ⅲ 2

 たしか、四つ目の駅だったと思う。所謂いわゆるベッドタウンとして発達している街で、高層マンションがやたらに多い。私立や付属高の生徒が、良く乗り降りしている。サキコは隣の車両に乗っている。それほど人が多くないので、車両連結部の横の席に座って、時折ときおり様子を伺う。サキコの後をどこまで尾行つけて行くのか、全くのノープランだ。けど、やっぱり家まで行くのは少し気が引ける。


 早くも後悔し始めていた。駅で降りるのを見たら、その次の駅で降りて引き返すか。衝動的しょうどうてきに乗ってしまったが、バレないことを祈るばかりだ。四つ目の駅の名前がアナウンスされ、扉が開く。ずるずると背もたれに沿って背中を下げて、隣の車両をのぞく。隣に座っている婦人が、俺を横目でちらちら見てくる。サキコは、全く降りる気配がない。やがて扉は締まり、電車が動き出す。


「どうなってんの……?」


 隣の車両に集中しすぎて、俺は今にも座席からずり落ちそうだ。隣の婦人の視線を感じる。サキコが下りる前に下車するわけにもいかず、やや姿勢を立て直し、観察を続ける。さらに二駅、そこでサキコは下車した。そこは、築年数高めのマンションや、一戸建て、町工場なんかが並ぶ町だった。もう俺は、帰宅まで尾行つけて行くと決めた。


 確か、二年の文化祭の日に送って行った。寄り道や塾とも考えられるが、この駅周辺にそんなものはない。大通りをしばらく歩いて、左の細い道に入ると、サキコの足が止まった。ミサワ米穀店と看板がでている。その店に躊躇ちゅうちょなく入る。しばらく外に立っていたが、サキコが出てくる様子はない。


 俺は店の周りをぐるりと歩いてみる。店内にサキコの姿はない。店主らしき男性が、奥で机に向かっているのが見えた。出入口は、サキコが入って行った一か所と思っていたが、裏口がある。その奥の同じ敷地内に家屋があった。ここが、サキコの家。そう考えるのが自然だ。何よりミサワは、サキコの苗字だし。米穀店というのは初耳だ。


 俺は来た道を引き返して、駅に戻る。タワマンと、あの店つき家屋の二つ家がある、ということだろうか……。サキコのこと、ちゃんとわかっていたんだろうか。ホームに滑ってきた電車に乗り込むと、座席に身体を沈み込ませる。サキコに直接聞くわけにもいかないこの謎は、今は、俺の中に仕舞しまうことに決めた。ふうっと一つ息を吐くと、カバンから英単語本を取り出して、ばらばらといつもより長い時間、眺めていた。



 九月末に受けた模試結果が返ってくる頃には、朝の涼しさを感じるようになった。俺はやっぱりまだ、高校生の毎日を過ごしている。模試結果はC判定。この時点での判定としては、まあ良い方だ。あれから俺は、何度かサキコの帰宅を尾行つけた。サキコはすべて、米穀店か、その奥の家屋に入っていった。


 タワマンのある駅で降りたことは、一度もなかった。つまり、俺が案内されて送っていった場所は、サキコの家ではないということだ。


 床の上に手足を投げ出して、大の字になって寝転がる。体育館の床は、冷たくて気持ちいい。走り回って熱くなった身体を冷やしてくれる。

「もっと、手加減してくれよ……。俺以外バスケ部って、きつい……」

「おれは、バスケ部じゃない」


 サクが隣に来て座る。昨日から、定期試験の準備週間に入った。部活はこの一週間、休みになる。体育館が空いているから、息抜きにと、センター対策講習の後、三年バスケ部四人がサクを3ON3に誘いに来た。俺は人数合わせで、サクに引っ張ってこられた。バドミントン部の俺は、いいようにフェイントにだまされまくって、疲れ果てている。


「バスケ部みたいなもんだろ……。練習試合のとき呼ばれてんだろ?」

 まあ、中学まで部活やってたからなぁ、とサクが呟く。世の中には文武両道ぶんぶりょうどうという人間が、存在している。サクはその上、顔面も申し分ないし、俺より背が高い。神は一人に、二物も三物も与えるのだ。


「卒業生代表だし、大学は日本一だし、バスケ上手いし、そもそも俺とスペック違いすぎんだよ」

「前の二つは未定だろ。答辞なら、生徒会長のナナセも候補だし。……あれ、おれ受ける大学って言ったっけ?」


 ナナセも候補だったのか。この時期は、まだ決まってなかったんだな。志望校も直接聞いたりしてなかったな。なにせ知ってるし。

「まぁ、なんとなく、そういう感じだろ。イメージだよ」

「トキヤ、一学期とは別人みたいに変わったな」


 サクが俺をじっと見つめる。そうだ、別人なんだよ。いや、同一人物だけど三年先輩なんだよ。なんて言ったら、サクはどう返すだろう。実はずっと気になっていることがある。俺がここに来る前までの俺は、どこにいるのだろうか。三年前の俺は。サクに相談できれば、せめてこの問題くらいは、すっきりできそうな気がする。けど、頭おかしいって思われるのがオチか。


「夏休み、はさんでるから……じゃないか?」

「うーん……。別人っていうか、パラレルワールドのトキヤ? 急に人生経験増えたって感じかな」

「あー、人生経験ね……」


 いや、実に鋭い指摘だ。パラレルワールドか……。映画で聞いたことある。何本か存在する並行世界。俺が過去に来た時点で、本当の俺の過去からずれてしまい、違う過去が並列で存在するというやつか。


「なぁ、本当は……」


「なになに、トキヤ経験増えた? ミサワさんと何かあったんだろ?」

 サクが何か言いかけたが、タイチが間に割って入る。ムードメーカーの声はでかい。

「何もないよ。フツーに順調」

「うーわ、リア充発言。順調ってことは、経験が増えてる、と同じ意味なんだよ」

 タイチは寝転んでいる俺の隣に、膝をつく。


「あー、早く受験終わらねえかな。クリスマスまでに彼女欲しいんだけど……。なぁ、どっちから告白した?」

「俺から」

「だよな……ミサワさんからなわけ、ないよなぁ。上品な感じするし。やっぱオレも、自分から行かないとダメだな……」


 告白するとき、何て言ったんだっけ。サキコは高嶺たかねの花で、俺なんかとは釣り合わないかもしれないけど、良かったらつきあって、みたいなことを言った気がするな。フラれても気まずくないように、委員の任期が終わる夏休み前に言った。釣り合わないかも、なんて予防線張ってるとこが、俺らしい。自信のなさが表れてるな。


 今もそうだけど、付き合う前サキコは憧れに近い存在で、こんな子と親しくなれることは、もうないと思った。告白しないという選択はなかった。区切りを前にすると、やっぱり思いを告げたくなるものだ。卒業前だから、好きな子がいるのならタイチも同じ思いだろう。


「え? 告白すんの? 誰? 誰? ぼく知ってる子?」

 耳聡みみざとくタイチの声を聞きつけたナオジが、面白そうにタイチを後ろから抱きしめて、じゃれつく。そういえば、冬休み前にタイチもフラれたっていう噂を、聞いたような気がする。相手が誰だったかは覚えていない。

「ちょっ……触るなって、OKもらったら、教える」


 残念、相手のことは分からないままか。ゴール下でシュート練習をしていたヒトシとリョウが、そろそろ帰ろうと声を掛ける。俺は、むくりと起き上がって、伸びをする。疲れ果てるまで走り回るのは、たまには良い。


 ふと横を見ると、サクと目が合う。


「このあと、ちょっといい?」

「え? あぁ、別にいいけど」

 体育館を出ると、俺とサクは校舎に戻る。サクが、屋上が良いというので、素直に従う。屋上に出ると、空の下側に橙色だいだいいろの帯ができている。


 サクは、あっちと言って、俺が落下したプールの側に誘導する。リプレイ高校生活から、この場所へ来たのは初めてだ。フェンスに近づいて下を見る。ここから落ちたんだよな。死んでる高さだ。

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