自分が「ひと」ではないと思う
柳なつき
はじめに:その違和感は、なんなのか
自分が「人間」であることに、ずっと違和感がある。
性別違和についての本を読むのが、すごく好きだ。
私には性別違和はない。
でも、自身の身体に違和感がある、という点にすごく共感できるから。
私の魂はたぶん犬で、手違いかなにかで人間のからだで産まれてきてしまったのだと思う。
自分が人間ではなく犬だと思うなんて、面食らうひとのほうが多いと思う。
けれど、その一方で、わかるわかる、自分も――と言ってくれるひともいるのではないか、いや、かならずいると信じている。
自分は犬だと思うひとが多い印象があるけれど、自分は猫だと思うひともいるだろうし、ねずみだと思うひとや、いるかだと思うひともいるのかもしれない。もっと別の生きものだとか、なんの生きものかはわからないけれど少なくとも人間ではない、と思うひともいるのかもしれない。
自分が「人間」ではなく本当は何か「ほかの生きもの」だと、根拠もなく理由もわからず、ただ自分が「そう」であるとしか思えない――そういうひとは意外と案外、世の中に潜在的に多いと思う。
性別違和は以前に比べれば、広く、正確に知られるようになってきた。私にはないものだから、その本質すべてを推し量ることはもちろんできない。広く正確に知られてきたからといって、すべてが解決するわけでも、もちろんないだろう。
けれど、広く、正確に知られる前よりは誤解やすれ違いが減り、性別違和をいだくひとたちが自分自身の違和感と向き合える、すくなくとも、向き合いやすい世の中にはなったのではないだろうか。
同じように、自分が「人間」であることに違和感をいだくひとたちが、私も含めて、その違和感にもっと向き合える世の中になるといい。
いまでは、自分が「人間」であることをある程度受け入れられるようになってきた。
でも、そこに至るまでにはそれなりに苦しい道があった。
この話は私のもっとも奥底で澱み続けていた話だ。だから語るにもそれなりの痛みと、恥をともなう。
それでも語ろうと決意したのは、この違和感が、広く知られるべきだと考えるようになってきたからだ。
ここまで読んで、「そんなことあるわけない、あったとしても気のせいに決まっている」という方も、「わかる、自分(あるいは、親しいひとや知り合いのひと)もそうかも」という方も、しばしお付き合いいただければと思います。
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