幼女を助けたら、エルフの森が焼けた
「シャナ! シャナっ!」
不格好に地面に着地し、大声で叫ぶ。
なるべく、巻き込まずに戦闘を行ったつもりだった。あのクソジジイの狙いはあくまでもおれと、おれの魔法。だから、おれに引き付けて戦闘を行えば問題ない、と。そう思っていた。
だから、勝った瞬間に。
その命を奪った瞬間に。
致命的なまでに、選択を間違えていたことに、気がつかなかった。
忘れていたのだ。おれが息の根を止めた魔法使いが、何を『浮かせていた』のか。
「シャナっ! どこだ! 返事をしろ!」
クソジジイを殺した、その刹那。直上に残されていた、大量の岩の砲弾のコントロールが、すべて失われた。
おれの『
落ちる。
留めきれなかった。コントロールしきれなかった。おれの周囲は、辺り一面がまるで絨毯爆撃を受けたような有り様で、
「シャ……ナ」
おれが助けたかった小さな女の子の下半身は、岩に潰されていた。
「お兄……ちゃん」
息はまだある。だが、息があるだけだった。
「ごめん……ごめんね。私は、やっぱり……人間じゃないから。エルフだから。お兄ちゃんとは一緒に行けないみたい」
「そんな、そんなことはない。そんなはずない!」
否定しながら、手を握る。
どうすればいい?
「村の東の、外れ。地下室に……最初の、私がいるの」
「やめろ、もう喋るな! おれが絶対に助け……」
「うん。お願い」
絡まった指の、その力が、とても強くなった。
「絶対に、助けて」
けれど、それは本当に一瞬で。
繋がった指から、熱が失われていく。
「私は、もうダメだけど……でも、私は、まだいるから」
嘘だ。代わりなんていない。
最初に出会って。言葉を交わして、花を摘んで、一緒に笑った。
おれが知るシャナは、今ここにいるシャナしかいない。
「いやだ……だめだ。シャナ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
平気だ、と。
「私は、私だから。きっとまた、お兄ちゃんのことを、大好きになるよ」
少女は、最後まで強く笑っていた。
まるで、明日から冒険の旅に行くような、そんな明るい笑顔で。
「……」
熱が失われた指を離して、立ち上がる。
立ち上がらなければ、勇者にもなれないおれに、価値はない。
「……助けなきゃ」
◇
きみしかいない、と言ったはずの少年は。
少女の影を探して、炎の中をさまよい歩く。
そんな彼を、魔の王は炎の中から眺めていた。
「魔王様ぁ……いいんですか? せっかく、あのひよっこ勇者くんを探してこんなところまで来たのに」
森が、燃えていた。
その熱の中心には、魔王と呼ばれた少女と、もう1人。朱色の中に影を落とす、漆黒が在った。フリルとリボンがこれでもかとあしらわれた可憐なドレスを身に纏い、火花を添えてくるくると踊り舞うその姿は、舞踏会の華のようだった。
「うん。今は、会わなくていい」
「えぇ。それじゃあ、わたしがここまで連れてきてあげた意味がないじゃないですかぁ」
「いいじゃない。そういうのが、あなたたちの仕事でしょう?」
「ちーがーいーまーす! こういうのは『四天王』の仕事じゃありませーん!」
「じゃあ、仕事をあげる」
魔の王は、何ともない口調で命じた。
「この森、全部燃やして。おねがい」
「お……おぉ! おぉ! わかりますよ! これは、あれですね! 嫉妬の炎ってやつですね!」
「そういうのじゃないわ」
瞬く間に広がっていく炎の光を受けて、透明な髪が妖しく煌めく。
「ただ、わたしの勇者に手を出した翅虫が鬱陶しいだけ」
魔の王は微笑む。
わたしの勇者には、たくさん悲しんで、たくさん泣いて、もっともっと、強くなってもらわなければ……でなければ、彼は勇者にはなれない。
それに、
「どんなに寄り道をしても、どんな冒険をしても……彼は最後に、必ずわたしの元にやってくるから」
だから、嫉妬する必要なんてない。
◇
もう死ぬのかな、と。少女の意識は、諦観と失意の底にあった。
最初の1人であるが故に、少女はそこに囚われていた。日も当たらず、変化もなく、ただ暗く冷えた地下牢の中で、鎖に繋がれて観察されていた。
だから、地下室にまで回ってきた火の手を見たときの感情は、恐怖でも驚きでもなく、やわらかな安堵だった。
ああ、これでようやく死ねる。楽になれる。そんな安心だった。
一つだけ、気掛かりがあるとすれば。魔法によって増えた自分がどうなったのか。それだけは、知りたかった。ろくな扱いを受けていないのはわかっている。それでも、きっと他の自分は、ここにいる自分よりはましな生活をしているはずだから……もしかしたら、この村から逃げ出して、外の世界で幸せに暮らしている自分もいるかもしれないから。
そう考えることだけが、少女の希望だった。
そう考えることだけが、少女の希望だったはずなのに。
扉が開いた。
「……よかった」
はじめて見る少年だった。そして、はじめて見る人間だった。
「あぁ、よかった、生きてる。よかった」
うわ言のように呟きながら、少年はシャナの口に嵌められた自決防止の口枷を、次に手足の動きを封じていた鎖を外してくれた。
「にん、げん?」
「ああ、人間だよ。遅くなって、ごめん」
炎の光に目を焼かれそうになりながら、それでも少女は懸命に少年の表情を見た。
少女には、わからなかった。
どうして、この人は……こんなにも、泣きそうな顔をしているんだろう?
「お兄さん、誰?」
「……きみを、助けに来たんだ」
助けに来た。
諦観と失意の底にあった少女の意識は、その一言で、引き上げられた。
もうほとんど諦めていたはずの、生への渇望が顔を出した。
「私、エルフじゃないのに……人間なのに、助けてくれるの?」
「……そっか」
また、もう一つ。
確かめるように、少年は頷いた。
「きみは、エルフじゃないのか……」
おそるおそる、血まみれの手が少女の頬に伸びた。
不思議と、こわくはなかった。
まるで、自分を決して壊してしまわないように触れる指先に……鉄の臭いがする手に、やさしさがあったから。
「……よし」
その一言で、彼の中の何かが切り替わった。
面と向かって、少年は聞いてきた。
「この村は、好きか?」
面と向かって、少女は首を横に振った。
「じゃあ、一緒に行こう」
それ以上は何も聞かずに、少年は少女に手を差し伸べた。
理由はない。事情もない。たった一つの質問と答えだけで、少年は少女を連れ出すことを選択した。
少女の名は、シャナ。
「あー、でもちょっとお願いがあるんだ」
わざと、おどけるように。
少年は、少しだけ悩む素振りを見せて、シャナに言った。
「おれ、これから世界を救うために魔王を倒しに行くんだけど……手伝ってくれる?」
シャナには、そもそも世界が何かわからなかった。
シャナには、魔王がどれほどおそろしい存在なのか理解できなかった。
しかし、目の前の少年が救いたいものは救いたいと思ったし、倒したいと思ったものは、倒さなければならないと確信した。
シャナにとって、手を差し伸べてくれた少年が、はじめて知る世界の全てだった。
だから、
「あの、私……いっこだけ、特別な魔法が使えます」
気持ち悪い自分の力も、役に立てるかもしれないと思った。
けれど、それを聞いた彼はなぜか笑った。
ただ、笑って、答えた。
「うん。知ってるよ」
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