駆け寄る大輝の身体。小さな手が頭を拾い上げる。割れ物でも扱うかのように持ち上げれば、にたりと口端を大きく歪めて笑った。

「ま、まさか配信でも、ドッキリでも、ないの……?」

 震える優希の瞳孔は血に染まった手を映し出す。

 これは血だ。命巡る色だ。その色が外へと流れ出れば命は潰える。

 なのに、大輝は首と身体が分断した状態であろうと生きている。生きて動いている。


 ――なら、今まで出会ってきた人たちは、悪ふざけでもドッキリでもなく……。


 ありえない現実が優希の両足を悪寒に晒し震えさせた。

「あははは、た、大、き、クん、ハロウィンのコスプレは早すぎるし、そんな格好、お母さんも腰抜かしちゃうよ」

 恐怖は声にまで伝播する。

 目の前の現実を受け入れられぬ優希に、別なる現実が忍び寄る。

 這いずる音に振り返れば、橋で撒いた男たちが改札口から現れた。

 人一人しか通れぬ改札口を我先にと通り抜けようとするため重なり合うように詰まり、将棋倒しを起こす。

「ひっ!」

 優希は短い悲鳴を上げてのけぞった。

 誰もが鼻先から強く顔を打とうと悲鳴一つあげない。

 緩慢な動きでゆっくり起きあがれば、血塗れの顔でひしゃげた鼻と折れた歯を見せつけてきた。

「ほ、本当にドッキリでも、なんでもない……」

 瞳孔が開く、呼吸が荒くなる。怖気が体温を奪い全身を震えさせる。

 すぐそばまで大輝を先頭に人々が迫る。

「こ、来ない、んっ!」

 怖気り叫ぶ状況下、唐突に優希の視界は灰色に染まる。

 それは走馬灯。

 命の危機に瀕した際、記憶が生への活路を過去の記憶から模索せんとすることで起こる現象。

 どうする。どうすれば。

 恐怖で膨れ上がった思考はまともな答えを見いださない。

 そして何故か、浮かんだ龍夜の横顔。

 もし、あいつならどうする。あいつなら。

 恐怖の中、自問した時、視界は暗闇に戻る。

「大輝くん、ごめん!」

 すぐそばまで迫っていた大輝の頭部を優希は加減なく蹴り飛ばした。

 小さき身体はアスファルトの上に転がり、ボーリングのように迫る他の者たちの足に絡まる形で衝突する。

 子供を蹴り飛ばす罪悪感が胸を締め付けるも、生存欲求が上回り、その場を駆けだした。

「リュック!」

 危うく置き去りにしかけたリュックを掴まんと右腕を伸ばす。

 伸ばした優希の腕を這いずる男が掴む。

 氷のように冷えた手と人間とは思えぬ握力、口や目から血の垂れ流しながら優希を引きずり倒さんとする。

「もういい加減にしてえええええええっ!」

 優希は絶叫しながら左手でリュックを掴む。

 そのまま振り上げ、男の側面に叩きつけた。

 二〇キログラムの衝撃は男の掴む手を瞬間的に緩ませる。

 この瞬間を逃すことなく優希は走り出した。

「どうなっているのよ! なんでこうなっているのよ!」

 暗闇を無我夢中で走る優希は震える目尻に涙宿して叫ぶ。

 確かに色々と問題を抱える島だったが、島民同士の繋がりも強く、新規移住者との交流も欠かさなかった。

 それが今、異常と呼べる事態に陥っている。

 今一度、叫ぶ。


「どうしてよおおおおおおおおおおおおっ!」

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