五、

 焼きたてのパンの薫りが鼻を抜け、僕の空腹のお腹を刺激する。


 お腹がグーグー鳴ってしまう。


 パン屋さんでパンを買ったことはあっても、イートインの経験はない僕は周囲を見渡す。


 周りを見れば女性だらけで男は僕一人で居心地が悪いのと、ランチという初体験が重なって、慣れない空間にソワソワしてしまう。


 チラッと前に座っている市村さんを見ると同じくソワソワしていた。


 仲間だ!


 ソワソワしている市村さんに親近感を覚え、ホッとした僕の視線に気が付き恥ずかしかったのか、キッと視線を鋭く睨み返されるが、とき既に遅しである。


 グーグーと鳴くお腹を、恥ずかしそうに押さえる市村さんが今更何を言おうと威厳はない。


「こ、こんなお店に来るの。初めてなんです……」


 何か悪いですか? 仕方ないでしょ? と言いたげな表情で頬を赤くして睨む市村さんを可愛いと思ってしまうが、ニヤけると怒られそうなので真面目な顔を繕う。


「私、友達とかと一緒に出かけるとかしませんから……行く機会がないというか」


 市村さんが言いづらそうに下唇を噛んで右下に視線を落とす。視線の先にあるのは市村さんの右足。


 ここで僕は初めて、さっき杖を見せてきて「いやですか?」と市村さんが聞いてきたことの意味を理解する。


 私生活や部活でもよく言われる、頭の回転が遅いってヤツを今痛感する。


 市村さんが自分の右足のことを気にしていて、人と一緒に歩くことに抵抗があるということ。


 僕は初めて義足を見たとき、自転車の練習をしている理由を知れて納得した。そんな僕を変わった人だと笑う一方で、「可哀そう」「大変そう」って言ってくる人がいると言ってたけど、その言葉が嫌なのだということ。


 河川敷で市村さんが吐いた暗い表情と共に思い出し理解する。


 僕は気にしてない、そのことを伝えるのにはどんな言葉が最適なのだろうか。


 普段の生活でこんなに必死に思考し言葉を発そうとした経験はない。

 でもどんなに頭の中で思考を繰り返そうが、ここまで生きた僕の積み重ねは変わるわけもなく、僕の経験と知識で得てきたありのままを伝える他ないという結論に至る。


 背伸びしても意味がない、素直に言葉を伝えるだけ。それで伝わらなかったら仕方ないのだ。


「えっと……」


 短い沈黙を破る僕の声に、市村さんは視線を上に戻し僕を見てくる。


「今日、市村さんと一緒にごはん食べて、自転車の整備の仕方を教えてもらえるって朝からソワソワしてたんだ」


 僕の言葉を聞いた市村さんの頭の上にはてなが浮かぶのがわかる。


 言い方が遠回しだった気もする。僕が今日を楽しみにしてて、一緒に過ごせるのが嬉しいというのを伝える言葉……こういうときスラスラと言葉が出る人が羨ましい。


「えっと、ほらっ、つまり……今日市村さんと一緒に過ごせるってことがすごく楽しみで、今もこうしていられるのが僕は嬉しいんだってことなんだけど……伝わるかな?」


「意味分かんないです」


 プイッと下を向きぶっきらぼうに言う市村さんだが、その顔は少し赤い気がする。


 伝わった……かな?


 



 

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