幼少期:いつか尻尾が生えてくると思っていた
「いつになったら、尻尾が生えてくるの?」
幼稚園の先生に尋ねたことを、いまでもよく覚えている。
先生は、笑顔で幼い私の質問に答えてくれた。
「人間に尻尾は生えてこないのよ」
「そんなわけない」
そんなわけない、そんなわけない、と地団太を踏む幼い私に、優しい幼稚園の先生は絵本を取ってきて、しゃがみ込んで目線を合わせて説明してくれた。
それは、人体の構造を子ども向けに示した絵本だった。
「これが尾てい骨。人間がむかしお猿さんだったとき、ここから尻尾が生えてきていたのよ。でも人間には尻尾が必要なくなったから、生えてこなくなったの」
そうは言っても尾てい骨が残っているのだから、いつか生えてくるだろう。
よかった、やっぱり生えてくるんだ。
幼かったゆえもあるが、私はとくに根拠なく、当たり前のようにそう思った。
先生に、あんなに丁寧に説明してもらったのに。
結果、もちろん尻尾は生えてこなかった――分別のつく年頃になっても、いつかはかならず生えてくるはずだから、とけっこう待ち続けていたような気がする。
たぶんこれから尻尾は生えてこないんだと理解した小学校中学年くらいのころは、悲しくて悲しくて、というか、自分が本来持つべき器官のひとつが失われたかのような喪失感がひどくて、「いまからでも尻尾を生やす方法は……」と覚えたてのインターネットで検索しはじめた。
ちなみに、この検索が私の知識や興味を大幅に歪め(あるいは、「自分が人間であることに違和感がある」と気づく、ある意味では正しい方向に導き)、のちにとりつかれたように「犬」をテーマとした小説を書きはじめる原初のきっかけにもなった。
性別違和を持つ方がおっしゃる、「いつか自分の股間にも生えてくると思っていた」という気持ちや、「いつか自分の胸も膨らむと思っていた」という気持ちに、私はいつもこの「いつか尻尾が生えてくると思っていた」という気持ちを、重ね合わせてしまう。
根拠はない。他人に合理的に説明できる理由もない。
けれども、「そう」思ってしまうのだ。
自分が本来あるべきすがたは、股間から生えている男の子なのだし、胸が膨らむ女の子なのだし、尻尾の生えている犬なのだから。
自分の性別は男のはずなのに女の身体に産まれついたひとが、生理を止めたくて真冬に冷水のお風呂に入り続けていたエピソードを読んだことがある。壮絶だったが、「自分は本来こうではなく、ああであるべき」という気持ちにはいたく共感した。
話を幼少期に戻そう。
いまになって振り返ればだが、幼少期には他にもいくつか「犬らしい」エピソードがあった。
やたらと人懐っこかった。
まさしく犬が伏せて寝るみたいに、両足を曲げて両手を前にして寝ていた。
服が苦手で、服を着ているのにも抵抗があった。
食器を使うのにうまく説明できない抵抗感があって、いわゆる「犬食い」みたいに食べるほうが落ち着いた。
ひらがなが読めるようになるのは嬉しかったけれど、同時に自分が文字を理解できてしまうことに強い違和感があった。賢くなっていくのは嬉しいのだけれど、自分には過ぎた知性というか。自分が自分ではなくなっていく感覚、というか。
これらの兆候はあるいは、「小さな子どもならよくあること」で済まされることなのかもしれない。ひとつひとつを取ってみれば、そうなのかもしれない。
だが、バラバラに見えるひとつひとつの物事は、「自分は犬だったのかもしれない」という確信めいた仮説により、共通項となり、見違えるほどきれいに意味を持って集約される――自分自身、あるいはだれかの違和について自覚し語るというのは、結局のところそういうことではないだろうか。「よくあること」の裏側には、本質的な違和がひそんでいる……の、かもしれない。
尻尾が生えてくると思っていた、という自分のなかでもしばらく奇妙に感じていたエピソードも、「自分は犬だったのかもしれない」という気づきのあとでは、なるほど、そりゃそうなるだろうな――という意味を持ってくる。
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