第4話 これはただの自己満足に自己欺瞞だ
リビドルとは異世界スカリゼイにて生きる者全てが持つ心の力。
覇気、錬金術、治癒術、魔法と全ての能力の源泉となる正のエネルギーの総称である。
日本ではあらゆるものに神が宿ると信じられているように、異世界スカリゼイもまた、あらゆるものに心が宿っていると信じられている。
生きたいと抱く本能。存在したい。終わりたくないと存続を願い、終わりを拒絶する力。それが正の力、リビドルとなる。
反対に位置する負のエネルギーがデスドルドグ。
終わりたい。生きたくない。死にたい。自力ではどうしようもできない。何もかも滅ぼしたい破滅願望。
一〇〇〇年周期で出現する魔王の正体は闇落ちした勇者でも別世界からの侵略でもなかった。
スカリゼイたる世界そのものが死を望み、生み出した代行者であり終焉装置。
生きとし生ける者を拒み、嫌悪する。死に向かう欲望だからこそ死を纏い、世界を暗闇に包み込む。
滅びたいと願う世界を否定し、存続させるには今を生きる者たちが生きたいと強き意志で魔王たる終焉装置を破壊する必要があった。
「けどなんで使えるんだ?」
いや、と自問を龍夜は否定する。
何故ではなく、使えて当たり前なのだ。
リビドルは所詮、異世界スカリゼイでの呼称でしかない。
誰もが世界に生きている以上、生命というエネルギーを内包していた。
「俺は生きている。生きているのは今を生きたい意志があるからなんだ」
今のところ一番納得できる落とし所だった。
死霊の再憑依を許すことなく倒せたのは振るう刃に、その動作にリビルドを無意識のまま発露していたから。
武道然り職人然り、至高に至りし者はその動作たる型に、生み出す作品に心を宿らせる。
当人が気づかぬまま無意識のうちに。
言わば明鏡止水、言わば仏教における
内に秘めし心を自然なるまま解放する。
二年間の異世界生活が龍夜にその領域にまで至らせていた。
「……よしっ!」
抜き身の刃を納刀した龍夜は祖父の書斎に向かおうとする。
歩きだそうとした龍夜だが立ち止まる。
かすかに肩を震えさせながら物言わぬ親しき者たちに振り返った。
「これはただの自己満足に自己欺瞞だ」
抑揚のない声で自分に強く言い聞かせる。
一人一人、一定間隔で並べては自分が切り落とした部位を拾い、本来の持ち主に戻していく。
司祭でも牧師でも坊主でもないが、一人の人間として送ることはできた。
「この傷跡、サト姉にもあったが……」
整えていく中、気づいた違和感。
何人かに龍夜が生んだ刃傷はあるとしても、身に覚えのない痕が額や胸、腕などにいくつもある。丸く小さく、まるで警察ドラマで見た弾痕のようだ。
疑念を確かめるため、龍夜は弾痕あろうと貫通痕のない遺体に刀の切っ先を突き入れる。
血肉抉る感触に顔をしかめることなく、骨に埋もれた金属片をえぐり出した。
警察ドラマの鑑識で見た小指ほどある銃弾だった。
「死霊を知らない人から見れば動く死体はゾンビだ。対抗するために誰かが銃でも持ち出したか?」
頭の中で状況証拠を整理しながら首をかしげる。
当然の疑問が浮かぶ。銃を持つ職業は警察官しかいない。島には派出所がある。だが、一発撃つだけでも問題となり、何より身体にある弾痕の数は明らかに所持弾薬より多い。
「猟友会は論外だな」
島には猿や猪、熊など害獣の類はいない。
六歳の頃だったか、本土と繋がる橋を渡って猿一匹が島に入り込んだ過去があった。
当時はおおとり物の大騒ぎだったと記憶している。
「まあありゃ本土のマスコミが取材だと我が物顔で押しかけては猿を追い回したせいだけどな……」
強いて島にいる獣をあげるなら、漁港を縄張りとする野良猫程度。
よって猟友会は除外する。
「今は情報を集める。生存者を見つけだす。だから今はここで眠っていてくれ」
血で汚れた手を合わせ龍夜は冥福を祈る。
正式な弔いは事が済んだ後で。
不都合だがもう少しそのままの姿で待っていて欲しい。
今は現状の把握と情報収集。
そして生存者の救助だ。
生存者と上手く接触できれば、島で何が起こったのか把握できるはずだ。
だから龍夜は情報を得るため祖父の書斎に改めて向かうのであった。
血で汚れた手をストレージボックスから取り出した水で洗い落とす。
親しき者を斬った感覚はまだ手に残っている。
その手に宿るのは悔恨か、懺悔か。
だとしても龍夜はカンテラボールの明かりを頼りに暗き屋敷を進む。
「改めて照らしてみれば結構あるな」
カンテラボールで壁面や床を注視すれば、血痕に混じって弾痕らしき穴が無数にある。
血痕ばかり目が行って気づかなかったが、思った以上に弾痕の数は多い。
「もう誰も出てくるなよ」
一方で神経を研ぎ澄ませながら龍夜は廊下を用心深く進む。
時折、暗がりから響く物音に機敏な反応を見せ、刀の柄に手をかけるも、ただ物が落ちただけであった。
「斬った死霊の中にじいさんたちはいなかった。遭遇してないのか、これからなのか、それとも出かけていたから無事なのか」
生死など当人と再会しなければ確認のしようがない。
結末は二つ、生きているか、死んでいるか、である。
「さて目当ての情報があるといいが」
龍夜は誰とも出会うことなく書斎に続く扉までたどり着く。
扉を開ける必要はない。不作法な誰かが入室のノック代わりに力強く蹴り飛ばしたせいで扉は床の上に倒れているからだ。
蹴り飛ばした証拠に扉にはくっきりと靴跡がある。
「これは酷い!」
部屋の惨状に龍夜は呆れ叫ぶ。
室内は血痕で汚れていなかったが、資料や本が散乱した酷い有様ときた。
壁際に所狭しと並べられた本棚全てが倒され、床上に本が散乱。執務机の全ての引き出しも同じ有様ときた。極めつけは左手奥の本棚裏にある金庫。明治時代に作られた頑丈で重い金庫はロックを扉ごと破壊されていた。
「おいおい、火事場泥棒にしちゃ好き放題し過ぎだろう」
警戒して部屋を見渡そうと人間は龍夜だけ。
金庫には土地の権利書や札束、そして亡き妻の指輪が入っていようと手を着けた形跡がない。
「書斎を荒らしたのはただの泥棒じゃない?」
金目の物に一切手を着けていないのならば、警察ドラマでは別なる目的だと相場が決まっていた。
だが龍夜が捜査することではない。
散乱する資料に目を通せば、過去、住民の陳情を聞き入れ立案された開発計画の一端であった。
「まあ比企家は代々この紡雁島の開発を担ってきた家だからな、けれど……」
この家に不釣り合いな資料まであることに目を細めた。
今年度におけるインフラの維持事業。
本土と島を繋ぐ橋のメンテナンス、利用者数上昇につき列車本数の追加についてなどの議事録のコピー。
祖父ではなく父親が担っている仕事の資料がコピーとはいえ、この家にあるのはどこか腑に落ちない。
「お袋が知れば発狂するぞ」
安易に浮かぶ光景に龍夜は鼻先で笑う。
隠居したからこそ祖父の干渉を母親は許さないし認めないのだが、いかせん現比企当主が頼りないから、干渉を許されざるえない状態ときた。
「これは馴染みの興信所のか」
丁重な仕事をすると曽祖父の代から付き合いの長い興信所の調査結果の書類を発見した。
「美智絡みまであるぞ」
五枚あるうちの一枚は芸能事務所についての調査結果のようだ。
「ご依頼された事務所について裏社会との繋がりはなく、不都合な契約を結ぶような行為はしていない……じいさん、教え子のためにこんなことまでしていたのか」
祖父の教え子を思う行動に龍夜は切なさで唇を噛みしめる。
「もう、みんなは……ええい!」
肩を落とし顔を俯かせて消沈していても前に進まない。
振り切るように顔を上げて前を、書類を見た。
「あれ、一枚足りない?」
興信所の調査結果はナンバリングされ、手元にあるのは五枚。だが最後のナンバーは六。
六枚あるべき書類は三枚目が抜けていた。
「……これが狙いだった?」
不都合な事実を祖父に掴まされた。
推論しようと、この状況すら把握できぬ龍夜には糸口すら掴み切れない。
「これは、まさか……」
ふと真新しいファイルが目に入る。
拾えば新聞の切り抜き記事をまとめたものであった。
「高校生行方不明。日付は俺が異世界に召還された翌日か……」
自らの記事を読めば胸が締め付けられる。
比企龍夜という高校生が忽然と姿を消したとされる記事。
切り抜きは地元紙だけでなく全国紙まである。
警察は事件事故の双方で捜査を進めていると記載されていた。
「忽然と消えたんだ。そりゃ大事件となるわな」
週刊誌の記事までスクラップされ島が抱える問題すらある。
<タワーマンション建設、地元住人は日照権問題を訴える!>
<太陽光パネル建設、地滑り対策は大丈夫なのか?>
<観光資源を削ってまで開発する意味はあるのか!>
<頼りない婿養子、強攻策は義父や義祖父の実績に対する焦りか!>
好き放題書いているが別段、肩をすくめることではなかった。
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