第5話


 濃密な魔力を纏い、今にも攻撃を始めそうな禍々しい巨大蜘蛛。

 それに応える様に翼を広げ、魔力を滾らせるルー。

 そんな2人の空気を丸っきり無視してルーに話しかけた蓮は、「よいしょっと。」と言いながら目の前に広がる翼の下を潜り、ルーの横に立った。

 そんな自由奔放な連の様子に、ルーは若干のあきれを含んだ声で言葉を返した。


「蓮、危ないので少しの間後ろにいてください。」


「えー、でも、森の中で「ごめんなさいしなきゃね」って言ったら、「そうですね。」って言ってたじゃん。」


「確かに言いましたが……。」


 突然目の前で始まった場にそぐわない会話に、唖然として動きを止めてしまった巨大蜘蛛。

 ハッと我に返り、自分—人間から厄災とまで言われ恐れられている『女帝蜘蛛エンプレススパイダー』にまで進化し、強大な力を持つ自分—の存在を無視して話し出した人間に目をやった。

 巨大で強靭な体を持ち、膨大な魔力を身に宿した自分とは比べ物にならない程矮小な存在。

 人間が恐れ、滅多に足を踏み入れないこの森の奥地で、自らの領域を持つ程の存在である自分が、その矮小な存在に恐れられる事もなく無視されていると言うこの現状に怒りがどんどんと湧き上がって来る。

 今すぐ食らってやろうと行動に移そうとしたが、ふと何かに気づいた様に蓮に念話を飛ばした。


『ソコナ矮小ナル人間ノ子ヨ。オ主、器持チデハナイカエ?』


 突然話しかけられた蓮はルーとの会話を中断し、女帝蜘蛛エンプレススパイダーを見上げ返事を返す。


「器ってなんの事?僕、この服以外何も持ってないよ?」


 蓮はそう言って自分の着ている服を広げて見せた。


『クックックッ…。クハハハハハッ!ソウカ、アクマデ白ヲ切ルツモリカ!少シ違和感ハ有ルガ、間違イナク器ノ気配ヲ感ジルゾ!』


 キョトンとした表情で小首を傾げる蓮をよそに女帝蜘蛛エンプレススパイダーは言葉を続ける。


『人間風情ガ何故器ヲ所持シテオルノカ甚ダ疑問デハ有ルガ、ソンナ事ハドウデモ良イ!オ主ヲ喰ロウテ、更ナル高ミヘ登ロウゾ!』


 そう一方的に言い放った直後、女帝蜘蛛エンペラススパイダーは槍のような剛脚が蓮に向けて振るった。


 ズザーンッ!!!


 轟音が響き、土煙が舞い上がる。

 隣に居た翼の生えた亜人種であろう人間はそれなりの力を持っている様だったが、時たま森を抜けて目の前にやって来た人間どもの悉くを屠ってきた自身の攻撃、ましてや魔力で強化した過去一番の会心の一撃を、あの様な無防備な状態で耐えられる訳が無いだろうと勝利を確信した女帝蜘蛛エンペラススパイダー

 思いも知らぬ幸運に力が入り、獲物もろとも地面を深く貫いてしまった脚をゆっくりと引き抜きながふと思う。

 器持ちを喰らうのはいつぶりだろか、と。

 器持ちの殆どが、今の自分と同じように領域を持っている。

 今あるこの領域も、元居た器持ちを殺して奪い取りながら広げたものだ。

 だが、遂に自分以上の力を持つ者の領域に接してしまった。

 じわじわと力を蓄えてきたが、力を殆ど感じない人間とはいえ器持ちを殺した今、憎々しく思っていた奴らを上回る力を持つことができるかもしれない。

 ましてや器が満たされる事になれば、この森に留まらず、もっと広大な領域をも手中に収められるだろう。

 そんな未来を思い描き、どいつから殺りに行こうかと考えた時、ふと、あることに気づく。

 器持ちを殺した時いつも感じていた、湧き上がるような力の奔流や言いようの無い高揚感が感じられない。

 確かに、自分よりもかなり格下であろう器持ちを殺した時にはその感覚は薄いものだったが、そういう訳でも無く全く感じられないのだ。

 まさか……


「蓮、これで危ないと分かったでしょう?大人しく後ろに下がっていてくれますか?」


「うん、分かったよ、ルー……。ごめんね?」


「はい、いいですよ。謝る事は大切ですが、こうして通じない相手もいるという事は覚えておいてください。」


 土煙の中から、有り得ない…有り得てはならない声が聞こえ、女帝蜘蛛エンプレススパイダーは驚愕のあまり思わず声を上げた。


『ア、有リ得ヌ…、有リ得ヌゾ!何故生キテオルノダ!』


「何故、と言われましても……。攻撃が当たらなければ死ぬ事は有りませんよ。」


 当たり前でしょう?と言葉を続けながら、体を包み込む様にしていた翼をバサリと広げた。

 立ち込めていた土煙は風で散らされ、先程と変わらず無傷の2人が姿を現した。

 正確には全く同じでは無い。

 ルーの背中から生える一対二枚であった翼は、その数を三対六枚に増やしている。

 更にそこからキラキラとした粒子が舞っており神秘的な雰囲気を醸し出していた。


 ルーは抱き上げていた蓮を地面へと降ろすと、先程とは比べものにならない程の不気味な圧力を感じ動きを止めている女帝蜘蛛エンペラススパイダーにチラリと視線を向けた後、すぐにその視線を蓮の方へと戻した。


「蓮から少し魔力を頂きましたが、体調に問題は無いですか?」


「うん、大丈夫。急だったからちょっとびっくりしたけど、なんともないよ!」


「それは良かった。……では、後ろに下がって待っていてください。害虫駆除を始めますので。」


 そう言って蓮が後ろへ下がるのを見送ると、先程から固まっている女帝蜘蛛エンペラススパイダーの方へと向き直る。

 

「さて、あまり時間は無さそうですので手早く済ませましょうか。」


 呟くような、それでいてはっきりと聞こえたその声に、女帝蜘蛛エンペラススパイダーは久しく感じていなかった身の毛がよだつ恐怖を感じ、咄嗟に防壁を貼る為の魔力を練り上げた。


 が、時既に遅し。


「いい糸が取れるかとかと思ったのですが……。残念です。」


 徐に右手を目の前にいる女帝蜘蛛害虫に向け——


神炎しんえん


 ——と、口にした瞬間。


「Gyuaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」


 と悍ましい悲鳴を上げる女帝蜘蛛エンペラススパイダーのその巨体を、真っ白な炎が包み込んだ。


 悲鳴を上げ、どうにか白炎を振り払おうと周りにいる自身の眷属をも巻き込みながら暴れ回る女帝蜘蛛エンペラススパイダー

 だが、勢いは収まる事なく、変わらず轟々と燃え盛っている。

 それに、不思議なことに周りに生える木や草に燃え移る事はなく、女帝蜘蛛エンペラススパイダーとその眷属のみを燃やしていく。

 

 危険を感じた子蜘蛛達はわらわらと森の奥へと逃げ始める。

 女帝蜘蛛エンペラススパイダーがその動きを止める頃には、辺りを取り囲んでいた無数の気配は綺麗さっぱり無くなっていた。


 周りが静かになった事を確認したルーが「ふぅ。」と一つ息を吐き出すと、増えていた翼が光の粒子の様に変化し、消えていった。

 若干の気怠さを感じながらも後ろを振り返る。

 するとそこには、意識を失い地面に倒れ込んだ蓮の姿があった。

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