§Ⅲ

ⅲ 1

 自分の記憶力と演技力について、真剣に悩むとは……。友達と盛り上がっていた漫画も漫才賞レースも、ほとんど結末を知っている。今、どこまでだったかが曖昧あいまいだ。たまに時代を進みすぎてしまう。結末を知ったうえで、同じテンションで盛り上がるというのは、難しい。俺は役者に向いていない。


 そして、そんなことよりも、もっと重大な事実に気が付いた。学力の低下だ。未来人であるが故に、受験勉強で身に付けた知識を、いったん手放した俺。このままでは確実に、第一志望に落ちる。


 とりあえず月末に模試がある。その模試での判定結果を目安にするべく、勉強をしている。さすがに一回経験済みなので、当時よりは効率的に、勉強の進め方を考えることができた。あと、サクの協力が大きい。このリプレイ高校生活では、サクに勉強を教えてもらっている。



 高校生活も一週間が過ぎた。センター対策の補講を終えて、サキコが通学で使う駅に向かって並んで歩いている。すでに四時半はまわっているが、地面からの照り返しが熱い。


「最近、ナカタ君とよく一緒にいるよね」

 隣を歩いているサキコが、不思議そうな瞳を俺に向ける。ナカタとはサクの苗字だ。当時はほぼ関わりがなかったので、サキコが不思議がるのも無理はない。

「あぁ、色々話す機会があって……まぁ、俺が一方的に勉強教えて欲しくて、絡みまくってるんだけど」


「夏休み終わってから、トキヤ頑張ってるね……。なんか、雰囲気変わったかも」

「え? そう……? どっか変わったかな……」

 サキコはじっと俺の顔を見つめる。受験に向けて真剣に勉強する俺に、惚れ直したとか? 真面目に勉強するだけで、三カ月後の別れがなくなるという、そんなこともありか?


「うーん、何かうまく言えないけど……先輩っぽいっていうか、夏休みに会ってたときより、ずっと落ち着いてる」

 俺を見るサキコの目は、少しうるんだような熱を帯びたものに感じる。これが恋人の観察力か。俺のことをよく見ているから、何かに気づいているかもしれない。


「まあ、俺も何も変わってないようで、毎日進歩してるっていうか。夏を越えて、大人に近づいてきてるんじゃないかなぁ」

「あ、やっぱ気のせいかも」

 いつもと同じか、みたいな目に変わる。いやいや、気のせいじゃなく、先輩なんだよ。中身は三年くらい。


 別れを切り出されたのは確か、十二月の頭に模試結果をもらった日だ。最後の模試が十一月にあって、その結果をもらった日、屋上で切り出された。別れて欲しいと。模試結果はD判定だし、フラれるし。この世の終わりだと思った。当時の俺のままでは、フラれることは確定。ということは、サキコに俺の変化を感じさせれば、回避できるかもしれない。俺に対する不満が、きっとあるはずだ。


「サキコは、俺が落ち着いてるほうが好き?」

「別に、落ち着きを求めてないよ……」

 前を見たままサキコが呟く。

「じゃあさ、何か、ここ直してほしいとか、前から気になってた事とかある?」

 修正可能な欠点であれば、対応可能だ。外科手術まではできかねるが……。サキコは俺の前に進み出て、俺の顔をじろじろ見る。


「ない。……すぐ調子乗るとこも、あほがつくくらい正直なとこも、押しに弱いとことか、そういうの全部含めてトキヤなわけだし」


 やばい、ちょっと泣きそう。俺、愛されてるじゃん。本当に、あと三カ月程度でフラれるっていうのか? さっぱり分からなくなってきた。サキコはくるっと背を向けると、駅に向かって歩き出す。俺は少し大きく踏み出して、横に並ぶとサキコの手を掴む。サキコは俺の手を、きゅっと握り返してくる。


「今日、家まで送る……」

 少なくとも、今サキコは俺に不満はない。ということは、これから先に何かが起きる、またはその他の原因があるということか?

「いいよ、方向逆だし……」


 サキコを家まで送ったことは、一回だけあった。といってもマンションのエントランスで、バイバイされた。サキコを取り巻く学校内の人間関係は、だいたい分かるつもりだ。改札の向こうからは、俺は知らないことが多い。改札に入って、俺たちは逆のホームに分かれる。この向こうに、俺が探している答えがあるのかもしれない。


「今日は、もう少し一緒にいたい気分っていうか……」

「どうしたの? 最近妙に優しいし、何か隠し事でもある?」

 サキコが俺の顔を覗き込む。そうだよな、当時の俺は、照れがあったというか、素直さが足りなかったというか、表現力が足りなかったんだよな。むしろ、俺の愛情が伝わってなくて不安になったとか?


「いや、別にそういうのじゃなくて、その……」

「冗談だよ。じゃあさ、ホームで少し座っていこ」

 サキコは改札を抜けると、俺の側のホームについて来る。自動販売機横のベンチに腰を落とすと、ふっと笑って足を投げ出す。形の良い足が陽光に照らされて、輝いて見える。そういえば俺、膝枕ひざまくらってしてもらったことないな。雑念がよぎるが、それをお願いするのは、今じゃない。


「サキコって第一志望は、私立の理工学部だったっけ?」

 フラれたから、大学生のサキコには会ったことないが、希望の学部に合格したとは、人伝てに聞いていた。もしかすると、俺が受験勉強の支障になるくらい、状況が良くなかった、とかも考えられる。


「うーん……そうだね。けど、同じ学科で県立も受けるつもり」

「そっか、県立だと、どっち? 理学部と工学部に分かれてないっけ?」

「工学部かな。どっちも建築」

 そうだ、高二の終わりに、建築系に行きたいとか言ってた。俺は工学部狙いで、学科は就職先が多そうな機械、情報、材料にした。さらに偏差値をバラけさせて、合格率を上げる戦法だった。サキコは、建築一本で狙っていたんだった。これはあり得る。受験で俺が邪魔になった説。


「そっか……。順調?」

「私立のほうは、有名だし倍率高いから、もう少し頑張れって言われてるけど、県立の方だったら可能性は高い方だと、思う……」

 サキコの言う県立は、俺の第一志望で、不合格をもらったところだ。サキコが有名私立の建築学科に合格した、と仮定すると……。第一志望合格のアドバイスとして、先生または両親に、俺との付き合いを注意されたとか?


「やっぱ、サキコは凄いな。俺、もっと頑張るから……追いつけるくらい……」

「別に、良いよ。追いつくとか。私、人が住む家作りたいから建築一本なだけだし」


「じゃあ、もうすぐ建築士か……。あー、何か想像できる」

 サキコはきっと、既に内定も出ていて、順調に夢を叶えているのだろう。目の前のサキコに三年後の姿を重ねる。想像だけど。


「いや、まずは合格だよ」

「けど、何で? 建築一本でいくより、関連学部保険で入れたほうが受験は楽じゃん。家建てるのに必要な仕事は沢山あると思うけど……」

 サキコと将来について、ほとんど話したことがなかった。当時の俺ならば、こんな質問はできなかった。たいした夢も目標もない俺が聞けることなんて、ないと思っていた。どこか引け目があった。それは今もだけど。サキコは眉を寄せて少し困ったように笑う。


「家の設計したいなって思って。……家って、基本家族が住むでしょ? 仲の良い家族もいれば、そうじゃない家族もいるし。本当の家族じゃないけど家族として住むこともある……」

「うーん、確かに。家族っていっても色々いるよな」

 大学やバイトでいろいろな奇人に出会ってきたので、実家の普通は普通じゃないってのが、今の俺には実感として分かる。家族も然りだ。


「家族ってさ、距離感、難しいことあるでしょ。両親が仲悪くても、子供は一緒に暮らしたかったり。昔は仲良しでも、今は親と距離取りたかったり。だから、何年経っても、家族がずっと平和に暮らせる家、設計してみたいんだよね」

「そっか、それができるのは、建築士ってことか」


 全然知らなかった。高二の夏くらいから付き合ってきてたのに、そんなにしっかり将来を考えていたことを。未来を具体的に思い描けないでいる俺からすると、羨ましい。

「何か、ちょっと恥ずかしいよね。語りすぎ?」

 サキコがちらりと俺を見上げる。

「あー、確かに! ちょっとアレっぽい。仕事人にインタビューするやつ。あれ、冒頭で聞くもんな……なぜ、建築士に? 家族が、ずっと平和に暮らっ……」

 プロの仕事人を取り上げている有名番組の語りを真似していた俺の口を、サキコが手で塞ぐ。


「もう、やめてよ、恥ずかしいから」

 鼻も一緒に塞がって息苦しいんだが。わかった、と言っているつもりが、上手く言葉になってない。サキコにはまだ語りが続いているように見えるのか、手をどけてくれない。どさくさにまぎれて、仕返しにサキコの耳を出してやろうと思った。サキコの髪に隠れた両耳に手を伸ばすと、異変を察知したサキコが、さっと俺の顔から手を離し、今度は俺の手を掴む。


「そんな、本気でガードするなよ……」

 言葉が漏れる、というのはこういうことだ。つい、言ってしまった。サキコの機嫌グラフの曲線が急下降するのが分かる。こういう小さな不満が溜まって別れた……、とか聞いたことある。


「電車来るから……向こうのホーム行く」

 サキコはすっとベンチから立ち上がる。フラれる時期が早まる可能性もあるのでは……。三カ月後にフラれる、フラれないの二択だと思っていたが、予定より早くフラれるという選択肢も見えてきた。未来が分かっているって、案外不自由だ。


「ごめん、怒らせるつもりはなくて……俺が、見れなくてがっかりっていうか……」

 頭の上にぽすっとサキコの手が置かれて、髪の毛をぐるぐるとかき混ぜる。

「怒ってないよ。また明日ね」


 サキコはくるりときびすを返して、階段を上っていく。向かいのホームとは、線路上の連絡通路でつながれている。遠ざかるサキコの足を、ぼんやりと眺めていた。連絡通路の途中は、上半分がガラス窓になっている。階段上で消えたサキコが、その窓に現れた。その横顔を見た瞬間、俺は立ち上がって階段へと向かった。


 なぜ、そんなことを思いついたのか、上手い説明は思いつかないけれど、後を尾行つけようと考えた。サキコはホームの中央あたりまで進むと、列に並んだ。俺は階段の下で、行き来する人に邪魔顔じゃまがおをされながら、その様子をうかがう。すぐに電車が滑り込み、サキコが乗り込むのを見届けると、俺も電車に乗り込んだ。

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