二〇二一年

 しっかりと熱したフライパンに、バターとすりおろし大蒜にんにくを入れる。じゅわっという音と一緒に、食欲をそそる匂いが上がってくる。急いで、みじん切りにした野菜を投入する。フライパンの底で、野菜をくるりくるりと木製ヘラでかき回して、とけたバターにしっかり絡ませていく。玉ねぎが透明に変わってきた。ごはんを入れて、さらに炒める。味を調えて、一口食べる。美味しい。コンロの火を消す。ポテトサラダとオニオングラタンスープは、もう完成している。後は、これを丸鶏の中に詰めて、オーブンで焼けば完成。


 息子が大学生になって家を出てからは、クリスマスにローストチキンを作ってない。久しぶりに作ったけれど、まだまだ身体は覚えている。チキンの中身を詰めると竹串で閉じて、足のところを紐で縛る。オリーブオイルをしっかりとかけて、ローズマリー、タイムを一緒に置くと、アルミホイルで包んで、予熱を済ませたオーブンに投入。後は待つだけ。ちょうどその時、エプロンのポケットに入れていたスマホが、鳴り出した。


「あぁ……トキヤ、どう? 時間通りこっちに着きそう?」

 電話は息子からだった。こんなに久しぶりに、クリスマスらしい料理を作ることになったのは、この子が原因だ。一か月前、二五日からこちらに帰ると言ってきたので、何か変だなと思ってはいたのだ。一週間ほど前に、彼女も連れ来ていいかと連絡があった。そんなことは初めてで驚いてしまい、本物? と聞いて息子にあきれられた。あまりくわしいことは聞き出せなかったが、高校の同級生で、今は県立大に通っていて、去年から付き合っているらしい。もうそんな年頃になったのかと、嬉しくもあり寂しくもある。


『うん、大丈夫。あと一時間くらいで着く。そういえばさ、うちってお茶とかコーヒーとかあるんだっけ?』

「え? そんなもん、いくらでもあるわよ」

『いや、インスタントとかじゃなくて、ちゃんとしたやつ』

「ちゃんとしたやつって何よ。いつも、ちゃんとしたもん飲んでるわよ。心配しなくて大丈夫」

『ふーん、そっか。わかった。じゃまた後で』


 コーヒーや紅茶に、関心なんてなかったくせに、言うようになったものだ。ケーキを持って来ると言っていたので、気になるのね。そういえば、ティーセットを出しておいた方が良いかな。今日は記念すべき日だし、アレを出すか。お父さんも、今日は帰って来たがっていたけど、仕事の都合で帰れないし。お父さんの代わりに、お父さんとの思い出の、あの一品を。


 台所の収納を一通り探した。結構大きな箱に入った、海外の陶器ブランドのティーセット。苺の実、花、葉。それらが白い陶器に描かれている、可愛らしいセット。お父さんと付き合っていた頃に、プレゼントしてもらった。


 私は、ティーカップとソーサーのセットを見て、欲しいなぁと言っていたのだけど、四人用のカップと、ティーポットが付いたセットをくれた。プレゼント用に包装された箱を渡された時、想像したものと、あまりにサイズが違っていて、驚かされた。けど、結局その翌年にプロポーズされて。新婚時代は、とても役に立った。

「うーん……。最後に使ったのは、五年前くらいだったから……。二階の方に仕舞ったかしら」


 二階の押し入れを捜索する。私の大事なものエリアを、まずは探そう。扉を開けると、トキヤの卒業証書入りの筒が出てくる。あほな子だとは、思っていたけれど……。一二月に半袖で外に出て、風邪かぜを引いて。それをこじらせて、肺炎で入院したときは、本当にきもを冷やした。順調に成績を上げていたはずなのに、センターではひどい自己採点持って帰るし。どうなることかと心配したが、なんとか大学生になれた。やっと社会人になってくれるか、と思ったら、大学院に行くと言い出すし。刺激的な息子を持つと、老いる暇がない。母の日にもらったものボックスを出して、その奥を見る。


「あっ、あった。たぶんこれね」

 箱をそっと取り出す。紐を解いて、蓋を持ち上げると、白い陶器のセットが、綺麗に入っている。両腕で抱えて台所へ行くと、軽く洗って食洗器の中に並べ、乾燥モードをセットする。そこまで終えると、足元に大きな毛玉がすり寄って来た。くんくんと鳴きながら、私を見上げる。

「そっか、今日は先に散歩に行かないとね」


 コーギー犬のシシマルが、食パンそっくりのお尻を振りながら、玄関に向かう。散歩という言葉に反応したらしい。この子も、お父さんが連れて来た。トキヤが大学に行ってすぐ、小さなシシマルをお父さんが見つけて、うちで飼おうと言った。いい番犬になるって言って。初めて見た時は、お父さんの靴と同じくらいで、本当に番犬になんてなるのかしらと、思ったけれど。どんどん大きくなって。誰かが家に入ってくると、すぐに玄関に向かって行く。


 そして今ではシシマルを中心に、私の生活が回っている。お父さんが単身赴任になっても、あまり寂しさを感じずにいれるのは、シシマルのおかげだ。ティーセットもシシマルも、一体お父さんはどこまで先を予測していたのだろう。

「トキヤの彼女ってどんな子だろうね? シシマル。シシマルも楽しみだね」

 扉の前でシシマルが振り向くと、ワンと一言吠えた。


 了

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