第3話 もうかわいいったらありゃしない!


 優希は叫んで胸の内を発散させた。

「ゆーちゃん、青春しているわね」

 ふと背後からの声に振り返る。

 そこには原付に乗った和装の女性がいた。

「あ、サト姉さん」

 女性の名は佐藤里美さとうさとみ

 比企祖父宅でパート家政婦として勤める女性だ。

 かつては姉弟子として幼き龍夜や白狼の指導をよくしていた。

 剣道を引退した今でもなお良き姉貴分として慕う者は多い。

 特に龍夜は初恋の人だからか、昔と変わらず慕っているときた。

「なんでも昔のテレビ番組は学校の屋上から叫ぶ企画をしていたそうよ」

 藪から棒な発言に優希は目を点にする。

「屋上から叫ぶ意味あるんですか? ……バカと煙?」

「さてね~? 父さんたちが学生の頃、流行っていたとか聞いた程度だしね。海に向かってバカヤロ~! って叫ぶのと同じじゃないの? さっきのゆーちゃんみたいに」

 しっかりと目撃されていたようだが、別段恥ずかしがることではなかった。

「それと話聞いたわよ。例の説明会、中指おったてて叫ぶなり原稿破り捨てるとマイクスタンド蹴り飛ばして出て行ったって?」

 流石小さな島、噂が流れるのが早い。

 別段隠すことでもないが、一部事実と異なるため、事のあらましを打ち明けるのであった。

「――と、言う訳なんです。サト姉さんこそ日曜なのにパートですか?」

「シフトの都合でね。ちょっと買い出し行く程度でそろそろ終わるし、あ、そうそう、朝ね、パートに行く時、あの子なんて言ったと思う?」

 ここで一人息子の話に移るのに時間は必要なかった。

 佐藤大輝たいき。今年で四歳となる里美の一人息子だ。

 顔立ちと性格はしっかりと母親から遺伝しており、将来が楽しみだ。

「お母さん、パートだから一緒にいられないって言うとね。あの子ったら、小さな手振っていってらっしゃいよ。最初の頃なんてパートに行こうならお母さん行かないで! とかズボンに噛みついて泣きじゃくってたあの子が、いってらっしゃいって見送るようになったのよ。もうかわいいったらありゃしない!」

 親ばかぷりに優希は自然と頬を綻ばせる。

 のも束の間、表情をやや眩ませた。

「龍夜、どこ行ったんですかね……黙っていなくなる奴じゃないし」

 優希に調理師になる夢があるように、龍夜にも夢があったりする。

 それは比企家当主となって島を発展させる――ではなく、狭い島を出て全国各地を回って見聞を広げたい夢。

 つまるところ、龍夜自身、比企家家督にあまり興味なく、優秀な弟が継げば良いと思っていたりするのだ。

 現状、その後継者候補が傍若無人なせいで、当人不在のまま島民からの支持率が上がっているのだから困りものである。

「……落ち込んでても仕方ないですけど」

「そうよ。そういうウジウジした時は、パーッと身体を動かすものよ。だから夕方、家に来なさい」

 唐突な里美からのお招きに、合点行かぬ優希は小首を傾げる。

「旦那の実家からね、大量に野菜が送られてきたのよ。誰も好き嫌いなく食べてくれるのはいいんだけど、量が多くてね。食べ切れる前に腐らしそうなのよ」

 里美の旦那、耕介こうすけは北海道出身。代々農家の三男坊だとか。

 それ故、定期的に北海道の実家から野菜が食べきれぬほど送られてくるそうだ。

「え、いいんですか?」

「いいの、いいの、気晴らしに何か作ったらいいわよ。おおっと、そろそろ戻らないとキクばあさんに怒られる。じゃまたね」

「はい、また! ありがとうございます!」

 優希は原付で走り去る里美の後姿に手を振り見送った。

「……うん、うじうじ落ち込んでても仕方ない。あいつが帰って来た時のために腕は磨いておきますか」

 次なる行動は早かった。

 その足は軽く、漁港隣の市場に向かって動いていく。


「さ~て、何か作るとしてもどれを作ろうかしら~」

 防波堤を歩きながら優希は島から延びる橋を眺め見る。

 本土と島を繋ぐ一本の橋。

 上段と下段の二段構造となっており、上段が自動車専用道路、下段が路線となっていた。

 三〇分もあれば気軽に本土まで足を運ぶことができる。

「ん~今月厳しいしな、あれこれ作って試したいけど失費は抑えたい」

 スマートフォンの家計簿アプリを見ながら優希は渋面を作る。

 将来は亡き祖父のような調理師となり島で食堂を開きたい。

 調理する祖父の姿に憧れ、自らもまたその道を進んでいる。

 修行と資金作りを兼ねて比企祖父宅で調理師のアルバイトをしていた。

 最近では修行成果の一環として料理を一品任されることが多い。

 料理の道を志す切っ掛けが祖父の料理だったからこそ、優希の料理を口にした誰もが祖父の味に近づいていると評価する。

 嬉しくとも未だ自分の味を出せないのは悔しいが、いずれ至り、越えると志は高かった。

「ホント、美味しい料理を作るだけじゃダメだって身に染みて知ったわ」

 美味しい料理を作る。

 当然のこと料理を作る上で重要なことであるが、一番の腕が求められるのは、一〇人ならば一〇人分の料理を全く同じ量、同じ味で調理することだ。

 三、四人の家族に振る舞うのと大衆に振る舞う料理は違う。

 家族ならば多少の差異はよかろうと大衆の場合、一つの料理を同じにする腕が何より求められる。

 料理の腕が良い者ほど陥りやすい罠。

 大量に作ろうとすれば大味になるのは避けられず、かといって多人数に振る舞うのを言い訳に質は落とせない。

 量と質。その双方を維持する腕が求められた。

「おじいちゃんはそれを五〇年以上続けてきたから凄いわよ」

 年期も経験も足りないのは百も承知。

 それでも一歩、一歩目標へと進んでいる実感はあった。

「さ~て今日の市場は、どんな魚があるのかしら~」

 掘り出し物を夢見て、優希は胸を弾ませる。

 漁港隣には観光客向けの鮮魚市場が開放されている。

 どんな料理を作ろうか、弾む心は自然と足取りを軽くする。

 ふと漁港で流れる噂を思い出した。

「そういえば、ここ最近、見かけない小型船が島の反対側を行き来しているとか漁師さんたちの間で噂になってたわね」

 個人所有の観光客がクルージングするのは珍しいことではない。

 ただ瀬戸内海だけに潮の流れは激しく、潮読みと熟練の操舵が求められた。

「こんにちわ~」

 優希は勝手知ったる市場に足を踏み入れるのであった。

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