優希編 残火の章
第1話 くっそたれが!
<第一〇回、太陽光パネル設置説明会>
初夏の兆しが見え始めた五月。
日曜日の今日、小学校の体育館で説明会が開かれていた。
参加者の一人、
手持ちぶさたに、スマートフォンのインカメラを鏡代わりにして前髪を指先で整える。
インカメラにはセミロングの髪に、ややつり目がちな目尻、整った鼻先が映る。そのままセーラー服の胸元のリボンに触れた。
大人たちの中でセーラー服姿の未成年は浮いているが、誰もが制服に意識を向けていなかった。向ける余裕がなかった。
「島の貴重な観光資源を削るなど言語道断だ!」
「エンジュの山は先祖たちが苦労して植林したものだぞ! それを伐採するなど神経を疑う!」
「どこがエコな発電なんだ! 設置は安かろうと撤去費用が高いと各地で問題になっているだろう!!」
「この島は台風の通過率が高い! 設置工事による地滑りが起きたらどうする気だ!」
「山を削ればその土砂が海に流れ込んで牡蛎の養殖が台無しになっちまう!」
「な~にがショッピングモールに就職を斡旋するだ! 撤退したお陰で町が寂れた事例があるのを知らないと言わせないぞ!」
もはや説明会ではなく糾弾会である。
紡雁島の住人たち全員が反対の声を上げている。
この島の経済が観光業や漁業で成り立っているからこその声。
特にタワーマンションが島の東側に建設されてから、開発に対する反対運動は熱を帯びている。
高き建造物だからこそ起こる日照問題。
マンションの影で洗濯物が乾かないは序の口。
代々干物屋を営んでいる瀬田のおばあちゃんは、干物が作れなくなったと憤慨する始末。
干す場所に強いこだわりがあるではなく、良質な干物を作る上で欠かせない日当たりと風当たりの良い場所がタワーマンションにより遮られ、商売が上がったりなのだ。
だからか、比企家や業者はタワーマンションの一階と二階にショッピングモールを設置し、就職を斡旋すると宣おうと反対運動に油を注ぎ炎上させる始末ときた。
(やっぱり断れば良かった)
優希の目には後悔と落胆が宿っていた。
近隣住人の交流は大事だ。
曾祖父の代から島に住んでいるからこそ縁は強く、下手すると生活に影響が出る。
特にこの一ヶ月、比企家が市議会に圧力をかけてタワーマンション建設を強行させたこともあってか、住人たちの反感はより一層強まっていた。
「比企家の人間はどこに行った! その社長もだ! 開発を主導しているならこの場にいるべきだろう!」
「あのスピーカーの婿養子をとっとと出せ!」
業者や代理人はヒートアップする住人たちにたじたじであり、もはや説明会の体を為していない。
肝心な比企家の人間が不在なこともあり、住人たちを止められずにいる。
『学生の一人としてエコな立場を表明して欲しいの』
三日前、優希は
祖父の代から家族ぐるみの交流があるからこそ断るに断れず、二つ返事で了承してしまったが受けたことを後悔した。
『島の未来と環境を憂える一人として壇上で演説して欲しいのよ。ああ、原稿はあるから安心して』
にこやかな笑顔で翔子から渡された原稿。
目を通せば、背筋凍り気分が悪くなった。
(愛する人と未来を築きたいとか、生まれてくる子供が安らげる世界とか気持ち悪いんだけど)
美辞成句というメッキに覆われたブリキだ。
この一ヶ月、龍夜が行方不明になってから翔子は優希に関わってくる。
買い物に行きましょう、食事はどうかしら、今度、本土から有名な料理人を呼んだんだけど、等々、あれこれ接点を増やそうとしてきた。
一度だけ押すに押されて食事の誘いに乗れば、後は若い者同士でと、白狼がいる部屋に置き去りとされた。
自分自慢をする白狼に呆れ、理由をでっち上げて帰る。
以後、バイトを理由に断りを入れれば、不満を目に宿して悲しい顔をする。
行方不明の龍夜の話をすれば、顔に出さずとも不快な目をする。
親も親なら子も子だ。
双子の兄、龍夜が行方不明なのを良いことに白狼もまた何かと絡んでくる。
特に、了承も同意もしていないデートを一方的にセッティングしてくるのは腹に来る。
こちらの予定や意志はお構いなし。
一応、比企家次期当主なのだから、女も金も好き放題出来るでしょうに。
侮蔑にも似た感情を吐露する。
「あ、あの草原さん、え、演説お願いします!」
飛び交う住人たちの怒号の中、優希は司会進行に呼ばれていた。
段取りでは壇上に上がり、エコの素晴らしさと未来について記された原稿を読み上げる茶番。
椅子から立ち上がり、壇上に向かう優希を住人たちが注視する。
視線の色は様々、不満、不安、裏切り、蔑みと目は口以上に語っていた。
壇上に立った優希は、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす形として原稿をまっぷたつに引き裂いた。
一度ではなく二度三度と、裁断しビリビリに破り捨てる。
「こんな茶番やっていられるか! くっそたれがああああ!」
マイクを手に感情をぶちまけた。
誰もが思わぬ行動に驚き固まり、特に業者側は住人を説得する段取りとして用意された配役に困惑を隠せずにいる。
「なにが開発よ! なにが未来よ! 人一人の生活すら守れない開発になんの意味があるのよ! どいつもこいつも茶番ばかり! そんなに自然で発電がしたいなら瀬戸内海の渦潮でタービン回してなさい! それかマスかいて寝ろ!」
溜まりに溜まった鬱憤は早口で吐き出される。
他にも言いたいことはあるが心にブレーキをかけた。
だが、身体の動作はノンブレーキ。
業者側に向けて感情のまま中指をおったてる。
「龍夜がいればこの状況、少しはマシだったでしょうね!」
優希の発言に誰もが押し黙った。
祖父が不在の時は代理として師範を勤め、休日にはボランティアで海岸清掃をする。
特に小学生の指導をしていることから弟の
逆に双子の弟である白狼は文武共に確かな実力があるも、打ち負かした相手を侮蔑するなど礼節に欠ける部位がある。
稽古はロクに出ない。弟弟子たちの面倒も見ない。
強さは正義だと言わんばかりの言動に誰もが口に出さずとも内心では辟易していた。
「帰る」
怒鳴り散らした自分に少し自己嫌悪が沸く。
これ以上の茶番にはつきあいきれないと、優希は壇上を降りれば体育館を後にする。
扉を閉めたと同時、一時は静まっていた住人の怒号は再燃した。
(説明会にも来ないなんてあの一家、なにやってんの?)
来るべき一家が一人も姿を見せぬことに疑問を抱くも、出て行った自分がこれ以上考えることではないと打ち切った。
比企龍夜が行方不明になって一ヶ月が経過した。
島を出た形跡はなし。
その日、祖父宅の庭にて真剣を手に巻き藁を切っているのを家族や使用人、門下生などが目撃している。
警察の捜査も行われた。行方不明者として全国で顔写真が公表された。
だが、結果は乏しく、一部では波に浚われたのではないかと囁かれるようになった。
海での行方不明事故は毎年起こっている。
ただ海岸から離れた家でどうやって波に浚われたのか、疑問視する声もあった。
確かなのは今なお比企龍夜は行方不明のまま。
「はぁ~」
優希は防波堤の上に腰掛けていた。
小学校を出た後、潮騒の音に誘われたどり着いたようだ。
両手を頬に当てては呆然と押しては引く海岸の白波を眺めている。
「もう、とっと帰ってきなさいよ。バカ龍夜」
苛立ちを紛らわすように靴の踵で防波堤の壁面をコツコツ叩く。
あんたのバカ弟がキモいほど絡んで迷惑なのよ、とその場にいない当人に恨み節をぼやいた。
「いつから、だったかしら」
海岸を眺めながら優希は漠然と自問する。
祖父同士の縁で双子と知り合い、よく遊ぶようになった。
山や浜辺を駆け、海でよく泳いだ。
今と違って兄弟仲は良く、互いに切磋琢磨しあっていた。
よく稽古後の二人に祖父直伝のおにぎりを差し入れたものだ。
「龍夜といると落ち着くのよね」
例えるなら、そう夜の静寂のような安心感。
実力に驕ることなく自らを鍛え、誰かを助けることを、尊敬することを忘れない。
謙虚と周囲には思われがちだが、単に負けず嫌いなだけ。
白狼に剣道の試合で負けようと鍛錬を重ね、次は勝ちをもぎ取っている。
「逆に白狼といると落ち着かない」
例えるなら、肉食動物の檻に入れられたような不安感。
実力はあろうと驕り高ぶり、誰かを助けず、尊敬すらしない。
次期比企家当主として持ち上げられたせいか、この一ヶ月、増長している感が強い。
周囲に集う人間も将来的に利を会得せんと企む太鼓持ちばかりときた。
「さ~ておばさまの言い訳どうしょう」
無意識に前髪を指先でいじる。
茶番を台無しにしたのだ。
苦言の一つはされるだろうが、優希とてただ聞く気はない。
そもそも大事な説明会に参加してない時点で比企家としての立場を放棄している。
急用ならば一報入れるべきだ。それが大人の対応ではないのか。
そのまま何もすることなく海岸の白波を眺める。
ふと左側から見知った子供たちの歌声が波音に混じり聞こえだした。
「へ~そに触れちゃ~だ~めだよ~」
「鬼の柏手、バ~ンと帳を作~り」
「鬼の足音、ド~ンと人を喰~い」
「鬼の咀嚼、モ~ンと門を開~く」
「枯れたへ~そ~から鬼がビ~ンと立つ~」
「鬼なりとうなれば、夕焼けに伏せよ~」
「鬼なりとうなければ、朝焼けに立てよ~」
「「「「朝日浴びたきゃ鬼の宝を、ずばばばばんざばばばんとぶった切れ~!」」」」
四人の子供が口にするのは(一部違うが)島に昔から伝わる民謡だ。
鎌倉時代、鬼の巣窟であったこの島を比企家の先祖が討伐し解放した伝承に準じているとされている。
当時の資料は喪失しているため民俗学者の見解によると島を根城としていた海賊を鬼に当てはめたとか。
そのため暗くなるまで家に帰らねば鬼=海賊にさらわれるとの戒めが今も伝わっていた。
「下手くそな歌ね」
優希は鼻先で嘲笑う。
意図的に音程をズラして遊んでいるのは百も承知。
波に乗って子供たちの耳に嘲笑いが届いたのか、歌声は止まり、その一人から抗議が飛んできた。
「姉ちゃん、うっせーよ! 楽しんでんのに茶々入れんじゃねえ!」
生意気盛りの可愛くない弟、勇である。
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