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 運命の日の幕開けは、昼休み前の模擬試験結果表配布から始まった。第一志望の判定は、A。俺の努力はこうして結果を変えた。三年前、ここにはDと印刷されていたのだから。あとは、サキコと別れることを阻止するだけだ。サキコに呼び出される前に、話をしなくては。今日こそは、昼飯に誘いに行こう。教室を急いで飛び出す。


「おい、クシモト。ちょっといいか?」

 背後から声がする。進路指導のオダギリだ。四〇代半ばらしいが、見た目は三〇代前半に見える化学教師で、ノリが軽く、生徒から人気のあった先生だ。


「あ、はい……?」

「願書一括取り寄せ、お前だけ提出されてないぞ。ちょっと、職員室来てくれ」


 そんなのあった? 完全に忘れてたな。しかもこれからか……。大学名を何個か書いて渡すだけだから、たいして時間は取られないだろう。

「はい。わかりました」


 たいした邪魔じゃまではない、と考えるのだが、この数日の状況と、母の事故を止められなかったことを思い出して、少し胸の奥がもやもやする。スマホを取り出し、『昼飯、一緒に食わないか?』とメッセージを送る。すぐに、『OK』が返ってきて、驚いた。


 お見舞いの日から昨日まで何回か誘っていたのだが、色々と理由をつけて断られていた。ついにネタが尽きたのかもしれない。あるいは、俺に話してくれる気になったのかも。『オダギリに呼ばれてるから、終わったらそっちに行く』と返す。『先にパン買ってくる』のレスが入る。あとは、オダギリを片付ければ良い。俺は小さく息をくと、オダギリを追いかけた。


 すでに一五分は経っている。俺は自分の願書取り寄せ希望の大学名は提出した。しかし、各大学の必要願書数を、エクセル表にまとめる手伝いをさせられている。俺が読み上げて、オダギリが入力する。あとまだ半分残っている。提出したら解放されると思っていたのに……。先生の言う「ちょっと」は、二度と信用しない。


 スマホがポケットの中で何度かうなる。『まだ?』が三連で並んでいた。『ごめん』と送信する。俺は無心で大学名を読み上げる。さらにその一〇分後に、チョコレートと感謝の言葉を渡され、解放された。急いで教室へ向かうと、六組の入口にサキコが立っている。

「ごめん、俺から誘ったのに……」


 久しぶりにサキコの顔を見て話した気がする。いや、気がするではなく実際一週間くらい顔を合わせられてなかった。

「どうせ雑用押し付けられたんでしょ? はい、トキヤの分もパン買っといたから」

 久々に生でサキコを見たことと、サキコの気遣きづかいに思わず抱きしめたくなる。ふらふらと両手を伸ばしてサキコに近寄る。しかし、抱きしめるより先に、両手をつかまれ、パンの袋を掛けられる。


「遅いから、先に食べちゃった。もうあんまり時間ないし、トキヤ教室に戻って食べて」

「え? いや、そ……」

 それじゃ一〇分だけ一緒に、と言うより先に、サキコがあのセリフを口に出した。


「ね、七限終わったら……、久しぶりに屋上行かない?」


 行きたくない。俺に別れ話をするんだろ? いや、大丈夫だ。今の俺はサキコの秘密を知っている。ただフラれるだけで、終わらせない。


「い……うん」

 しばらく目を離せずに、じっとサキコの顔を観察していると、まぶたのふちがっすらと赤くなっている。白目も赤い。寝不足なのだろうか。家のことで色々と、しんどいのかもしれない。


「昨日、寝れなかった? 目が……」

「えっ? もしかして赤い? れてるとか? やだな、格好悪かっこわるい」

格好悪かっこわるくないよ。心配なだけ。原因、教えて欲しいけど……」


 俺の言葉にサキコの瞳がおびえるように揺れた。休み明けから、色々と理由をつけて直接会ってくれなかったのは、俺がサキコの家を訪ねたことが、バレたのではないかと疑っていた。今の反応を見ると、やはりバレていたのだと思う。せっかくゼリーを渡したのに、口止めを忘れていた。ただ、結果として三年前と状態は変わった、ということだ。俺が嘘に気づいている、という事実をサキコも知っている。


「最近、あんまり話できてなかったから、七限のあとで、色々話そ?」

 サキコの頭にそっと手を置いて、親指で生え際をでる。目を伏せたままうなずくサキコを確認すると、名残り惜しいが教室に戻った。



 午後の授業は、ほとんど身が入らなかった。早く今日から解放されたいという思いと、もう一度サキコから別れたいと言われるのを、聞きたくないという気持ち。早く放課後になって欲しいような、授業が永遠に終わらないで欲しいような。これまで感じた、どんな時間よりも長く感じた。七限が終わると荷物を持って席を立つ。


「トキヤ、日曜日、遅れるなよ」

 後ろからサクが声を掛けてきた。

「わかってる」


 サクの目を見て答えると、六組をのぞきに行く。俺のクラスよりも早く授業が終わっていたらしく、すでに人はまばらでサキコの姿もない。階段を一段飛ばしで上って、屋上に入る扉を開く。冷たい風が吹き込んでくる。フェンスの近くに立つサキコの後ろ姿が見えた。こちらには気づいていないようで、フェンスの隙間から下を眺めている。


 普段なら、足音を立てて近づきながら、サキコの名前を呼ぶ。俺は後ろ手に扉を静かに閉めると、足音を立てないようにそっと近づいて、背後からサキコを囲うようにフェンスに手を掛けた。

「何見てるの?」

 サキコは俺の腕の間でくるりと後ろを振り返り、少し驚いたように眉を上げる。

「うん。野球部が、試合やってるみたいで……」


 サキコが喋り終わらないうちに背中に腕をまわして、引き寄せる。身体に触れていた方が、別れ話を切り出しにくいのではないか、という俺なりの分析だ。


「ま、待って。話があるの」

 サキコが慌てて俺の胸に両手を置いて、距離を取る。いきなり別れ話に移るつもりか? 先に、俺の知っていることを伝えなくては。この流れを止めるんだ。

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