九、

 帰り道、僕の手には『自転車の整備の仕方超完全版』なる本が握りしめられている。そして隣を歩く市村さんは、さっきから元気がない。


「市村さん」


「え、はい。なんですか?」


 慌てて返事をする姿からなにか考え事をしていたことは間違いない。そうなったタイミングは分かるけど考えている内容と詳しい心情までは分からない。

 それは僕が鈍いからなのか、市村さんと出会ってから今に至る時間が短すぎるからなのかは分からない。


 分からないなら聞くしかない。


 心の中で大きく深呼吸して、僕は口を開く。


「ちょっと寄り道したいんだけどいいかな?」


 僕が尋ねると、少し困惑した表情を見せながらも頷いてくれる。


 * * *


 土手へ降りる階段に座って、僕たち二人は缶のジュースに口をつける。


「寄り道ってここですか?」


 市村さんはいつも練習する河川敷を見つめたまま尋ねてくる。


「うん、なんだかここに来たら落ち着くから。ぼんやりしたいなぁって」


「ふ~ん」


 その言葉を最後に僕らは黙って河川敷の風景を見つめる。


「あのっ」


 しばらくの沈黙を破ったのは僕。


「今日のパスタ美味しかったね」


 ここで初めて市川さんが僕の方に視線を向ける。


「自転車を見たのも楽しかったし、工具を見ながら説明してくれたのも楽しかった。もちろん現在進行形で今も楽しいよ」


 楽しいを連発する僕をじっと見つめていた市村さんだが、視線を逸らして下を向くと小さく笑う。


「やっぱり変わった人です」


 変わった人と言うが、言葉とは裏腹に全く嫌そうでない表情を見てここに来て、話しをして良かったなと。誘って良かったなと、数分前の自分によくやたっと、グッジョブの気持ちを送るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る