三、

「名前? 私のですか?」


 僕が大きく頷くと女の子は黙ってしまう。無視して喋らないというわけではなく、考えているような表情。考えてくれてるということは、名前を教えてくれる希望があるということだと思う。


「……市村いちむら真紀まきです」


 やがて開いた口からは、あっさりした自己紹介がされる。だがあっさりかどうかは関係ない、今まで女の子と呼んでいた子が、『市村 真紀』になったのは凄く大きな進展だと思う。


 僕が何を目指しているかは知らないけど、名前を知れたことは素直に嬉しい。


「では」


 だが市村さんは、喜ぶ僕をおいてそのまま去っていこうとする。


 全くの予想外。


 ここからお互いにもう少し話のキャッチボールを続けるものだと思っていたら、普通に去っていくとは思いもしなかった。


 僕が一人で盛り上がってただけかもしれないけど……。


「ごめん、待って!」


 思わず呼び止めた僕の声に渋々振り返る市村さんは、凄く面倒そうな顔をしていた。


 そして思わず呼び止めた僕は、思わずなので何か用事があるわけではない。だが呼び止めた手前、何か言わなくてはいけない。


「えっと、自転車の練習するんだよね? 手伝う、そう、手伝おうか?」


「えっ……嫌です」


 必死に考えた結果、自転車の練習を手伝うと申し出てみた。本気ではなかったが即、断られたのはショックだ。


「大体、今名前を知ったばかりの人間を信用できるわけないじゃないですか。練習手伝うって言いながら別の目的があるかも知れませんし」


「うっ」


 「別の目的」とは僕の疚しい視線のことを言っているのだろう。言い掛かりでないだけに反論できない。


「そうだね、確かにその通りだ。信用される要素がなにもない」


 言い訳をしようと思ったが、ここは素直に自分の浅はかな発言を認めることにする。


「はぁ」


 呆れを大量に含んだ溜め息をつかれる。


「否定しないんですね」


「ま、まあ、本当は否定したいところではあるんだけど」


「はぁ」


 再び、呆れた溜め息。


「変わった人ですね」


 言葉だけ聞けば、バカにしたような感じもするけど、実際に僕の耳に響いたその言葉は、僕という存在に興味を持ってくれた。


 そんな意味を含んでいるように感じとれた。


 それを証明するかのように市村さんは口を開きこう言う。


「では、一つお願いがあります」

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