§Ⅳ

ⅳ 1

 母が足首を痛めてしまった。この事故は俺も覚えていて、プラごみを出勤前の父に渡そうとしたときに起きた。サンダルきの母が、庭の敷石しきいしの上を走ったとき、段差で足を踏み外して、ひっくり返った。事故というか、自損事故だ。


 俺は玄関に居て、その光景を見ていた。プラごみの詰まった袋を持って、俺の横をすり抜ける母を見たとき、これはあの事故だ、と思い出し「走るな」と声を掛けた。母はその言葉に、走るのを止めた。しかしその後、サンダルのかかとが石の隙間にはまり、やっぱりひっくり返った。結果はあの時と同じだった。



 二週間程度、足首を固定され、不便をいられることとなった。俺は、事故を防ぐことができなかった。思い出すタイミングが遅かったから? それとも、知っていても変えられないこと、があるのか? もし、後者が存在していたら。どこまで変えられるのか、その影響はどうなるのか、分からない……。


 俺は、事故を防げなかった罪悪感から、飲み薬と貼り薬を受取るお使いを申し出た。母は感激していた。普段は、元気がありすぎて困るくらいで、俺を意味もなく罵倒ばとうしたり、せわしなく動き回ったりしている。その母が足を引きずって、申し訳なさそうにしている姿は、回復することが分かっていても、胸が詰まるものがある。


「トキヤ、悪いわね。ここ、場所分かる? お父さんが、ここの整形は腕がいいからって、連れて行ってくれたんだけど。ちょっと遠いから、助かるわ」

 母が、飲み薬の袋を見せながら聞く。ミヤシタ病院という名前と住所などが袋の下に書いてある。スマホで地図を見て、驚いた。サキコが下車する駅が最寄りだ。


「大丈夫。帰りに寄って、もらってくる」

 これは、チャンスだ。サキコと同じ方向の電車に乗る口実ができた。


 俺は、そもそもツキというやつが、ない人間かもしれない。こんな日に限ってサキコは休み。チャットでメッセージを送ったら、昼過ぎに『熱がでたから。でももう回復。このまま寝て治す』と返事が来た。このまま寝ると言われたら、見舞いに行くとも返しにくい。一応、『見舞いに行ってもいい?』と送ると、『うつすと悪いから、ありがと』と返される。俺は、せっかくのチャンスを生かすこともできない。失意の中で放課後を迎え、病院へ向かう。


 ミヤシタ病院は、思っていたよりも大きな病院ですぐに見つかった。入口の看板には、外科、整形外科、脳神経外科、神経内科、リハビリテーション科と書いてある。入院設備もあるようだ。受付で母の名前と目的を告げると、「連絡もらってます、座ってお待ちください」と言われる。座って周りを見ると、年配の人ばかりだ。四列ある椅子はほぼ埋まっていて、名前を呼ばれると、また違う部屋に入って待たされるシステムらしい。


 これは、しばらく待たされることになりそうだ。まわりをぐるりと見回すと、受付待合は、かなり広い。奥の方に自動販売機が見える。しばらく待たされることを考えると、喉が渇いてきた。俺は立ち上がって、自動販売機に向かう。炭酸キツイやつがあるといいのだが。病院の待合だと、お茶ばかりなのだろうか。自動販売機のラインナップは、ややお茶や水が多いが、炭酸系ジュースも普通にあった。


「ミサワさん、ちょっと待って。まだ先生が話あるって」

「あ、はい」


 ミサワという単語に、聞き覚えのある声。反射的に声の方を振り返る。後ろ姿だが、サキコだと分かった。看護師に呼ばれ、自動販売機とは逆側に伸びる廊下の、中央で立ち止まっている。そして、再び奥に消えていく。


 心臓が飛び出すんじゃないかというくらいに、ばくばく音がしている。取り出しかけていた財布を、そのままリュックの中に落としてしまった。サキコは風邪で、家で寝ていると返した。


 また……嘘。ここでサキコが戻るのを待って、問い詰めるか? 何故サキコは、俺に嘘をつくのか。


「お薬お待ちの、クシモトさーん」

 唐突に名前を呼ばれて、びくりとする。

「……はい」


 自分でも驚くくらいに、安堵あんどしているのがわかる。この場から、すぐに立ち去ることができるのだ。俺は、薬を受け取りに来たのだから。サキコが消えた廊下に掲げられている、診療科のプレートを見ながら、受付窓口に向かう。俺は、すぐにこの場を去りたいと思っている。決定的なこの場所で、サキコと対面して問い詰める勇気が、ない。


 薬の処方箋を受け取ると、受付のお姉さんが、建物の横に併設している薬局の場所を、教えてくれる。処方箋だけだったので、受付では、殆ど待つ必要がなかったらしい。処方箋を受け取ると、すぐに受付の外に出た。


 サキコが消えた廊下には、外科と脳神経外科の案内プレートが出ていた。外科に用事があったのならば、怪我でもしたのか? 脳神経外科という言葉とサキコは、結びつかない。そもそも何を見る科なのだろうか……。どちらにせよ、風邪とは関係なさそうだ。


 俺は2つ、嘘をかれた。俺は、サキコにとって何なんだろうか。適当な嘘でごまかしてもいい存在だと、思われているのだろうか。俺は、フラれるまで、二人の仲は順調だったのに、なぜ? と思っていた。


 順調と思っていたのは、俺だけだったのか? そして、この嘘について、聞いていいのか……。知らないフリをする方が良いのか……。 リプレイすることで、気づいた二つ目の嘘は、俺の胸をさらにずしりと重くした。

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