小町先生は突然豹変する

「それで、期末テストはどのようになるのでしょうか?」僕は突っ込んで訊いてみた。

「難問二題は副教材ではなく、初見になるかしら、どうかしら、ふふふ」小町先生は嬉しそうだ。あまり表情に出ていないが。

「でも安心して、ちゃんと教科書と副教材の標準問題をやっていれば四十点はとれるから。赤点にはならない。わざと赤点をとりたい人は別だけど」小町先生は課題をしている二人の男子生徒を睨んだ。

 やっぱりそうか。こいつら小町先生のファンなのだ。こうやって赤点をとって、いつまでも補習を受けて小町先生と一緒にいる。何だか僕もそうしたくなってきた。Мっ気があるのかな。

「ここで補習を受けていれば、期末テストは良い点をとれますかね」僕は訊いていた。

「な、なんてこと言うの!」珍しく小町先生がうろたえたように見えた。

 眼鏡野郎が薄気味悪く笑っている。もうひとりの目つき悪い方は傍観者を決め込んでいた。

生出おいで君は必要ないでしょう?」

「でも、僕たちG組、今度の期末テストに危機感を覚えています」それは僕を含めて一部だけだったが。「他のクラスに置いて行かれるのではないかと」

「そ、そうねえ」と小町先生は口元に人差し指をたてた。何か考える時の癖なのかもしれない。「確かに、G組は元気な子が多くて、素直な子が多いわね、ずる賢い知恵をもつ生徒が見られない」法月のりづきを忘れてますよ、小町先生。

「クラス対抗だと、G組は不利かもしれないわ」

「でしょう?」

「別にクラス対抗する必要もないけれど。クラス別に平均点を出せば、どこかが必ず最下位になる。それは必然よ。たまたまG組が最下位になっているだけ」

「それだと、沢辺さわべ先生に申し訳ないです」

「沢辺先生に?」小町先生は首を傾げた。

「沢辺先生、初めて担任を持ったんです。それが僕たちG組。元気だけが取り柄のできの悪いクラス。もし他のクラスとの差をどんどん開けられたら、沢辺先生、可哀相じゃないですか?」

 そんな情に訴えるやり方が小町先生に通用するとは思っていない。小町先生は冷徹なのだ。いや、それだと冷酷な悪役みたいに聞こえるかもしれない。そうではなくて、ひとの感情などというものが理解できない欠陥を抱えているのだ。そのことは中等部からずっと数学を教えられている僕にはよくわかる。小町先生に悪気はない。ただ理解できないだけなのだ。

 そんな小町先生が、情に訴える態度に出て、どう反応するか、僕はちょっと興味を持ってしまったのだ。

 僕だって、ときどきいろいろ検証する。小町先生が僕たち生徒を実験台にしているように、僕たちだって先生たちを実験台にしているのだ。そのことを小町先生はわかっているだろうか。

「沢辺先生は、勉強だけがすべてじゃないといつも言っていたと思うけれど。そういう先生が自分のクラスの出来が悪くて落ち込んだりするかなあ……」おや、小町先生が沢辺先生の立場に立ってものを考えているぞ。これは何だか面白い。

「落ち込んでいますよ。表面上は笑っていますが、顔に汗が浮かんでいましたし」それは暑いからだけどね。

「脳筋みたいに見えますけど」実際脳筋だけどね。「ああ見えて、凄く繊細な乙女なんですよ、沢辺先生」

「外見だけではわからないものね」

「そうです」いや、外見でわからなくても、行動みていたらわかるでしょ。

「沢辺先生を思う生出君の気持ちはわかったわ」ほんとうにわかったのかな。「でも、ここで生出君が勉強したとしてもG組の成績が上がるわけではないわね」

「そうですね」僕ひとりではどうにもならない。だから期末テスト、どこが出るか教えて。

「クラスの平均点を上げようと思ったら、底辺層の底上げが必要よ。できる人の伸びしろはたかがしれている。九十点のひとはせいぜい五点くらいしか伸びない。でも四十点の人が六十点になると二十点増えたことになる」

「おっしゃる通りです」

「だから、生出君がここに来るより、赤点ぎりぎりの子が来るべきね」

「ですよねー」

「そして、難問ではなく、標準的な問題を練習する。それしかないわ」

「地道な努力しかないって言っているみたいですよ」そんなわかりきったことを求めてませんが。

「結局、副教材の宿題を以前のように全部するしかないわね」

「それで成績アップすると思いますか?」

「思わないわ」

「それが簡単ならもうできているでしょう」

「結局は本人のやる気。動機づけができていないと勉強も捗らないものよ」

 うーん、そうなんだろうけれど、ここにいる男ふたりはあなたと一緒にいたくて、赤点をとっているのでしょうが。動機が不純だと変な方向に向かうと思う。

「兄が不甲斐ないと、優秀な妹がとても嫌な目に遭うの」何だか小町先生の目が怖いぞ。

 黙々と課題に取り組んでいる(ふりをしている)男ふたりが背中を丸めている。

「あのクズ男だれ? え、だれそれさんのお兄さんなの? って言われ続ける妹を、ちょっとでも可哀相だと思うなら、どうしようもない兄でも少しはやる気を出すべきよ」

 何だか小町先生、怖いのですけれど。それに僕に向かって話をしていないのですけれど。

「生出君、妹さんいる?」

「いえ、弟ならいますけど」

「そう」小町先生は気持ちを整えているようだった。「やる気のあるひとなら、ここに来て。計算ミスがなくなるように、計算が速くなるように、それくらいならここでトレーニングするわ」

「わかりました……」

「妹さんがいる男子生徒なら、きっと成績も向上するでしょうね」

「はあ」僕は生返事をした。

 男二人は必死になってペンを走らせていた。きっとこいつらには優秀な妹がいるのだろう。

「先生、お兄さんがいらっしゃったんですね?」

「あら、よく知っているわね」きょとんとした顔で小町先生は言った。

「今、知りました」僕は愛想笑いを返した。

「そんなこと言ったかしら」

 小町先生が天然だとよくわかりました。僕は心の中で呟いた。

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