ⅱ 2

 アスファルトを歩きながら考えた。サキコにフラれたのは、三年の一二月になった頃だった。そう、今俺は彼女がいる。サキコにもう一度会える。自然と笑いが漏れる。にやけるな、俺。


 あと三か月ちょっとで、フラれるんだぞ。そう、俺は理由も分からず、かといって理由を聞いて、食い下がることもできなかった。フラれても、格好悪いところを見せたくないと思ったからだ。大学に行けば、新しい彼女ができるって、あんな言葉を真に受けて。もっとみっともなく引き止めれば良かった。


 俺の人生の、最大の転換点であり、最大の謎。なぜ俺は、突然別れを切り出されたのか? 別れ話の前に会った時は、本当に普通で、いつもと変わらなかった。たった数日で、あんなに気持ちが切り替わるのか? 理由が知りたい。けど俺が見てる夢なら、結局理由の部分は、ぼやけたままか。


「おはよ、今日は遅いね」

 リュックに軽い衝撃。覚えている、このシャンプーの香り。甘い檸檬れもんみたいな。声のほうを向くと、サキコがいた。笑っていた。当たり前だが、女子高生って若い。

「お、おう……」


 細くて長い睫毛まつげつややかな唇、つるりとした桜色のほお。足を止めた俺に合わせて、彼女も立ち止まる。じっと動かない俺を、不思議そうに見返す。左手で彼女の片方の髪を、耳にかけてみる。ぷっくりとした耳朶みみたぶが出てくる。


「ちょっと……やめてよ」

 サキコは髪を耳から外して、赤い顔で俺を見上げる。その仕草が、あの頃のサキコと同じで、目が離せない。

「じろじろ見ないでよ……」


 俺の胸を軽くどついて、歩き出す。夢にしては、リアリティ高すぎる。このまま目が覚めないほうが、楽しいかもな。横歩きしながら、サキコの隣に追いつく。

「えー? そう言われると、見たくなるー」

 サキコは振り向いて、あほ、と言って走り出す。俺も、その後ろ姿を追いかけた。


 三年五組の教室に入る。うろ覚えだが、席に向かう。クラス全員の顔を、はっきりと覚えていないが、この夢の世界には、ぼんやりとした部分がない。道ですれ違う人の姿も、はっきりと見えた。教室内も、全員の顔がはっきり判る。夢らしさがない夢だ。途中で、足に何かが当たって、バタンと物が落ちる音がした。足元に雑誌が落ちている。俺がよそ見しながら歩いていたので、引っ掛けてしまったらしい。


「あ、ごめん……」

 拾い上げると、それは科学系の雑誌で、見出しに「Jリング稼働かどう特集! 超ひも理論、ワームホールとタイムトラベル」という文字が大きく書いてある。タイムトラベル……、いや、そんなことが?


「ありがと」

 色の白い長い指が、雑誌を受け取ろうと待っている。顔を見ると思い出す。サクだ。俺の後ろの席は、サクだった。科学部とロボット部と、バスケ部を、助っ人で掛け持ちしてる変わり者。サクは、国民全員が知っているあの、日本一賢い者が集まる大学に、合格したんだっけ。あと、答辞読んでたな。


「な、なあ……これ、借りてもいい?」

「え……まあ、いいけど。おれもまだ途中だから、早めに返して」

 サクは無遠慮ぶえんりょに、俺の顔をじろじろ見てくる。こういう雑誌読むキャラじゃないのは、俺が一番知ってる。不思議に思うのも納得だ。

「悪いな、ありがと」


 席に着くと先生が入ってきて、朝のホームルームが始まる。点呼に連絡事項、行事の共有。黒板横の掲示板を見ると、一週間の時間割が貼ってある。今日は木曜だった。数Ⅲ、地理、物理、現文で昼休み。午後は数C、化学、その下に対策と追記されている。三年の九月だから、確かセンター試験対策の授業が、追加になっていたように思う。たとえ夢でも、フルセットで授業を受けるしかないのか……? 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る