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 日付は二〇一八年の三月一日、たぶん卒業式の日だ。そこにはサキコからのスタンプがあった。卒業式用のテンプレといえばそれまでだが、少し意味を含んでいるように思えた。桜の花が散るスタンプで、『卒業おめでとう、また逢う日まで』という文字アニメが出る。


 俺はただの『祝卒業』というキモカワイイ猫のスタンプを返しているだけだった。こんなやり取りをしていたら、しっかり覚えていそうなものだが。もしかして俺が過去に行ったことで変わってしまったことの一つだろうか。もともと記憶力は良くないが、高校三年の三学期は記憶があまりはっきりしない。サクと話をしたおかげで、断片的に記憶がつながっている。

「また逢う日まで……か」


 三年前の俺のお願いは、まだ覚えてくれているのだろうか。忘れている可能性は高い。すでに彼氏がいるのかもしれない……。まだ二四日じゃないが、メッセージを送ってみるか? 何と送れば良いか……言葉が浮かんでは消えて、全くまとまらない。まだ日にちはある。ゆっくり考えよう。アプリを閉じると、コーヒーをれるために立ち上がった。



 サキコのチャット画面を閉じては開く日々がしばらく続いた。気が付くとあと数日で二四日になってしまう。合コンにも呼ばれたが、やっぱりサキコに会いたい、という思いが強くなるだけだった。だが、突然のメッセージに塩対応されたら……。俺にとっては二週間少しの間だが、サキコにとっては本当に三年の年月が過ぎている。それに俺とは比べ物にならないくらい大変な三年間だった筈だ。


 俺は今、高校の同級生という対等な立場ではない。サキコを支えるどころか、また負担になってしまうかもしれない。いや、それはただの綺麗ごとだ。今の俺を知って、がっかりされることが怖いんだ。屋上から飛ぶことはできたのにな。それに、しつこいと思われるかも……。俺はこの逡巡しゅんじゅんをあと三日ほど繰返し、決心がついたのは二三日の昼を過ぎたころだった。


『元気?』

 考え抜いた挙句あげく、俺が送ったのはたった三文字だった。返事は来ないかもしれない。けど、やってみないと何も変わらない。スマホをポケットに入れて学食に向かった。

 親子丼の一口目をかき込んでいるときに、ポケットが振動した。慌ててスマホを取り出す。


『元気、そっちは?』

 画面にはサキコからのメッセージが表示されていた。お茶で口の中の親子丼を流し込み、画面をしばらく見つめる。


『良かった。俺は元気』

 送信を押して気づく。これだと会話が終わる。慌てて続きを打つ。


『三年前のお願い、覚えてる?』

 既読は付いているが、返事が返ってこない。じっと画面を見ていると時の流れを長く感じるので、残りの親子丼をかき込む。全部食べて、お茶まで飲んだが、まだ返ってこない。明日を待つまでもなく終わってしまったか。背凭せもたれに背中を預けて天井を見る。その時スマホがうなった。


 机の上に置いたスマホの画面をのぞき込む。

『覚えてる』

 覚えてくれていた。それだけで嬉しい。

『けど、明日の夕方は無理かも』

「えっ……!」


 思わず声が出る。お願いは覚えているが、無理ということは……まさか。

『バイト、八時まで入れられたから、遅くてもいいなら』

 次のメッセージで一気に脱力する。明日、来てくれる。

『待ってる』


 テーブルの上に頭を投げ出す。勝手に笑いが込み上げてくる。

「あれ、トキヤ! ちょうど良かった。明日さ、暇な奴らでゲームやるんだけど、お前も参加するよな?」

 俺は頭をテーブルの上に乗せたまま、声の方を振り返る。同じ学科のシュウヘイだ。去年もこの時期、ゲームして鍋を食った仲間だ。


「ごめん、今年は行けない」

「あぁ、バイト? まぁ、終わったら来いよ」

 シュウヘイはそう言って学食を後にした。嬉しすぎてまだ誰にも話したくない。明日がこれほど待ち遠しいと思ったことはない。俺は両手を上げて、大きく伸びをすると、トレイを持って立ち上がった。



 待ち合わせの駅から二駅のところに、四本の路線が乗り入れる大きな駅がある。そこで、イルミネーションをやっていた。サキコとこれを見たいなと思った。バイト先はもしかしたらそちらに近いかもしれない。待合せ場所を変更する方が良いだろうか? 少し悩んだが、俺は大人しく三年前に指定した駅で待つことにした。


 久しぶりに行ってみると、外壁が綺麗になっていたり、カフェができていたりして時間の流れを感じる。カフェはセルフタイプの店で、コーヒーの他にも、ラテやソフトドリンクの種類が充実している。営業は一〇時までとなっている。その中で待つことにして、連絡を入れる。


 店内は満席に近い状態だったが、運よく二人席が空いていた。コーヒーをすすりながら、高校の頃にこの店があったら、サキコと寄ったりできたのかなと考える。だがしかし、過去には戻りたくない。不安だらけなのは、過去でも今でも同じだった。それなら先が分からない方がまだ、ましな気がする。


 コーヒーが半分まで減ったところでスマホがうなった。自動ドアに目をる。ドアが開くと、セミロングの黒髪で、白いコートを着た子が入ってきた。スマホを片手に、店内をぐるぐると見回す。片方の髪を耳にかけながら俺の居る方を向いた。ぷっくりとした耳朶みみたぶ、間違いない。立ち上がって声を掛ける。


「サキコ!」

 彼女は相好そうごうを崩して手を挙げた。この先は決まってない。二人で考えて選ぶんだ。

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