ⅳ 4

 最後の模擬試験の結果は、来週返ってくると聞いた日、サキコが学校を休んだ。『風邪だから心配しないで』と返信が来る。

「……心配くらいさせて欲しいんだけど」


 スマホの画面を見つめて、はぁっと息をく。俺の記憶では、サキコは明日も休むはずだ。あの時は信じていたが、恐らく嘘に違いない。あと一週間だ。本当のことを話してくれるきっかけみたいなものを作れれば……。


 サキコが風邪で休んだ、ということを利用するのは、どうだろう。見舞いに行ってみようか? 頼りになる彼氏な感じがする。ゼリーを差し入れに行くか。いや、俺は本当の家を知らないことになっているから、逆に気持ち悪いって思われるかな。だが、もう後がない。ここで何か行動を起こさなくては。一方的ではあるが、見舞いに行くことに決めた。


 思いついた時は、素晴らしい考えだと思った。コンビニの袋を下げて、家の周りをもう三〇分くらいウロついている。不審者と思われているかもしれない。いざとなれば店の方に入って、世間話でもして帰るという中途半端なプランも考えていた。しかし、ミサワ米穀店はシャッターが下りていて、店主都合により休みとなっている。過去を変えるためには、本丸ほんまるに訪問するしか手段がないということだ。とりあえずサキコに電話して、様子を確かめる。一応明日もチャンスはある筈だ。


「あ、サキコ。具合どう? この前も休んだから、ちょっと心配で」

『え……。うん、もう結構良くなった』

 声にあまり元気がない。本当に風邪だったら申し訳ないな。

「今、少し話せる?」

『うん、いいよ』


 俺は、家屋かおくの二階窓が見える所までぐるりと生垣伝いけがきづたいに歩く。

「ちょっと、窓の外見て。空の色が、すごく……」


 カーテンの引かれた窓を見つめる。どれかが開いて、サキコが顔をのぞかせるはずだ。窓辺に出てきたら、ネタばらしをして、偶然この家の存在を知ったと伝えよう。だが、予想に反してカーテンは動かない。


『あ……凄い、珍しい色。綺麗だね。紫色だね』

 サキコは今、空を見ている。俺は、一階の窓も確認するために更に移動する。しかし一階もすべてカーテンが閉まっている。サキコはどこにいる?


「そう、そうなんだよ……。今、家にいるよね?」

『いるよ。今日はずっと……』


 家のカーテンはすべて閉まっていて、微動びどうだにしない。そもそも人の気配がない。だがサキコは、この紫色のグラデーションがかった空を、どこかで見ているようだ。ここに入っていくのを見たが、やはり住んでいないのだろうか。


「そっか……。本当は、お見舞いに行きたいんだけど」

 今、目の前にある家を訪問してもサキコは出てこない。そう思うと妙な解放感がある。俺は玄関の門扉もんぴもたれて、空を見上げる。

『だめだよ。電話、くれるだけでも充分嬉しいし。うつしちゃうと良くないからね』


 いや、もしかしてあの病院に行っているのか? こうしてここでしばらく待っていると、帰ってくるかもしれない。


「俺は別に良いんだけどね。サキコがくれるものなら何でも」

 三年前の今日、俺は休んだサキコに何かしていただろうか。チャットでメッセージを送っただけだったのではないか。思うように成績が上がらず、余裕がなかった。

 けどそれは、自分以外に原因を探して、受験勉強に集中できてなかっただけだ。サキコに対しても、対等に向き合ってなかったから、簡単な嘘すら見抜けなかった。ダメな俺を優しく受け入れてくれる、優秀な彼女に甘えていた。


『悪いものはあげたくないよ』

「じゃあ、元気な時に行ってもいい?」

 一瞬の沈黙。健康であれば、断る理由はないだろう。嘘を知っているから、意地悪いじわるい質問をしていることは、充分承知だ。電話だと、サキコの逡巡しゅんじゅんが分かる。本当のことを話してくれるだろうか?


『……受験、終わったらね』

「うん……。わかった。じゃあ、また明日」

『あ……、明日も、休む……かも。今、大事な時期だし、しっかり治せって言われたから』


 俺は「そっか、無理しない方がいいな、おやすみ」と言って電話を切る。まるで背中が門扉もんぴにくっついているようで、電話を切った後もそのまま動けずにいた。せめて夏休み前からリプレイできていれば……、いやそれより三年前の俺をしかることができれいてば……。そんなことは考えても仕方がない。


「……あの、サキコちゃんの学校の子? 今日は、帰ってこないと思うけど……」

 通りを挟んだ隣の家の庭から、声を掛けられた。俺の母と同じくらいの年に見える柔和にゅうわな雰囲気のおばちゃんだ。あれだけウロついていたから、さすがに不審に思われていたのか。だが、やはりここがサキコの家で間違いなさそうだ。俺は軽く頭を下げて、おばちゃんの方へ近寄る。


「はい、隣のクラスです。帰ってこないって……や、その病院……?」

 おばちゃん達は近所の家庭事情に通じてはいるが、全くの他人に情報を教えてくれることは少ない。ある程度事情を知っている者にのみ、うっかり口を滑らせてくれる。バイト先には母に近い年齢の人も多く、話の引き出し方を色々教えてもらった。


「ええ、検査って言ってたけど、事前準備があるらしくて、入院扱いって言ってたもの。検査は明日じゃないかしら?」

 検査ということは、まだ何かの治療中ということか? この時期に、受験に影響はないのだろうか。深刻な状況かどうかもわからない。学校には普通に通っているし、回復中ということでカマを掛けてみるか。


「もうかなり良くなった……とか言ってたんですけどね……」

「そうね。一時期治ったみたいなこと言ってたんだけど、こないだ再発して。もう手術するしかないみたいよ。まぁ、ああいう病気は、手術した後もリハビリとか大変でしょ? サキコちゃん受験生だし……大変よ、これから」


 再発? リハビリ? 全然わからないんだが。俺の知らないうちにサキコは何かの病気を治して、再発してたの? これから手術? もうこれは、きちんと顔を合わせてサキコに聞いた方がいい。


「そうなんですね……。あの、良かったらこれ。お見舞いに持ってきたんですけど。本人いないので」

 コンビニのビニール袋に入った六種類のゼリーを差し出す。果実がまるごと入っていて、サキコが好きだと言っていた。どの果物名を出されても対応できるように、全種類買ってきていた。


「あら、まあぁ……! いいの? けどミサワさん、甘いものは、そこまで好きじゃないみたいだから。今度はしょっぱいものにすると良いわよ。彼氏なんでしょ?」


「はい、付き合ってます。……甘いものが、好きじゃない?」

 サキコは、甘いものは好きだし、このゼリーは好きだ。


「彼女のお父さんにお見舞いなんて、しっかりしてるじゃない。サキコちゃん見る目あるわぁ」


 そういうことか。サキコじゃない。サキコ父が入院しているんだ。家族が一緒に病院に付き添っているという状況か。しかし、全員付き添いで泊まるということは、病状は深刻なのだろう。サキコ本人が病気でないことに少しほっとしたが、サキコが大変な状況であることに変わりはない。俺の見舞い品は全くの無駄になったと思ったが、しっかりと役に立ってくれた。


「いえ、彼女の方がしっかりしてますよ。ありがとうございます」

 風邪と言って休んでいたが、あの病院で見かけた日は、サキコ父の付き添いということか。しかし、付き添いはサキコ母だけでも良さそうだが……。


 おばちゃんはビニール袋の中身を確認して、六つもある、と喜んでいる。サキコは父の治療に対して、付き添いなどをしているが、なぜが俺には自分の体調が悪く休んだと言っている。あとはもう、本人に直接聞いてみるしかない。今の俺にできることをするだけだ。


 しかし、俺が未来に帰った後、過去の俺は努力してくれるのかな。

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