青年期:自分はもともと犬だった

 中学二年の梅雨、髪の毛をばっさり切ってボブにしてみた。

 他人から見てどうだったかはわからないが、自分では「なんだか子犬みたい」と無性に気に入り、「子犬ヘア」と名付けてずっとその髪型を選ぶようになった。

 子犬らしくしていれば、いずれ気づいてもらえるかもしれないと思ったのだ。自分が子犬であることに、そして「飼い主」に。


 高校に入学するころには、さまざまな知識や理解も深まり、自分は結局のところ「犬になりたい変態」なのだと思うようになってきた。これはまずいと思った。対等な恋愛ができないし、だからたぶん結婚できない。

 相当悩んだ。

 自分は「犬になりたい変態」なのだ、という哀しさのようなものを抱えながら、高校生活を過ごし、やがて大学生になった。


 飼い主といっても、けっしてアダルトな意味だけのそれを求めていたわけではない。

 私にとっての飼い主というのは、生活一般においての善悪を教えてくれて、駄目だったら叱ってくれて、偉かったら褒めてくれる存在のことだった。いわば、指標であり、拠り所であり、人生の意味だった。

 かならずしも恋愛的なパートナーでなくともよかった。表面的な関係は教師でも友人でも、なんでもよかったのだ。


 自分を御してくれるような相手に心を許し、親しくなるにつれ、犬のように甘えて頼っていった。

 だが、べつに相手は飼い犬を求めているわけではない。最初は「人間」だったはずなのにどんどん「犬」になる私には困惑したのだろう、関係はだんだん停滞し、破綻していった。

 友人から「神のように崇めてきて怖い」と言われてしまったこともある。

 二十歳を過ぎたころには満たされなさでおかしくなりそうで、友人たちに延々と「いかに私は犬になりたいか」「いかに私はペットとして飼う犬として向いているか」を話すようになってしまった。

 変態だと思われることも多かったのだろう。いま思い返しても、胸がきゅっと痛む。

 当時、付き合わせてしまった友人たちには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 私は根深い迷路に迷い込んで、迷子になっていた。

 飼い主が欲しかった。

 ぽっかりと穴が空き、満たされなかった。



 二十歳を過ぎて少し経ったころ、後に夫となるひとと付き合いはじめた。


 自分が「犬になりたい変態」であることは、墓場まで持っていかなくてはならない。

 それまでの人間関係で、自分が「犬になりたい」と言ったがために破綻した経験が多かった私は、彼との関係を破綻させないため、そう決意した。


 二十代の半ばで結婚した。

 一時は、自分が「犬」であるかもしれない悩みが誤魔化された。


 ただ、違和感が解消されたわけではなかった。

 しばしば「犬」である自分のことを思い出し、切なくなった。


 自分が「犬」であるというのは、どういうことなのか。

 以前よりも更に、考える時間が増えた。


 このころから、「犬」をテーマにした小説を書くようになった。

 そして「犬」について考える日々を重ねていくなかで、思いついた。


 私は「犬になりたい」のではなく「もともと犬だった」のだとしたら、どうだろう。


 MtFの方が自分は「女性になりたい」のではなく「もともと女性だった」と気づくように。おなじく、FtMの方が自分は「男性になりたい」のではなく「もともと男性だった」と気づくように。


 自分は、もともと犬――その仮説を、それまで経験してきたいろんなことに当てはめてみた。このエッセイに書いてきたような、いろんなことに。

 すると、パズルのピースが次々組みあがって一枚の絵が完成するかのように、それまでのわけがわからなかったものごとが、ひとつになり、意味をもち始めた。


 私は、もともと犬だった。


 その気づきは、呆然とするほど、私の来た道ゆく道を照らした。



 入籍してしばらくしたころ、結婚式を挙げることになった。

 私と夫はクリスチャンではないのだが、式はカトリックの教会で挙げることにした。

 その教会では、結婚式を挙げるカップルはすべて「結婚講座」を受けることになっている。


 とある回で、「夫婦に隠しごとはなし」というお言葉を神父さまからいただいた。

 話しづらいこともある。けれども、隠していてはいけないのだと。


 この違和感。

 私の根本的なものなのに、夫に隠したままでいいのか。

 いや、よくない。


 悩んだが、挙式の前の時期に、夫にこの違和感について話した。

 夫は案外すんなりと受け入れてくれて、拍子抜けした。



 それでも、違和感がなくなったわけではない。

 苦しみがすべてなくなったわけではない。

 これは一生つきあっていくものだろう。

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