ⅰ 3
教室の引き戸をそっと閉めて、屋上に通じる階段へ向かう。静まり返った闇に、車のアイドリング音が、微かに聞こえたような気がした。暗闇にいるせいで他の感覚が鋭くなっているのかもしれない。
幽霊が夜見えやすいっていうのは、こういう感覚の変化に原因があるのかもな。屋上の扉は鍵が掛かっていたが、校舎側からは、ドアノブ中央のつまみを縦にすれば、解除できる。部屋の内鍵と一緒だ。
扉を開けると、冷たい風が吹き込んでくる。もうすっかり酔いは
フェンスの近くまでだとこの段差が見えず、すぐに壁が切り立っているように感じるが、フェンスから上半身を乗り出すと、この延長した床が伸びているので、下に落ちてしまうような怖さはない。
冗談でこのフェンスの向こう側でも寝れる、なんて言ったりしていた。寝返り打ったら即死だと言って、サキコは笑ってたな。冷静に考えてみると彼氏として何かできていたのか、自信がない。俺が告白しなかったら、サキコは別の誰かと付き合ったんじゃないか。
付き合えたのはタイミングが良かっただけで、俺より条件の良いヤツが告白してきたから、フラれたのかも。家も凄くでかいタワマンだったしな。付き合えただけでも奇跡だ。そういえば、初めてキスしたのは屋上だったな……。けど、最後はここで別れたんだっけ。
はぁっと、一つ
「どうした? 何かいたか?」
やや離れたところから、男の声がした。
「いや、屋上の扉が開いてたんで、誰かいるのかと思って……」
「じゃあ、また誤報かな……? 屋上の鍵かけ忘れて、風でドアが開いて、センサーに引っかかったことが前もあったよ」
「うーん、そうかもなぁ…。まぁ一応ぐるっと見廻って、鍵閉めて報告しとくか」
最近は、そういう警備保障に入ってたのか、母校よ。俺は息をひそめて身をかがめたまま、室外機伝いに場所を移動する。完全、不法侵入じゃないかよ。内定は出ない、不法侵入で捕まる。俺はこの後どうしたらいいんだ。
見つかるわけにはいかない、隠れなくては。いや、見つからなかった場合、屋上に残されたまま、鍵を掛けられるわけで。今日は土曜だから、月曜までここに居ることになるかもしれない。
自然現象とかどうなる? あれだけ食ったのにまだ出してない。この場合、俺は母校に不法侵入し、屋上でウンコをした変態卒業生として、半永久的に語り継がれるだろう。
何としても警備員より先に、屋上から脱出しなくては。敵は二人。どのルートで行く? 俺の装備はスマホと財布、虎とら亭のおしぼり。だめだ、装備にすらなってない。懐中電灯の光と足音が、どんどん近くなる。もう身体を隠すものがない。俺は目の前のフェンスを見上げると、心を決めた。
「うーん、やっぱり誤報か……。何か音がしたと思ったんだけどな」
「フェンスが、風で揺らされただけだろ……」
俺の身体の上を懐中電灯の光が、ぶらぶらと横切る。フェンスの向こうの段差に、
しばらく懐中電灯をフェンスに向けてぶらぶらさせていたが、やがて諦めたらしく、光が消える。俺は素早く両手を床につけて、上半身を上げた。つもりだったが、両手は床につかなかった。右手の下には何もなく、空を切っていた。そのせいでバランスが崩れ上半身は外に乗り出した。
「うわぁっっっっ!」
向こうから、誰だ! と叫ぶ声がする。下にはプールが見える。首を校舎側に捻ると、真っ黒な空に、懐中電灯の光が交錯して空を照らしているのが見えた。頭の位置がだんだん下に下がるのが分かる。やけに細かいところまで、はっきりと見える。このままだとプールに直撃する。
水がぎらぎらと光っている。両腕をばたばたと回して、バランスを取ろうとしたが、落ちていくのは止まらない。こんなことで死ぬんだ。サキコとの思い出があるこの場所で……。せめて死ぬ前に、サキコに会いたかった。俺は目を力いっぱい閉じた。
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