§Ⅵ

ⅵ 1

 過去の俺に、違和感なく伝える。俺は日記の形式でメモを残すことにした。完全ではないが、覚えていることを時系列で箇条書きしてまとめ、順番に日付をつけていく。最後の日はサキコにフラれた。俺が悪い。運が良ければ三年後のクリスマスイブに駅で会ってくれるかも。と書いて終わった。


 机の上に日記風メモを残し、帰りの装備を確認する。パンツは穿いてない。スマホは持っていけない。財布も同じだから、電車代の小銭と虎とら亭のおしぼりをポケットにねじ込む。このおしぼりのおかげでタイムトラベルを事実ととらえることができた。スニーカーは、なしで現地に行くことはできないから、その場で脱いでサクに預けるしかない。両親に気づかれないようにそっと玄関から出ていく。学校の裏門に着くと、既にサクが待っていた。

「よう。ミサワとはどうだった?」

「いや、全然。平手打ちされた」


 サクがかける言葉に迷うように、口を半開きにして俺を見る。サクだったらサキコの支えになれそうだなと、ふと頭をよぎるが、言わずにおく。サキコがサクのことを好きになりそうだ。

「たぶん別れると思ってた。変えられなかっただろ……?」


「お前……気づいたから、俺の好きなようにさせてたのか。サキコのためには、別れるしかない状況になった」

「そっか……、トキヤがミサワと別れてないと、三年後のあの夜が起きなくなるから、たぶん変えられないと思った……けど、言っても納得はできなかっただろ?」

 サクは眉を寄せて俺を見る。サクはそこまで見通していたわけだ。


「まぁな……、できることはやったから、思い残すことはないよ」

 少し笑ってうなずいたサクは、真顔に戻る。

「中に入ろう。先に準備しておこう」


 サクが鉄格子の裏門扉うらもんぴを乗り越えて中に入る。もう一度この扉を乗り越えることになるとは。俺も後ろに続く。校舎の外階段下まで行くと、俺を手招きして、階段を上っていく。四階まで上がると、ドアノブをまわして校舎に侵入する。

「ここって、やっぱ鍵かけてないんだな」

「壊しておいた。ロックすると、ドアノブのシリンダーとロック用のストッパーが連動するように加工した」

 涼しい顔で説明する。そんなことも出来るとは、恐ろしい男だ。


「あっ、じゃあサクのせいなんだな。俺が屋上に侵入できたのは。ったく……」

 サクとは俺がタイムトラベルをした時から、強制的につながりができているのか。しかし、屋上に来たということは、やはり。

「ねえ、やっぱさあ、ここから飛ぶわけ?」


 扉を開けて屋上に出る。風が強い。空は薄曇うすぐもりだ。丸い月が雲に隠れているのが分かる。

「ホールがどの高さにできるのか、絞り込めなかった。ここからなら、どの高さにできても確実に飛び込めるからな」

「本当サクってさ……、実はドSだろ……」

「最も合理的な方法を取ってるだけだよ」


 プールの真上まで移動して、サクがリュックから懐中電灯を取り出し、プールを照らす。プールには水が入っていた。水面に光が映り、風で揺れる水面に合わせて、ゆらゆらと光が揺れる。サクが時計を見る。雲が切れて月明りが射す。一緒に覗くと、あと一五分くらいでメモの時間になる。今夜は満月で、明るすぎるくらいだ。屋上にいることがバレないか不安になる。


「寒いし明るいから、扉の所で待機するか」

 扉の前には二段ほどの階段があり、そこに腰を下ろす。

「あ、そうだ。スニーカー預けていい? 飛ぶときはこれ、脱いだ方がいいんだろ」

「あぁ、そうだな。三年前のトキヤが入れ替わりで、この場所に出現すると思うから、本人に渡すよ」

「出現って、やっぱり物理的に入れ替わるってこと?」


 虎とら亭のおしぼりが俺と一緒に二〇一七年に来たことや、サクのメモが出現したことが、ずっと疑問だった。サクは以前、未来の俺がりついているような状態だといったが、やはり物理的に入れ替わっているのではないかと思っていたからだ。


「うーん、推測だけど。時間と空間がセットで、交換されているんじゃないかと。だから、その時代に存在しない製品は一緒に来れなかった。スマホとか財布とか」

「でもさ、おしぼりは付いてきたよ。虎とら亭はまだ出来てない。あと未来のサクのメモ。あれも」

 サクにタイムトラベルがバレた後、俺は気になって虎とら亭を調べた。虎とら亭の場所は会計事務所となっていて、まだ存在していなかったのだ。


「タオルは一般的なものだし。あと体液……がついていたんじゃないかと思う。で、ワームホールに入った本体と一緒にまとめられてたから、本体の一部として空間認識されて、ついて来ることができたんじゃないかって考えてる」

「あ……おしぼりで汗拭いたな。え? じゃああのメモは?」

「いや、紙がさ、すげーしわになってて字が滲んでただろ、一回口に入れたんじゃないかと……」

「えっ、まじで?」


「それしか辻褄つじつまがあわないんだよなぁ……。シャツにくるんで縛ってただけじゃなく、口に入れた跡があったってことは……」

「えっ? じゃあパンツは穿いてても良かったのか……?」

穿いてないの?」


 サクが驚いた顔で俺を見る。いやいや、サクが言ったんだろ。俺の顔を見て、サクが笑う。あの状況で冗談と思えないだろ……。

「やっぱ、お前はドSなんだよ……。スニーカーは? これ結構汗染み込んでると思うんだけど」


 こっちに来た時、俺は布団の中だった。屋上から落ちた時はスニーカーをいていたが、布団の中ではいてなかった。

「その製品のデザインが今、存在していないからだと思う。状態も、過去に戻る感じだから、複雑なデザインの製品は、交換対象が特定できなかったんじゃないか?」

 サクはスニーカーを眺めて少し眉を寄せる。確かに、財布は入学するときに貰ったものだし、スマホは、俺が大学生になってから発売された機種だ。スニーカーも二〇二〇年夏の新作だ。


「なぁ……、三年前の俺と入れ替わったらさ、今の俺が体験した記憶は引き継がれないんじゃないのか? 前は、大丈夫みたいなこと言ってたけど、何か違うんじゃ……」

 やっぱり入れ替わっても、記憶が引き継がれる感じがしない。別々に存在している俺が空間として入れ替わっているのであれば、記憶は俺が未来に持ち帰るだけではないか?

「まぁ、そうかもしれないな……。ただ、記憶までは正直予想付かない。もし、トキヤの言う通りだったら、過去トキヤはこの三カ月、どんな記憶になるんだって話だし」


「サク、やっぱあの時、適当言って誤魔化しただろ? りついてる、なんて……」

 肘でサクの腕を小突こづく。サクは横目で俺をちらりと見る。

「ごめん。トキヤが変に頑張って、過去トキヤに未来を変えるように、色々託してきたらマズイと思って……」

「そんなんだと思った。真面目だもんな」

「はは。過去トキヤは俺がフォローするから心配するな」


 今度はサクが俺の腕を小突こづき返してくる。

「よろしく。……三年後、一杯おごる。って、サクはまだ酒が好きか、飲めるかもわかんないけど」

「急に大人か。じゃあ、そのおしぼりの店連れて行ってくれよ」

「うん。あー、ちょっと帰る楽しみができた。もう今は早く三年後に帰りたいな。先が分かってるのって、意外と自由に思えなかったし。未来の分からない今日を生きてる方がずっと楽しい」

「おれなんて、お前に大学も専攻もバラされてんだけどな」

 サクの恨めしそうな言葉を笑って誤魔化ごまかす。サクが腕時計に目をる。長針は八分を指している。もうあと五分でメモの時間になる。


「プールの方に移動しよう」

 サクが立ち上がる。俺もそれに続いた。心音がばくばく音を立てているのが分かる。今度は自分の意志で、屋上から飛ばなくてはならないのだ。目に見えるのか? ホールが小さかったら? タイミングが合わなかったら? もしも、が浮かんでは消える。月が雲に隠れて辺りが暗くなった。フェンスから頭を出して下をのぞくと、黒い塊のような水面が見える。しばらく二人とも言葉を発さずに黒い水面が揺らぐのを見ていた。


「ブラックホールってさ、やっぱ黒いのかな……」

「……そうだな。光が脱出できないってくらいだからな」

 風が吹くたびにフェンスから、ひゅうひゅう音がする。これからどんな変化が起きるのか、わからないので、二人ともプールから目が離せないでいる。

「あと何分?」

「……一分切った。スニーカー、脱いで」

 心音が過去最高に大きな音を立てている。サクにもこの音が聞こえるんじゃないかと思うくらいだ。寒さのせいか緊張なのか、スニーカーが上手く脱げないので、手で片足づつスニーカーを引っ張る。脱ぎ終わると、フェンスに両手を掛けた。その手にサクが腕時計を付けた手を重ねる。


「まだ、待て。時間になってから動こう。あと二十秒」

 時計の秒針を目で追いかける。秒針が十二の位置にピッタリと重なった。ひゅうひゅうという風の音が止む。プールの水面がきらきらと波立って見えた。空を見上げると月はまだ隠れたままだ。もう一度プールを見ると、長方形の水面の中央あたりに黒い小さな円が見えたような気がした。


 サクに話そうと口を開いた瞬間、プールの波立ちが消えた。いや、黒い円がプールを覆っているようにも見える。円の境界には、オレンジのほのかな光が円周状に光って、揺らめいている。その内側はただ黒い。オレンジの光の揺らめきは、ただ月明りが水面に反射しているようにも見える。事前にホールの存在を聞かされてなければ、気づけないだろう。


「すげー、何もない……のか? いや、あるのか? ……トキヤ、飛べ。はやく」

 サクが俺の背中を揺する。黒い覆いはそれ以上は広がらないらしく、大きさを保っているが、オレンジの光の縁取りが、徐々に小さくなっている気がする。俺は急いでフェンスを乗り越える。後ろ手にフェンスを持って、深呼吸を繰り返す。そうしているうちにも円は、じわじわと小さくなっていく。あの夜、ここから一度落ちたんだ。これで死んでも恨みっこなしだ。

「じゃあな」


 もっと気の利いたことが言いたかったけど、口の中はからからで、かすれた別れの挨拶が出ただけだった。俺はフェンスを押して、目を瞑ると足指でコンクリを蹴った。落ちているのか吸い込まれているのか、感覚が良く解らない。三年後に帰る。そのことだけを強く考えていた。だが、すぐに意識が落ちた。

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