法月さんは拗ねた

 ゴレイロ以外の四人がダイヤモンドのようなかたちに立つ。菱形といった方が良いのかな。

 その位置を時計に見立てて、十二時の位置にピヴォ、三時と九時の位置にアラ、そして六時の位置にフィクソがいる。フィクソがボールを持っていて攻め上がるかたちだ。

「反時計回りのヘドンドの場合、九時にいる人が六時にいる人からのパスを受けに六時の方向に向かいます」

 沢辺さわべ先生が説明を始めた。ピヴォとかアラとかいう名称を使わなくなった。ヘドンドでは四人がぐるぐる回るように動くからディフェンダーがトップの位置にいることもあり、初期設定のポジション名が意味をなさなくなるからだ。

「六時の人は右へ動きながら九時方向から来た人にパス。自分は三時へと動きます。三時にいた人は十二時の位置へ、十二時にいた人は九時の位置へと動き、九時にいた人はボールを持った状態で六時にいます。これで四分の一回転したことになります。良い?」

 もとの守備位置から九十度反時計回りに回転しただけでボールがあるのは六時のところで変わっていない。

「まずはこれを練習してみて。H組は星川君が説明してもうパス練習をやっているわ」

 確かにH組の連中はぐるぐる回るように動いていた。漫然とパスを回していたのではなかったようだ。

 単純な動きだが、動きながらパスを出したり受けたりする練習になる。立ったまま二人で向かい合って蹴り合うよりは実践的だろう。しかしやっぱりそれでもこの単純なことができない人間もいる。女子の一部は思ったところにパスを出すことすらできなかった。

 そしてまた、自分が向かう先からパスが来て止めることはもっと難しかった。足に当たってはじいてしまう感じだ。

 特に法月のりづきは、悲惨なくらい運動音痴だった。転がっているボールを蹴ることができない。五割の確率で空振りだ。見ていた賀村よしむらが、一旦止めてから蹴れば良いとアドバイスしたが、その止めるのがまずできなかった。足に当たってどこかへ転がっていく。しまいにはボールを踏んで転倒する有り様だった。

「今、笑ったな」僕は法月に涙目で睨まれた。

「笑ってないよ」といくら言っても聞かない。

「ちょっと気分が悪いです」とか言ってグラウンドの隅に坐りこんでしまった。

「大丈夫か、彼女?」賀村が僕に訊いた。

「拗ねてるだけだよ」

「眠り姫に外の陽は眩しすぎたか」

「ご機嫌とって何とか三分出てもらうよ」最低三分出るのが球技大会のルールだった。

「元気に任せた」賀村は他の生徒を指導するのに忙しかった。

 女子の陽キャ連中は賀村と和気藹々とやっている。

 僕はとりあえずボッチ連中を集めてパス回しの練習をした。ふと法月が坐りこんでいる方を見ると、沢辺先生がそばについていて何やら話をしていた。ここは沢辺先生に任せようと思った。

 二人は向かい合ってしゃがんでいたが、身長は同じくらいなのに大きさが倍以上差があるように見えた。

 外にいるとき、大勢の中にいるとき、法月はとても小さく見える。あの毒舌はなりをひそめ、借りてきた猫みたいにおとなしかった。僕にとってはそれくらいがちょうどよかったが。

 沢辺先生が離れていったので、僕は気紛れを起こして法月のところへ行った。

「ひなたで寝たら死ぬぞ」

「保健室に連れてってくれー」

「ボクは保健委員ではないのだけれど」

「学級委員だろ。歩けない。おんぶさせてやる」

「そんな目立つことできるか!」

「なんだ、つまんない……」法月は地面に腰を下ろして膝を抱えた。

「いじけてるな、法月さん」

「別に」

「練習しないと球技大会で恥をかくぞ」

「私は逃げ回ってるからみんなで適当にやっていて」

「そうもいかないよ、人数少ないし、動いてもらわないと」

「人に観られるなんて、ダメだー!」

「観られるのは慣れていたでしょ」

 確か法月はピアノだかバイオリンだかで小学生時代はそこそこ名を知らしめていたはずだ。演奏会なんていくつもこなしてきただろう。

「人の視線は凶器だ」

「まあ、それはボクもそう思うけど」

 何だかんだいってこいつはプライドが高い。無様な姿を見せたくない。だからフットサルの練習ごときで嫌になっている。

「ひとは意外と他人に興味がないよ。見ていないもんだよ」

「それは生出おいでの話だろー」

「ひどい言い方だが、そうかもな、ボクと違って、眠り姫が動いている姿なんてレアだから見るかもな」

 体操服姿の法月を男子が見ることはない。その姿を初めて見て隠れ巨乳だと思った男子は多いはずだ。単純に大きさだけなら鶴翔かくしょうさんの方がボリュームはある。しかし法月は手足が細い華奢な体型なのだ。なのに胸がしっかりあってお尻も重そうな動きをしているから余計に目立つ。

 男子はみんな見ていないふりをして法月を目で追っていた。

 法月はその視線を感じていただろう。そんな状況で極端な運動音痴が露見したのだから不貞腐れる気持ちはわかる。

「ボール蹴り、付き合ってやるよ」

「何それ、上から目線。いつからそんな偉くなった?」

「別に偉くないぞ、裏方だしな」

 僕はボールを一個調達してきた。そして法月をおだてたり、宥めすかして、二人でボール蹴りを始めた。学級委員でなければこんなことはできなかっただろう。その肩書きがないと目立つしな。変な噂もたつし? たつわけないか。

 法月の前にゆっくりとボールを転がした。それを法月は蹴り返す。しかし、とりあえずボールに触れることはできるが、蹴ったボールがどこへ転がっていくかわからなかった。どうも蹴る瞬間の左足が不安定みたいだ。

「なんでかな、下半身は安定しているように見えるんだけど」

「ドーユー意味?」

「安産型」

「しばくぞ」

「ゴメンゴメン」

 怒らせた方が無駄な力が抜けて足は良いような気がした。どうも蹴る瞬間、緊張して余計な力が加わるようだ。

「試しに左足で蹴ってみて」

 右足を軸足にした方が安定した。しかし左足で蹴ったボールは全く力が加わっていなかった。

「法月さんはもっと走り込んだ方が良いな」球技大会には間に合わないけど。

「体重増えたのがバレたか」

「何キロ?」

「訊くな」

 話をしながら、徐々に蹴ったボールの勢いが安定してきた。強かったり弱かったり変な回転がかかったりしなくなった。勉強と同じで実は体も覚えるのが速い?

「偉そうにしている生出は久しぶりに見たな」

「え?」偉そうにしたことあったか?

 僕は過去を振り返らない。正しくは振り返れないのだ。あまりにも恥ずかしくて。

「中一のはじめの頃、偉そうにしてたじゃないか」やめて、それを言うの。

「確か、って言っていた気がする」今でもたまに言うぞ、お前に向かってな。

「中一Aの一班だったよな、あたしたち」法月はニヘラーっと笑った。「たしか、初めて担任をもった水沢先生が嬉しそうに言ったよな。『このクラスは入試成績上位三十人で構成されています』って」

「そうだったかな」僕は法月が蹴ったボールを横へそらしてしまった。

「『だから成績順に班をつくってみました』。水沢先生も罪なことをしたと思うよ」

 その通りだ。僕は昔を思い出した。

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