ⅱ 3

 ホームルームが終わると、ほどなく一限目が始まる。教科書の例題を板書で解きながら、授業が進む。夢にしてはリアルすぎる。俺はこの積分の問題を、覚えてない。もうほぼ解けない。けど先生は板書を進めるし、俺にとって、意味の分からない質問の声が上がる。世界に破綻はたんがない。俺が良く判っていないことまでも、完全に存在できている。


 俺が寝ているときに見ていた夢は、もっと世界が曖昧あいまいで、意味の分からない非現実が、沢山出てきた。それこそ空を飛んだり、液体に追いかけられたり、家に居たと思ったら学校に居たり……。このリアリティの高い夢は、四限目までまったく破綻はたんすることなく、続いた。


 昼になれば、腹も減る。まるで現実と同じで、夢の良さも理不尽さも、いまいち感じられない。あの雑誌の表紙を見た時から、感じていた。もう一つの可能性。学食へは行かず、購買でパンとコーヒーを買ってきて、サクから借りた雑誌を広げる。


 ワームホールとタイムトラベルの、特集ページを読む。ワームホール空間では、亜光速ではなく超光速? 入口と出口を1秒で移動? 相対性理論を考える? 意味がわからない。後ろをそっと振り向くと、サクが弁当を食べている。


「なあ……このページってもう読んでる?」

「え? どれ? ……あぁ、まだちゃんとは読んでない。斜め読みしただけ」

 俺の見せたページを、箸でぺらっとめくる。箸って、そういう使い方できるのか。


「この特集、結構面白そうだから、家でちゃんと読もうと思ってさ」

「これってさ、結局タイムトラベルは、あり得るのかな? その、例えば……だよ、三年くらい前に戻ったり……」

 俺の分かってる風の質問にサクの瞳が輝く。


「うーん、どうだろう……現代の物理では、光速を超えるものはないっていうのが、大前提だし。光速に近づくと、時間はだんだん遅くなるけど、光速が上限だから、マイナスにはならないもんな……」

「けど、ワームホールでは超光速? なんだろ?」

 面白いを超える場合、超面白いというので、たぶん光速を超えている、という意味に違いない。話わかってる感じのスレスレトーク。これが大学とバイトで鍛えた、俺の能力だ。


「そう! そうなんだよね。そうすると、特殊相対性理論の、時間と速度の関係式に、虚数きょすうを使うことができて、過去へのタイムトラベルが、理論上、可能ってことになる」

 俺は、昔見た古い名作映画を思い出した。原子力エンジンで車を超加速して、過去と未来を行き来する、あれだ。


「仮に、だよ。校舎の屋上からダイブしても、超光速に達することができれば、タイムトラベルできるかな?」

 サクは、ふっと笑う。紙とペンを出すと、数式を書き始めた。


「校舎の屋上は、地上から二〇メートル程度だろ? 空気抵抗係数が0.2ぐらいで、体重七〇キロとしても、激突するスピードは……時速七〇キロくらいじゃないかな? それに、もし三〇〇〇メートル上空から落ちたとしても、空気抵抗があるから、時速二〇〇キロ程度が上限と思うよ」

 俺、時速七〇キロで地面に激突しちゃったのか? 身体ばらばら? いや、下はプールだった。水も入ってた。


「じゃあさ、水。水に飛び込んだらどう?」

「水のほうが、粘性が高いよ。それに、コンクリに激突するのと大差ないよ。抵抗が限りなくゼロに近い液体の中に、つま先から飛び込むほうがまだ……。いや、ワームホール空間では式が成立するから、ワームホールに飛び込む方が、まだ現実的だよ」


 良く解らないが、タイムトラベルは、ありえないってことか? 俺は今、どういう状況なんだ。激突して死んでる? いや、あのプールが実は、ワームホールでしたとか。

「そっか……、そもそも、ワームホールって、地球上に存在するのかな……」

「どうだろ、ブラックホールがまだ、ちゃんと確認できてないしなぁ。けど隣にできたJリングでそういうのやるらしいよ。陽子と陽子をぶつけれるって話だし」


 隣にできたJリング……。そうか、あの研究施設のことか。たしかサクが受かった大学が筆頭で、研究進めてるんじゃないか? どこか海外の大学と協働で。サクは箸でぺらぺらとページをめくる。超ひも理論のページで箸が止まる。


「うーん……。そういえば、低い次元にいる場合、高次元は、存在していても気づかないって話があるんだよ。わかりやすく言うと、二次元、つまりxとyっていう認識しかない平面世界だと、立体世界、三次元のz軸方向に何かあっても気づけない」

 サクは本の上の空間を、箸で指し示す。なるほど、わかるような気がする……。さらにサクは続ける。


「ワームホールについては、三次元の物理常識では、矛盾する部分が出てくる。けど、もしかすると、高次元だったら成り立つのかもしれない。そしてその場合、三次元以上ってことになるから、目の前にあったとしても、おれたちは、気づくことができない」


「つまり……ありよりの、なし?」

「いや、ありよりの、ありじゃない? ないと証明できないものは、あるとするんだよ」


 あり? タイムトラベルは、ありなのか? このリアリティからすると、過去の世界と考えるほうが、納得できる気がした。夢とも考えられるが、夢の出来事は、基本俺が分かる範囲でしか、展開できない。サクの、意味不明だけど筋の通った話は、積分を忘れている俺の脳では、説明できない。サクの字で書かれた数式を、じっと見つめる。

「あり……か」


 映画では、過去が変わると、未来も変わるんだったな……。未来が変わる。ということは、サキコに別れたい理由を聞くことができる? それどころか、フラれない未来も、作れるのではないか。第一志望に落ちたこともそうだ。直前にフラれたことが、精神的にこたえた。ラストスパートに身が入らず、センター前に風邪かぜをひいた。サキコにフラれないことで、俺の未来は変わるのではないか。何故なぜ俺は、フラれなくてはならなかったのか? その謎を解き、回避する。


「トキヤ、こういう話好きだなんて、意外だったよ。ありがと、面白かった」

 さすが、日本一の大学生は違うな。この状況を分析できた。いや、まだ高校生か。末恐ろしい男だ。困ったら、サクに相談したいな。俺は連絡先の交換を持ち掛けた。サクは二つ返事で教えてくれた。後ろの席だったのに、世間話程度しかしてなかったが、もっと話しておけば良かった。俺は未来では、サクをこのチャットアプリに入れていない。チャット画面にサクが追加された。


 そうだ、こうして変えていくことができるんだ。

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