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 今日の勝負は上々だった。中身の増えた財布を持って、家に帰る前に居酒屋虎とら亭に寄る。居酒屋だけど、定食もラーメンもある、大学生に優しい店だ。サバの味噌煮定食にラーメンをつけて、生ビールも頼む。勝った後のビールは旨い。内定は取れてないけど。あっという間にビールが無くなり、もう1杯頼む。


 今日はただ寝てゲームをして、パチンコをしただけなのに、定食もラーメンもすでに腹の中に消えていた。働かざる者も、腹は普通以上に減るのだ。いつもより懐に余裕があるので、2杯目のビールを飲みながら、ぼんやりとメニューを眺めていると、天使の誘惑という変わった名前の焼酎が載っていた。


 そこそこ高いが、今日は飲んでみたい気分だった。金があるということは心強い。ロックで頼んで、一口飲むとかなり強い酒だと分かった。しかし、まるで体に染み込むように喉を通っていく。結局天使の誘惑に負けて、2杯目もロックで頼んでしまった。


 酒でぐらぐらした頭で、サキコのことを思い出していた。何故フラれたのか、やっぱりはっきりとした理由が思い出せない。勘定を済ませて、暫く夜道を歩いて考えてみようと思った。実際に校舎を見たりしたほうが、思い出せるのではないだろうか? 通っていた高校まで、ここからだと、歩いて1時間もかからない。俺は高校に向かって歩き始めた。


 サキコは、黒い髪を顎のあたりで切りそろえていて、風で揺れる髪の隙間から、ぷっくりとした耳朶みみたぶがちらちら見えた。所謂いわゆる、福耳というやつだ。俺はそれを見るのが好きだったのだが、サキコは耳朶みみたぶが厚いのが、コンプレックスだと言っていた。あまり耳を出したがらなかったので、よく屋上に連れ出して、風に吹かれる横顔を眺めていた。



 一時間もかからない、と思っていたが実際には一時間以上余裕でかかった。帰りは電車で帰ろう。飲んで長距離歩いたせいか、胸が重い。額には汗も滲んできた。ジーンズのポケットに手を入れると何かが入っている。引っ張り出すと、虎とら亭のマークが入ったおしぼりだった。酔うとポケットになんでも入れてしまう、俺の悪い癖だ。額の汗をぬぐうのに使わせてもらう。明日返しに行こう。


 街灯の無くなった長い坂道を上る。途中誰ともすれ違わなかった。裏門の向かいの道には、黒いSUVが一台停まっている。車だが、人の気配が感じられるものがあって、少し寂しさが和らぐ。漸く裏門に着いた。校舎は夜の闇と一体化して、懐かしさを感じるどころか、外観すら良く判らない。


 校舎の向こうに四角くて大きな黒い影が、そびえ立っているせいだ。確か俺が高校在学中に稼働しはじめた、国立の研究施設だ。原子核だか電子だかを発射する円形の加速器が、この高校の地下まできているらしい。世界最大ということで話題になった。この建物の影と一体化しているせいで、かつての校舎の外観が良く解らないのだ。


 こんなに疲れて、懐かしむこともできないとは、納得いかない。俺はあたりを見回し、誰もいないことを確認すると、裏門に足をかけて侵入した。当たり前だが、誰もいない。夜の高校は人の気配がなくて、不気味だ。何時に行っても人がいる大学とは違う。三年の教室があった校舎へ回ってみる。近くで校舎を見上げると、教室の窓が見えて、懐かしい気持ちになった。中に入れないだろうか? 俺がいたころは、非常階段の出入り口の施錠が甘かった。校舎の端にあるコンクリの外階段へ向かう。

「うわ……、怖ぇーな」


 薄汚れた非常階段は、妙な迫力がある。見上げると二階から上は、暗闇と同化してほぼ見えない。それでも俺は一階から順番に、ドアノブを回して確かめる。校舎は四階建てなのでチャンスは四回。三階まで扉が開くことはなかった。

「……たのむ、開いてくれ……」


 回すと、カチャンと音がして抵抗なく半回転した。手前に引くとキィと高い音がして扉が開く。

「おぉ! ……開いた」


 いざ開くと妙なためらいが生まれる。隙間から覗くと薄暗い廊下が見えた。本当に入るのか? 裏門を突破した時点で、不法侵入なのか? 窓から光が入って、廊下が照らされる。雲の切れ間から月が出てきたらしい。三年六組のプレートが見えた。


 サキコの教室だ。俺は吸い込まれるように、廊下へ足を踏み出した。からからと教室の引き戸を開ける。月明かりで机と教卓、黒板が良く判る。俺の目が暗闇に慣れてきたせいもある。


 確か、ここでサキコを待って一緒に帰っていたと思い出す。テスト前に、地理のノートを写させてもらったこともあった。財布忘れたときも、昼飯代貸してくれたり…カラオケに行って俺がスマホ失くしたって気づいた時も、この教室まで戻ってくれて、一緒に探してくれたっけ……って、サキコに頼ってばっかりだな。


 いや、二人の良い思い出は、屋上にあるんだ。屋上にも行ってみよう。

 

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