第5話 怖くなって逃げだした

 龍夜は四人家族の長男である。 

 現比企家当主である父親、比企すばるは婿養子。

 一言でインテリ人間だ。

 一流大学を出ているだけに学力は高かろうと運動はやや頼りなく、落ち着いた性格だが控えめで押しに弱い。

 逆に母親の翔子しょうこは気が強く勝ち気な真逆の性格ときた。

 当然のこと腕っ節も強く、一人娘として武人の夫婦に鍛え上げられただけに武道で勝てる者は島にいないほど。

 父親が婿養子もあってか、島民たちから曾祖父や祖父と比較されては頼りなさを抱かれ、事業立案が母親のお陰で影ではお飾りスピーカーだと揶揄されていた。

 出会いのきっかけは母親が本土に進学していた際、不良に絡まれている父親を助けるも情けない男と投げ飛ばしたからと聞いている。

 性格も実力も正反対の二人がよくもまあ結婚したのは今でも不思議でたまらない。

「ど~でもいいが~!」

 大げさなため息をつけば、忌々しさと苛立ちが口端に宿る。

 夫婦仲は良かろうと家族仲は正直悪い。

 正確には夫婦揃って一方的に龍夜を嫌っている風潮が強いのである。

「家にはアレがいるし、まあ大丈夫だろう」

 両親は無事なのか――なんて心配の振れ幅は微々たるものしかない。

 実家には剣術も学力も龍夜より優れた双子の弟、白狼はくろうがいる。

 何事も一度教えれば一度でこなしてしまう天才型の弟だ。

 だからか、両親は長子の龍夜ではなく次子の白狼を後継者として育て、一方で龍夜を放逐する形で祖父宅に押しつけた。

「いや、アレの性格を考えるとな~」

 一卵性双生児だけに顔つきや声、身長体重髪形は瓜二つなのだが、氏より育ちにて性格は大幅に違っている。

 一言で傍若無人。なまじ実力があるのと、比企家後継者として周囲に持ち上げられたことも含めて増長している気が強い。

「じいさんが度々、図に乗るなと釘差しても聞かないし、稽古だってサボってほとんどこねえ」

 龍夜は胸の前で腕を組んでは顔をしかめる。

 比企家の威光もあってなんでもできるからこそ、人も金も自由にできると思いこんでいる。

 増長は慢心を生み、窮地を生む。

 龍夜とて人の子だ。

 異世界にてとんでもない力を得た結果、沸き上がる感情を制御できず力を暴走させた時があった。

 城一つ、山一つを消失させたのは一度や二度ではない。

 どうにか制御可能となり、どんな敵だろうと倒せると思いこめば魔王討伐の旅を阻止せんと現れたのは同じ今を生きる種族である。

 魔王襲来と世界包む暗黒の濃霧に絶望し破滅願望を抱いた者たち。

 戦闘は避けられなかった。

「……その戦場で俺は逃げた。怖くなって逃げだした」

 唇の震えは全身に伝播する。

 剣技に優れようと、訓練通りに事が進むことはない。

 命を奪い合う死の恐ろしさに悲鳴を上げては逃げ惑った。

 龍夜が何一つせずとも誰かが命を奪い、誰かが命を奪われる。

 死が蔓延する世界だと平和な世界で育った龍夜には地獄だった。

 本来なら逃げた龍夜に後ろ指差し、嘲笑するだろう。

 だが、仲間の誰もが許しもせず、諭しも慰めもしなかった。

 誰もが敢えて何も言わなかった。

「否定してくれればどれだけ心が晴れたことか」

 その声に抑揚や感情はなかった。

 強いて敵前逃亡の罪状を上げるならば、進むのも立ち止まるのも自由の刑だろう。

「だから俺は……」

 元の世界に帰りたい。

 もう一度、逢いたい。

 この想いを火種にして前に進んだ。戦った。殺しに来るからこそ殺した。斬られる前に斬らねばならなかった。

 そうしなければ前へ進めず、なまじ生かせば仲間が殺される。

「嫌な思い出だ」

 人を初めて斬った時、嘔吐すれば、殺した時はまるまる三日まともな食事がとれなかった。

 剣術はあくまで競技であり殺すための技術ではないからだ。

 支えてくれたのは仲間だ。

 無理矢理召還したからこそ最初は嫌っていた。

 それでも絶望に足掻き、今を必死で生きる姿に自ずと心通わせるようになった。

 仲間がいたからこそ前に進めた。

 希望一つない暗闇の中でも前に進むことができた。

 旅の道中、仲間の一人から性的な襲撃を度々受けたが、それは別の話。

 気を取り直すように頭を振れば龍夜は目的のパソコンを見つけ出す。

「くっそ、パソコンもこのザマかよ」

 本の山に埋もれたノートパソコン。

 持ち上げて救助した際、裏面に接する指先が違和感を得る。

 原因は裏面を見れば一目瞭然。記憶媒体が喪失していた。

「侵入者はこれも目的だったのか?」

 興信所の調査結果の書類同様、金目の物に興味がないのなら自ずとデータが目的となる。

 全てを持ち出さず、敢えて一部を残したのは盗まれたと気づかせず発見を遅らせるためだろう。

 部屋を荒らしたのはバックアップデータを家探しした線が濃厚と読む。

「けど、書類といい、なんのデータなんだ?」

 口を一文字に結びながら龍夜は祖父の行動を思い返す。

 記憶が正しければ、タワーマンションやソーラーパネルの計画が立案された頃より、頻繁に本土へ足を運んでいた。

 お陰で師範不在の日が多くなり、龍夜が師範代行を勤めることになる。

「理由を聞いても古い友人に会ってくるの一点張りだったし……そういや、ひよこのお菓子が土産にあったのを見たな……行先は福岡か?」

 短くて三日、長くて二週間は帰ってこない日もあった。

 加えて当主だったからこそ、交友関係は広く、隠居後も交流を深めていると聞く。ただ一口に友人と言おうと、地元の建設関係者や議員だけでない。金融関係、漁業、警察ときて、本土、それも東京・霞ヶ関と縁が深い。何代か前の総理大臣と握手する写真すらあった。

「これはもう外に出て生存者を見つけだすしかないな」

 選択肢はあってないようなもの。

 屋敷の外に出れば死霊と対峙するのは避けられない。

 だが島の現状が把握できぬ以上、迂闊に動き回るのは危険だ。

「昇って――見るか」

 一度、俯瞰できる場所にて現状を把握するのが妥当だ。

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