ⅵ 2

 寒い。めちゃくちゃ寒い。つま先が痛い。起きて身体を動かして、どこか暖かいところに行かなくては。何でこんなに寒いんだっけ。俺、酒飲んで外で寝たのかな? いや高校生だから酒飲めるわけないか。あれ、でもそれは三年前なんだっけ?

 

 ゆっくりと目を開ける。寝転がったまま辺りを見ると、俺は四角い箱の底みたいなところに放置されている。カシャンカシャンと音が聞こえたり途切れたりする。もしかして誘拐? なんかこういうサイコ映画あったな。捕まえてきてチェーンソーで刻まれるやつ。俺は、がばっと上半身を起こして両足を確認する。


「はっ……ついてる。冷たい。なんで靴下……」

 そのまま上半身をひねってぐるりと周りを見る。財布とスマホがそれぞれ別の角に転がっている。スニーカーも見える。長方形の箱の上には数字を描いた四角い石がのぞいている。

「プール……か。そうだ……、屋上から飛んだんだ。サク……」


 そうだ、タイムトラベルをした。俺が飛んだプールには水が入っていたはずだ。だがプールの中は乾燥していて、水が入っていた様子が全くない。寒さでかじかんだ手で散らばったスマホや財布、スニーカーを回収する。財布の中からIDカードを取り出す。今俺が通っている私大のIDが出てきた。やっぱり県立大に受かってない。何も変わってない……。急いでスマホの電源を入れる。アプリでサクの名前を探す。かなり下の方にサクがいた。このデータは引き継がれていた。通話を押すが、つながらない。

「あっ、そうか。通信障害……」


 スマホを見ると、圏外が表示されたままだ。取敢とりあえず装備を回収した俺は、プールからい出す。まわりはぐるりとフェンスで囲まれている。プールサイドで立ち上がると、左手のフェンスが、がしゃがしゃと揺れた。下の方に白い指がのぞいている。


「トキヤ……。起きたか?」

「サ、サク!」

 俺は走って声の方に寄り、一気にフェンスを上って、向こう側へ降りる。やや大人びているが、サクだ。短かった前髪は、目の下あたりまで伸びていて、斜めに流している。俺は、サクに抱きつく。


「サク! よ、良かった。俺生きてる! 怖かった。プール、プール水が無くなってて……。」

「良かった。三年ぶりだな。トキヤは三十四分ぶりか?」

 まるで久しぶりに再会した遠距離恋愛中の恋人のように、サクを抱きしめたままでいる。


「屋上から飛ぶ必要なかったな……。怖かったよな」

 サクが俺の背中を軽く叩く。そのまま俺の背中をさすってくれる。

「たぶんもう警備員は帰ったと思うけど、早くここの敷地から出よう。回収し忘れたものとかないよな?」

 俺は抱きついたまま何度も頷く。サクは俺を強制的に引き剥がして歩き出す。

「俺が帰った後って、どうなったんだ?」


 学校の裏門を出て歩くと、向かいの道に黒いSUVが止まっていた。サクがコートのポケットから鍵を取り出すと電子音とともにヘッドライトが点滅する。

「うん……、トキヤが飛んで、あの黒い穴の中に吸い込まれていって……、水のないプールとトキヤが出現した。熱があって、すごく具合悪そうで、その後やっぱり……」

 サクはドアを開けて俺が車に乗るように促す。そこまで聞くと記憶のような断片が浮かんできた。


「あれ、もしかして俺その後、肺炎になって……入院、した?」

「そう……。そうだよ。あの夜以降の記憶は、引き継がれているってことか?」

「うーん、何か話聞くと、そんなことあったようなって感じ。大学入ってからの記憶は変わってないかな。たぶん」

「とりあえず家に届けるから。住所入れて」

 サクがナビを指さす。俺は素直にアパートの住所を入力する。途中でドライブスルーに寄るかと聞かれて、あったかいコーヒーが飲みたいと答える。


「そういえば、三十四分ぶりって、どういうこと? 三年前、俺が飛んでから、ここに俺が現れるまでの時間?」

 ヒーターの吹き出し口からようやく出てきた暖かい風に指先を当てながら質問する。

「そう。あの夜、スマホのレコーダーを立ち上げておいたんだ。それが三年後、役に立った」


 あの状況を録音していたとは、俺よりもずっと冷静に行動していた。

「そうするとサクは、このタイムトラベルを三年前から知ってたのか……。何か、三年前の出来事がサクの未来に影響してるのに、その出来事は、未来の自分のせいなわけだろ? うーん、言ってて訳分かんなくなってきた」

 俺は少し暖まった指で頭を揉む。寒かったせいか、頭皮が冷たくて硬い。


「実は、トキヤが帰った後、あの三枚の紙が無くなっちゃって。未来からの情報が無くなった。それで、ワームホールについて計算することをやめたんだけど……。やっぱり、今の研究室を選んだ。未来の影響もあるかもしれない。でも、おれはその選択に、今の自分の意思があることが大事だと思ってる」


 変えられない未来はあった。そう考えると自分で選んでいるのか、選ばされているのか……。だが、サクの言葉を聞くと、選ばされていたとしても、何を考えて選んだか? が重要な気がした。


「そうか……、そうだよな」

 身体が暖まってきた。かなり落ち着いて話ができるようになった。何故あんなにサクに抱きついてしまったのだろう。ちょっと恥ずかしい。それにサクは今日の実験のメンバーなわけで、ここで俺と一緒にドライブしてていいのだろうか。

「サク、実験中じゃないのか? いいのかこんなとこに居て」

「良いよ。実験の参加メンバーは、もっと上の人だから。おれは計算の手伝いだよ。まだ院生でもないし」


 サクは俺と同じ三回生だから、研究室で言えばまだ末席まっせき扱いか。

「三か月前に、今日の実験の予測計算をするメンバーになった。それやってるときに解ったんだ。三年前に途中でやめた、あの計算の意味が。ワームホールができる位置と時間、移動先。それで昨日、あの夜の録音も思い出してさ、急いで三枚のヒントを作って、学校のそばでホールがつながるのを待ってた。そしたら、トキヤが侵入するのが見えて……三年前の出来事が、全部つながったよ」


「三枚のヒントを作ったって……、あのネットニュースも?」

 昨日から準備したのならば、まだ実験をやるまえに記事が出ていたことになる。

「まあ……。障害が出る可能性は予測できてたし、三年前のおれ宛てに情報を伝えるために作ったんだ。実験としては成功だよ。衝突と同時にブラックホールの発生を示す重力波らしきものが、一瞬観測できたって連絡あった。本当はワームホールで、トキヤがタイムトラベルしたことはおれらしか知らないけど」


「えっ! 狙ってやったってこと? じゃあまた同じことやるつもり……?」

 サクはちらりと俺に目を移す。

「いや、今日と同じ出力ではもうやらないだろう。通信障害は起きたし。あとやっぱり、システムもダウンしたらしい……フェイクニュースが本当になったよ」


 サクはふうっと溜息ためいきく。その横顔は、三年前と変わらない。サクはこっちのプールで見たことを話してくれた。警備員が屋上から姿を消し、黒いホールが小さくなって閉じる前にサクが例のメモを投げ込んだこと。その後、プールに向かう警備員の対処をしたこと。水のないプールに、半袖にハーフパンツの俺が現れたこと。しばらくするとまた黒いホールが広がり、現れた俺を飲み込んで、一気に小さくちぢみ、今の俺が出てきたこと。


「もしも、三年前の俺が意識を戻して、うろうろするくらいの時間が空いてたら、危なかったかもな……」

 三年間存在しないということは、行方不明という扱いになるのだろうか。進学の時期に不在というのは取り返しがつかないような……。

「それもあったから、近づきすぎないところから監視……してたんだよ」

 三年後のサクは、何というべきか、思った通りの成長を遂げていた。同じ年なんだが、成長した、という表現がしっくりくるような気がした。


「サクは今、高校のころからやりたいと思ってた事を、やってるんだな……」

「えっ? 何だよ、急に。まあ、トキヤの予言通りの大学に行って素粒子理論やってるよ。今の分野は元々好きだし。やりたいこと、やってるな」

「サクはもちろん大学院だよな……。はぁ、急に現実に戻ってきた。なぁ、俺が大学院ってありだと思う?」


 そうだった、俺は内定も出ず、パチンコとゲームばっかりして過ごしてるんだった。こんな俺の真実を知らないサクに聞く内容ではないが、サクなら背中を押してくれそうな気がしてしまう。


「ありよりのありでしょ? 今日から先は、決まってないんだから」

「うっわ、懐かし!」

 俺はアパートに着くとサクを部屋に入れて、一二月三日以降にお互いがどう過ごしてきたかを話した。サクはそのまま泊まって、また会う約束をして早朝に出て行った。俺はサクを見送ったあと、しばらくぼんやりと座っていた。週末は髪を切って、それから実家に帰って、大学院に進学する相談をしてみよう。


 別れ際の会話の、約束という言葉が妙に残った。ほかにも誰かと遊ぶ約束をした気がする。いや、お願いしたんだっけ? 待ち合わせをして、遊びに行きたい。そういうやり取りをした。返信したのかな? スマホのアプリに『遊びに行きたい』と入れて検索する。それらしいメッセージが出てこない。メールの方も検索するが結果は同じだ。画面をじっと見て考える。直接言った気がする。


 サキコに言ったんだ。今月の二四日だ。返事はまだもらってない。こんな大事なことを忘れかけてるなんて。急いでアプリの中のサキコを探す。チャット画面を開くと、別れた日に交わした三年前の内容が表示されている。しかし、見覚えのないやり取りが二つ、その下に追加されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る