Re:Pray

山猫拳

§Ⅰ

ⅰ 1

 活躍をお祈り申し上げますって、そもそもお祈りする気持ちなんてあるのかよ。お祈りするくらいなら別の良い会社を紹介してくれよ。もう何通目になるかわからない、お祈りメールを閉じる。


「はぁ……バイト、行かなきゃな……」

 一人暮らしも三年。どうでもいい事も、いちいち口に出す癖がついてしまった。狭い1Kにはぁっと、溜息ためいきが響く。大学に入って三回目の夏が終わった。いや、それはもう随分前のことで、季節は既に冬だ。寒い。キリストの生誕を祝う例のイベントの空気が、街中に広がりつつある。俺の周りは、すでに内定をもらっている奴が増えている。


 ここの大学で名の知れた企業から内定をもらえれば、学部中の希望の星だ。そのサプライヤーでも万々歳だ。そのまた下のサプライヤーだって内定をもらえれば、良かったじゃないかと教授に肩を抱いて喜んでもらえる。今の俺はゼロ。何もない。安心して卒研のテーマだって選べやしない。


 スマホをテーブルに手探りで置いて、ベッドからのろのろと起き上がる。洗面台に行って顔を洗う。鏡に映った寝ぐせが酷い。元々癖毛くせげなのだが、四か月くらい、髪を切りに行けてない。今日みたいに一〇時間以上寝て、起きた後もゴロゴロしながらゲームした後は、どうまとめていいか、わからないくらい散らかっている。


 もしも、第一志望の大学に受かっていれば、そんなことを思った。金払いの良い塾講のバイトなんかできたりして、もう少し小綺麗にできてた筈だ。


 俺の全盛期はいつか? そう聞かれたら即答で、高校のときだと答える。あの頃、俺はそこそこ成績もよく、バドミントン部に所属し、大会では入賞したりもした。同じ部の女子に告白されたこともあったし、彼女がいた。約一年半だけど。サキコといって、図書委員で一緒になって親しくなった。目立つ方ではないが綺麗な子で、今でも俺の唯一の元カノだ。今カノはいない。


「高三の冬、だよな……」

 俺は突然、サキコから別れたいと言われ、為すすべもなく、ただただフラれた。思えばあの時から、俺の人生は下り坂だ。何回かのこんな筈じゃなかった、を繰り返して俺は自分の世間一般での位置を知る。つまり、地べたに近いってことだ。テーブルの上でスマホがブブブブと唸っている。


「はい。トモナリさんどうしました?」

『あ、トキヤ? まだバイト行ってないよな?』

 電話はバイト先の先輩だった。同じ学部の四回生で、大学院への進学がほぼ決まっている。

 バイトのシフトは四時半の筈だ。どきりとして時計を見る。四時前だ。特に咎められるような時間ではない。十分にバイトには間に合う。


「まぁ、今から行こうとしてたんで、自転車だし、余裕で間に合いますよ」

『いや、行ってなくて良かったの意味。実はさ、バイトのシフト変わって欲しくて』

「え? 今日の分ですか?」

『そ。明後日の同じ時間が、オレのシフトだからさ。そこと今日、交換してくれ』


 ということは、午後四時半からのシフトだ。明後日の授業は、午後三時までで終わる。そのあとも特に予定はないし、交換は問題なさそうだ。


「別に……いいですよ。どうしたんですか? 何かあったんですか?」

『マジ? サンキュー。いや、彼女が旅行から帰ってくるの、忘れててさ。迎えに来てって言われてたんだ。助かる』

 急な予定変更の理由としては、むかつきを覚えるが、別にトモナリさんが悪いわけではない。彼女がいない俺が悪いのだ。


「いや、まあ俺も今日はちょっと気分落ちてたんで、逆に良かったっす」

 バイトは家具インテリア通販の受付・梱包・発送の仕事で、梱包作業が多いと、無心になって嫌なことを忘れられるのだが、受付が多い日は、少し神経が疲れる。俺の予想では、今日は受付が多い日だ。


『え? どした?』

「あー、まぁ。また内定出なくて。今日連絡来たとこ、本命だったんですよね」

『まじか……。大学院も、考えといたほうがいいぞ』


 トモナリさんは、どの教授が人手を欲しがっているかを、ざっくりと教えてくれた。俺の能力なら、研究室に残りたいと言えば、教授たちの協力が得られるだろう、と言ってくれて電話は切れた。トモナリさんは良い人だ。むかつきを覚えるなんて、俺は最低だ。


 大学院に行くとなると、親に相談が必要だ。あと二年の学費を払ってくれと、頭を下げることになる。それはそれで憂鬱ゆううつだ。せめて内定も貰ったうえで、敢えて大学院に行きたいと、話を持っていきたい。内定が出なかったから、学生を続けたいんだろうと言われるのが、しゃくなのだ。俺の小さな小さな矜持きょうじだ。


 だがそれはさておき、今夜の予定が、無くなってしまった。このまま家にいるのも鬱々うつうつとする。ジーンズを穿くと、ポケットに財布とスマホをねじ込んで、スニーカーに足を突っ込む。足は自然と、近所のパチンコ屋に向かっていた。

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